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第68話 拍手喝采
この時間ってどうしてこんなに青いんだろう。空気も自分の手もベッドだって全部青色だ。なんの音もしない。誰もいないみたいに静かで、夏なのに、日中の暑さがこのあと現れるなんて想像できないくらいに清々しくて、まるで。
「凪……何を考えてる」
まるで世界から切り離されたみたい。
「んー? 涼しくて気持ちイイなぁって」
英次はそう思ったんだ。自分だけじゃなくて、俺もこの寂しい場所に連れてきてしまったかもしれないって。
「ねぇ、英次」
でも、俺はそうは思わない。あと三十分もすれば、空は明るくなるって、ほら、窓から見える景色の端っこでわかる。あそこだけ少し光が滲んでる。あと一時間もすれば通りを車が走る音だって、犬を散歩させてる人の足音だって聞こえてくるはず。
ひとりぼっちじゃない。
「俺が一年向こうに行ったら、寂しい?」
「……」
俺はね、寂しいよ。自分で決めたことだから言っちゃダメなんだけど、でもやっぱり好きな人と一年一緒にいられないなんて平気なわけない。
「……寂しいよ」
でも、俺たちがしてた片想いは一年とかそんなレベルじゃなくてさ。その間、この人のことを好きだと言うことすら叶わないって我慢してたんだ。だから、もう好きだって言いまくってもいい状況で一年我慢なんてへっちゃらじゃんって思ってる。きっとあっという間だ。
「恋人としてはな」
「……」
「でも、叔父としては嬉しいよ。お前が立派になっていくのは」
「……」
「墓参りの時、自慢話を持っていける」
「……」
「それに、お前、一年なんて……って、凪? 人の話聞いてんのか?」
青い世界じゃ、きっと赤面したってわからないよな。少し影色が濃く見えるくらいのもん?
「凪?」
「だ、だって」
でも、今めちゃくちゃ照れてる。
「だって! 英次が悪いんじゃんか!」
いっつもふてぶてしいから「別に」とか「頑張ってこいよ」とか言われるんだと思ってたのに。なんだよ、素直に「恋人」なんて単語まで使って。すげぇズルい。予想外すぎて、心臓溶ける。
「バカ英次! 恋人とか、あ、あ、あ、あぃ……あ」
「愛してるよ」
「っ!」
起き上がった英次に頬を撫でられて、深くやわらかな声で告白された。
「……バカ」
優しくて、幸せそうな笑顔を向けられて、ひとつ深呼吸をする。
「俺も、愛、して、ます」
ちょっと、これ、震えるね。緊張した。愛してるって心の中では思っても、それを言葉にするってすごくドキドキする。
「一年で、向こうの飯食いすぎて、太って帰ってくるなよ? って言っても、盆だ正月だって、会社が長期休暇の時はそっちに行くけどな」
俺ってそんなに太りやすいほうじゃないんだけど。っていうかいっつももう少し太って肉付けろって言ってるの英次じゃんか。
英次が俺の手を取ってぎゅっと繋いだ。指をなぞられて、くすぐったいけど気持ち良かった。性的な気持ち良さじゃなくて、愛情を感じる気持ちよさ。
「一年経って、凪が二十歳になったら」
「な……った、ら?」
「ここの指に指輪を贈る」
「!」
嘘みたいだ。
「あ、こら、バカ、泣くな」
「だっ、だって! 英次が悪いんじゃんか!」
俺たちの「好き」は、たとえ男女だったとしても結婚は許されない。近親者同士のものだから、世界中がこの恋に怪訝な顔をするんだと思っていた。拒否されてしまう恋なんだって、そう思ってた。
「泣くな……止めてやる方法が思いつかないから」
「っ」
でも真っ青で少し寂しくて、孤独で、俺らしかいないような世界みたいに感じられたけど、今、そこに陽が差して、空気が輝く。カーテンの隙間から光が入ってくる。それはまるで、世界中が拍手をしてくれてるみたいだった。
真っ白な花を一面に飾った結婚式会場で歓迎の拍手をされているみたいに思えた。
「抱き締めてやるくらいしか、思いつかねぇよ」
「っいいよ。それが、いいっ」
まるごと抱き締めてくれる英次の背中に掌を重ねながら、どんどん光で満ちていくこの部屋で嬉し涙が止まらなかった。
「英次、俺がいない間もちゃんと飯食えよ」
「あぁ、お前はピーマンもちゃんと食うんだぞ」
「ぐっ……」
「ピーマン」
「わかったってば。た、食べる。あ! あと! 布団はあんま干しすぎない様に! ホント、加減がわかってねぇっつうか、夕方まで干さなくていいんだから、午前中で取り込めよ。ギリ二時くらいまで」
「だってお前、夜の営みの後とか色々汗だなんだって」
「ぎゃあああああああ! いいから! そういうのいいからっ!」
「……これでしばらくお前のこと抱けないんだな」
「……」
荷物はほぼ送ってある。俺らよりも先に荷物だけは向こうに到着してるはずだ。あとは俺と押田が飛行機のチケットを忘れずに、あ、そうだ、あとパスポート。ある。大丈夫、リュックの小さなポケットに入ってる。
今日、俺は勉強のために渡米する。実はさ、瀬古さんが俺たちに力添えしてあげるって言ってくれたんだ。瀬古さんの会社と英次が勤めてる会社が提携を結んで、海外の基点として一年、英次をこっちに寄越してくれないかって話を詰めてくれるはずだったんだ。でも断った。待てるし、俺も待ってて欲しかったから。
瀬古さんは、そういうところ、血縁だね、そっくりだ、って笑ってた。
「浮気すんなよ」
「はっ? 誰が! 英次だろ! 俺はずっと英次一筋だし」
「押田がいるだろうが」
「もう、向こうで彼女見つける気満々だっつうの」
「はいはい。そう言ってるだけだろ。あと、夜遊びすんなよ」
「しねぇし」
「酒は控えろよ。お前、酔っ払うと色気すげぇから」
「そんなのすごくねぇ! 酒は英次も控えろよっ!」
「あぁ、それと知らない人にはついていくなよ。お菓子あげるって言われても」
「いかねぇよ!」
お菓子で釣られるって、俺、何歳なんだよ。
「待ってる」
心臓、止まりそうだった。
「う、ん」
頬を撫でる英次の笑顔があまりに優しくて、どんだけ大事にされてるんだ俺って、なんか照れるくらい。
「ピーマン食えよ」
「うん、ぇ? もう! いいよ! そのピーマンネタ!」
今日何回目かのピーマンネタにぎゃんって怒ると、英次が笑ってた。いつもと変わらない俺に、楽しそうに笑って、一年後、日本に戻って来た時に英次が嵌めてくれる指輪をする予定の指を撫でた。
「気をつけてな」
「……うん」
一年、その間にたくさん勉強して、英次が。
「英次もね」
「あぁ」
英次が惚れすぎて困るくらいの良い男になって帰るから、ちょっとだけ待ってて。一年くらいあっという間だからさ。今までしてたお互いの片想いに比べたら楽勝。そして、この一年が終わったら、そこから何年一緒にいらえると思ってんの? って考えたら、ほらな、余裕すぎ。
「いってきまーすっ!」
玄関を開けて、外へ、ふたりの輝かしい未来のためにと飛び出す俺の声が、元気に、部屋の中に響いていた。
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