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拍手喝采の、その後

 英次をいつも見上げてた。  カッコよくて強くて、最高にセクシーで、ガキだった俺ですら英次の表情一つ一つに魅せられて、あんな男になりたいって思った。と、同時に、すごく、ものすごく強烈に恋をした。  何も目に入らない。英次だけをただ見上げて、アイドルもクラスの女子からの告白も、なんもかんも、俺が見上げる、少し高い目線より上には来れなかった。  久しぶりの日本の空気をいっぱいに胸に吸い込む。  空が高いなって思いながら、もう一回深呼吸をして、スマホを取り出した。 「あ、押田? おかえり。あはは、ただいま。もう着いた。そっちもだろ? あのさ、悪いんだけどさ……あ、うん。わかってた? だって、久しぶりだし、俺、今日一日中、うちにいると思うからさ。うん……そう、お願いします。押田は? あの子、サラをマジでこっち呼ぶの? あはは。二人の話は聞こえてねぇけど、サラとお前の表情見てたらわかるって。つか、空港でドラマ撮影かと思われたぞ、あれ、絶対に。ドラマチックすぎ。うん……そっか。頑張れよ。後は宜しく。そんじゃあな」  電話を切って、ひとつ深呼吸をした。 「……ただいま、親父、お母さん」  墓参り、いつも英次が一緒に来てくれてたっけ。少し駅から歩く霊園だし、送迎バスあるけど、俺は車酔いすることがたまにあるからって、どんなに仕事が忙しくても、英次が必ず一緒に来てくれてた。モデル事務所の社長ですごく忙しかったのに。墓参りだけ済ませてトンボ帰りだとしても、一緒に来てくれたっけ。 「今日は、俺ひとりなんだ。明日か……うーん、腰が立たなかったら、明後日? また、英次と一緒に来るよ」  一年ぶりの日本、帰国翌日に一緒に墓参りしようって言ってた。英次と。 「俺ね……」  でも、その前に、親父に言わないと。それと、ご先祖様もここにいるから。いっぺんに、ご挨拶。 「叔父の英次のことを愛してます。ごめんね。孫の顔は、諦めて」  お線香の香りが落ち着くって思えたのはいつからだっただろう。最初は嫌いだった。まるで、親父たちが死んでしまったみたいでさ。死んでしまったんだけど、信じられなくて、どうしてこの匂いがずっとするんだろうって、邪魔で、鼻先に漂うそれを手で払ってたっけ。 「今頃、お墓の中、大騒ぎ? でも、ずっとずっと好きだったんだ。英次のこと。今度、ふたりで挨拶には来るけど、先に言っておこうと思って」  いつも、俺は誰にも言えなかった。親父たちにも。でも、いつか言えたらって思ってた。その勇気を持てる前に親父たちが天国に行っちゃった。 「これはずっとガキの頃から隠してた俺自身のことのカミングアウトね」  ふたりで来る時は、報告だから。これから、ふたりで頑張っていきますっていう。 「あ、そだ。俺ね、向こうですっげぇ頑張ってきた」  英語もペラペラだから。舞台構成力とかすごくなってるから。チーフとか毎回ワンダホー連呼だからさ。すげぇ、頑張ってるよ。英次の隣に並べる男になるために。英次とのことを親父たちに認めてもらうために。だから、今、お墓の中、大騒ぎかもしれないけど、そのうち、俺と英次がそっちに行ったらお説教かもしんないけど。  でも、説教できないくらい幸せになってからそっちに行きます。 「また、来るね」  今度は、英次と来るよ。 「じゃあね」  立ち上がって、脇に置いておいたスーツケースに目をやると、そこに花が舞い落ちてた。 「……?」  青紫の綺麗な花。小さな野草の花だ。まるで、お墓のあるここの山に生えているのを摘んできたような花。 「……親父? ……おかあ、さん?」  英次が俺にくれたピアスと同じ色。俺が英次にあげたネクタイと同じ色、をした、花。 「……ありがとね」  まるで、ずっと天国から見守ってて「全部知ってるよ。おかえり」って、そう言われたような気がした。頑張ったね。頑張ってね、これからも。って、花束をもらったみたいに。  俺と英次にとってとても大切な色だった。 「指輪……こういう色の石とか組み込んだのとか、いいかもね」  そう呟いて、花を青空高くに掲げながら、深呼吸をした。  ちょっと、緊張する。 「……ふぅ」  する必要ないんだけど。俺は日本帰ってきたの、一年ぶりだけど、でも、英次があっちに来てくれたから、実際、会ってないのって、ただの四カ月ぶりなんだ、そんなに久しぶりでもねぇし。でもさ! でも! わかんねぇじゃん! 四カ月の間にめちゃくちゃ英次が更にカッコよくなってたらどーすんの? 俺、心臓止まって、今、めっちゃ大騒ぎになってそうなあのお墓ん中に行かないといけなくなるじゃんか。めっちゃ……やなんですけど。  っていうかさ、あんだけカッコいいんだ。綺麗な女の人が押しかけてきて、英次だって男じゃん。襲われて、ほら、その、浮気とか……してたら、なんて。 「………………ねぇな!」  うん。ない。だって、四カ月前に来た時、何回したと思ってんの、その前に来た時は? あっんなヤッといて浮気できるんなら英次、ただの種馬……。なんて、言葉を使ってるって知られたら、英次にげんこつ食らうな。叔父として、めっちゃ説教されそう。案外、真面目だからさ。あいつは。  とにかくだ。 「よし」  とにかく玄関の前で躊躇してる俺は自分ちだっつうのに、これじゃ不審者だから。危ない人だから。 「よー……し」  その時だった。 「お前なぁ……何分玄関前で俺を待たせるんだよ」 「!」  声、出ないっつうの。 「……おかえり、凪」  だって、玄関とこに英次がいて、俺を、なんでわかったんだよ? 帰って来たって。俺、緊張しすぎて、忍び足だったのに。 「ったく、お前はなんで泥棒みたいに静かに帰ってくんだ」 「……」 「わかるっつうの。俺の愛をわかってねぇな。っつうか、飛行機の時間知ってるんだから計算すりゃわかるだろうが、にしても遅かったけどな」  お墓参り行ってたんだ。それから帰って来たから遅くなった。っていうか、ずっと待っててくれた? 謝ろうと思った俺の頬に大きな掌が触れる。優しくて温かくて、心地いい最愛の人の手。 「……本物、だな」  会ったじゃん。四カ月前に。 「本物が、今、俺たちの部屋に帰って来たんだな」  もう、やばいって。 「……凪」 「ただいま……英次」  玄関が閉じるのと、俺がこの胸に飛び込むのはどっちが早かっただろう。  ただいま、おかえり、その言葉が、震える声が、唇が重なって、たまらなく甘くて優しい幸せが身体に満ちていくのがわかった。  十七の時に両親を火事で失った。高校二年の夏、あの日が俺の人生最悪の日だった。でも、それは逆に言えば、人生最悪の日はもう終わってるってことだ。だろ? なら、期待する。 この恋が実ることは奇跡的なこと、だと誰もが思う。でも、俺はずっと変わらずこの片想いを続けてきた。いつか、叶うかもしれないと信じて。だって、まだ人生最良の日は来てない。なら――。 「えーいーじー! 早く行こうぜー! 指輪!」 「別に急いだって急がなくたって、なくなんねぇよ。オーダーメイドにすんだから」  俺にはもうこれから、最良の日ばっか残ってるって、そういうことだ。そんで、その最良の日々をこの不敵に笑うめちゃくちゃ大好きな叔父と一緒に、生きていけるって、ことなんだ。

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