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第63話 ワガママな人
「贖罪……って……」
思わずぼそっと呟いた。英次は答えてくれなかった。何に罪悪感を感じてるのか。俺とのこと? なんだよな、きっと。英次がなりたかった自分って、どんななんだよ。
今朝は仕事に行く英次を見送った。昨日、頭の中でぐるぐるたくさん考えすぎて、眠りが浅かった。だから、同じベッドで寝ていた英次が起きた時には寝ぼけることもなく一緒に起き上がれた。
英次を見送って、そんで洗濯したり、家のことをする。去年の夏、ひとり暮らししながら、夏休み中にやってたことを同じようにやってるだけ。そこに英次の服とか食器とかが一緒にある。ふたり分の、夏休み。
「……」
別に全自動なんだから、俺がここで洗濯機観察なんてしてなくたって、こいつは勝手に動いてくれる。
でも、勝手に動く洗濯機をじっと眺めたまま手が止まってる。
英次の抱えてる贖罪って何? それと――。
俺は、なんで迷うんだろう。今、一番欲しかったものを手に入れてるんじゃないの? 英次とこうして「ふたり暮らし」をしているのが、ずっと欲しかったものじゃん。夢みたいじゃん。なのに、なんで、俺は。
ブブブブ
いつまでも動かない俺の変わりにスマホが動いて、「ほら」って言ってるみたいに思えた。ポケットの中で短く一度振動したスマホを手に取ると、押田からのメッセージだった。
――おーい! 英会話スクール、お友達紹介あるみたいだぞ。もしも、受けるんだったら、やってみたら? そしたら、俺も特典もらえるし。
わーい! って感じの顔文字が最後にくっついてた。
「っだよ」
あまりに呑気で楽しそうで、クスッと笑えた。どこか、ずっとぎゅっと緊張しているっていうか、考え事してるからか身体がフリーズしてたんだなぁって、今、笑った拍子に気がつく。
あいつ、夏休みは俺には音信不通になるんじゃなかったっけ? 自分を振った奴になんて興味ねぇから、次だ次っ! って、言ってなかったっけ?
押田はすごく優しい奴で、だから、俺は押田とだけはずっと友達でいられた。
――どうかしたかぁ?
既読マークはついたけど何も返信がないから気にかけてくれた? 別に毎回メッセージを返してたわけじゃないのに、そういうとこ、細かいっつうか、気がきくっつうか。
ありがと、考えとく、っておちゃらけた顔文字と一緒に送っておこうと思った。でも、なんとなく指が動くのがノロくて、全部を打ち終わる前に押田がまたリプを寄越した。
――断るのか?
断るよ。海外はちょっと無理。
そう返すんだ。だって、本当に無理だし。英次と離れるのは一年だってやだ。ずっと好きだったんだぞ? 英次と両想いになれるなんてそれこそ夢みたいで、俺にとっては大学でスカウトされる以上に夢みたいな出来事。せっかくそれが叶ったのに、まだ始まったばっかりなのに、その二人暮しを止めるなんて、ありえない。
勿体ないだろ? 英次とずっと一緒にいられるのに。
「……」
断る、だろ。だって、俺はこれが欲しかったんだ。それも欲しいなんて、そんなん無理だ。欲張りだろ。
離れたくない。怖いよ。勿体無いよ。
――おーい、凪? 既読スルーすんなよぉ。
願うことすらしなかった、淡くてすごく遠い夢が今、手の中にあるのに、一年もそれをこの手から放したら、もうこの手の中には一生戻ってこないような気がしてしまう。そんなわけないって思うけど、でも、一年も手から放してたら、もう触れないかもしれない。
――悩んでんのか?
悩んでなんか。
――いかねぇの?
指が、動いた。押田の言葉が背中を押した。
――どうしたらいいのか、わかんねぇ。
気がついたら、そんなことを打って送ってた。わかんないわけない。行かないって、思っただろ? 瀬古さんにもそう言ったじゃん。せっかく英次と両想いになったんだから離れたくないって、そう。
ブブブブ
わかんないって、何がだよ、って、自分で自分に尋ねたところで、手の中のスマホが、また振動した。今度は画面にシルバーのアクセサリーの写真と電話番号。押田だった。
『もしもし? どーした?』
俺のことスルーするんじゃなかったのかよ。
「……わかんなくなった」
『言ってみろよ。何がどーした』
「……押田に言うのは」
好きな人のことを押田に相談するのはちょっとひどいだろって口をつぐみかけた時、電話の向こうから大きな声で「バーカ」って叫ばれた。たぶん、外にいる押田の周囲の人はきっとびっくりしただろう。いきなりそんなことを叫ばれたら。
『お前、友達少ないんだよ! 俺に相談しないで、他に相談できる奴いんのかよ』
「そっ」
そりゃ、いないけどさ。実際、押田以外に何かを相談したことなんてほとんどないけどさ。
でも、だからってそんなにはっきり言わなくたって。
「そうだけどさ……」
『だから、普通に話せよ。どうせ、お前のことだからワガママなんだろ?』
「は? 俺がいつワガママなんて」
『ワガママじゃんか』
世間的にアウトだっつってんのに親戚好きになって、それがしかも十年とか余裕で越える片想い。合間合間で、可愛い女の子にも告られてんのに、完全スルー。親友の作ったアクセサリーを天然おとぼけで身に付け、めちゃくちゃ可愛い笑顔見せ続けて、その親友をいつしか落としたくせに、自分は大好きな親戚のおっさんからもらったハイブランドピアスつけて大はしゃぎ。
自分の好きな人のことしか見えてねぇから、がっつりてめぇに片想い中の親友の気持ちには気が付きもしない。
『世間的に良くは想われないだろう相手をずっと好きでい続ける奴がワガママじゃないわけねぇじゃん。めっちゃ我通しまくりじゃん』
「……」
『っつうか、普通に、あれだけ片想いしといて、たった一年離れるくらい、たいしたことねぇだろ。どうせ、この後、何十年って一緒にいるんじゃねぇの?』
心臓がトクンって鳴ったのがわかった。
『世界中に言われたって諦めないくせに』
「……」
ずっと英次が好きだった。この好きは昨日今日始まったものじゃなくて、本当に子どもの頃から好きで、その好きは萎むことも大きさを維持するんでもなく、どんどん大きくなるばかり。
『っつうか、諦めるんならさ』
俺は嬉しいって思ってた。この好きを誰にも理解されなくても、俺は、あの人を好きになれてラッキーって、嬉しいって思ってた。
「諦めないよ」
血で繋がってる。俺の好きはそこら辺にある好きよりも深くて、危険なレベルで濃いんだって
「諦めない……」
『んだよ。諦めりゃいいのに』
「ごめん」
『英会話レッスン、受けるんなら俺んとこにしといて。俺も得するからさ』
ありがとうって言ったら、ほら優しいだろ? 俺にしとけよ。そう押田に言われた。もちろん俺はそれを断って英次が好きなんだって、自分の気持ちを貫いた。
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