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(2)許し
ぐちゅりと水音を立てながら、青年がその長い指で男のナカを掻き回す。
「ぅ……く……、ん……っ」
男は手の甲で自身の口を塞ぐようにして、必死に声を殺している。
三本の指を揃えるようにして、男の敏感な部分を押し込むと、男の体がびくりと跳ねた。
「んんっ……っ……!」
息が上がるのを整えきれず、熱を持ってゆく身体に、男の肌はじわりと赤く染めあげられる。
「カース……気持ちいい?」
「っ、聞く、な……っ!」
リンデルに耳元で囁かれて、男は一層顔を赤く染めると乱れる呼吸の隙間から返した。
そんな男が愛しくて、リンデルはぐいと奥まで指を押し込む。
「んんっっっ! ぅ……ん……っ!!」
「もう、入れてもいいかな?」
「っ……、ん……っ」
声を抑えながらも、小さく頷いて応える男の額にリンデルはそっと口付ける。
男のじわりと汗ばんだ肌は、やはりどこか花のような香りがする。
どうしてこの男からは、いつもいい香りがするんだろう。
隊員達も、俺も、汗をかけばすぐ汗臭くなってしまうのに。
リンデルは不思議に思いつつも、目の前で追い詰められつつある男に尋ねるのは難しそうだと判断して、またの機会に尋ねてみようと思う。
そう。まだ明日も、その明日も、この男と二人きりで過ごせるはずだから。
青年は喜びに口端を緩ませながら、そっと自身を男の体内へと滑り込ませる。
「ぅぁっ、あっ、んんんっっ!」
ずぶずぶと入り込むと、そこはあたたかく柔らかくリンデルへ吸い付いてくる。ぎゅっと目を閉じて快感をやり過ごそうとする男がいじらしくて、青年はその目元に口付ける。
「カース……俺を見て……?」
囁かれて、黒い睫毛が震える。
荒い息に浮かされながらも、必死でリンデルに応えようと、その目を開こうとする姿が健気で、青年は堪えきれず腰を揺らした。
「んぁっ、つ、ぅ……っ、ふ、んんんっっ!」
ようやく薄っすらと開かれた瞳から、滲んでいた涙が一粒零れ落ちる。
男の口端から、飲み込みきれなかった雫が溢れて顎へと伝う。
今は朱に染まった浅黒い肌に、細い黒髪が濡れて張り付く様も、実に色っぽいとリンデルは思う。
「カース……すごい、えっちな顔してる……」
「……っっ!」
言葉にはならなかったが、男の眼光に「言うな」と訴えられて、リンデルは肩をすくめる。
けれど、そんな風に恥ずかしがる姿もまた、青年にはたまらなく愛しい。
男を愛しいと思うほどに熱くなる身体の芯で、青年は思うままに男を貫いた。
「ふ、ぅうぅっ、く、ぅ、ぅぁぁあああっっ!」
堪えきれずに男が漏らした声が、リンデルの耳に入る。
リンデルは男の両足をぐいと持ち上げると、さらに奥へとそれを突き入れた。
「ぁっ、は、っ……ぁああぁんんっっ!!」
びくりと大きく身体を震わせる男の頬を、涙の粒が転がり落ちる。
切なげに眉を寄せて、男がそれでもリンデルを見ようとしている姿に、リンデルは真っ直ぐな愛を感じて息が詰まる。
「カース……好き……。大好き……。もっと奥……行ってもいい……?」
溢れる想いを言葉に変えながら、頬を桃色に染めてリンデルが尋ねる。
「……っ、ぅ……」
男は苦しげな表情をほんの少し緩めて、視線で青年を受け入れる。
「痛かったり、苦しかったら……、無理しないで、言ってね……?」
リンデルは気遣う言葉をかけつつも、男の脚を自身の肩にかけ、男を押し潰すようにじわりと体重を乗せながら、更なる奥へと侵入を試みる。
「んっ……ぁっ……ふ、ぁっ」
未だかつて触れられたことのない部分にまで押し入られ、男が目を見開いて小さく跳ねる。
あの男も小さい方ではなかったが、リンデルのそれはさらに大きい。しかも、長さが……。
男が考えられたのは、そこまでだった。
「んぅ、あっ、あああああああっ!!」
ゴツンと骨に当たったかのような感触と同時に、全身に電流が流れるようなビリッとした刺激が広がる。
「ぅああああぁぁぁああああああぁぁっっっっっ!!!」
男の内側が勝手に収縮を始める。
「あぁっ……、カースの、ナカ……、すっごい、きつ、い……っっ」
ぎゅうぎゅうと締め付けられて、リンデルが声を漏らす。
「くぅっっっぅぅぅぅぅぅっっっっ!! んんんんんっっっ!!!」
男はビクビクと激しく痙攣する体をどうする事も出来ず、ただ歯を食いしばって強烈な快感に耐えている。
「んっ、こんな……、締めたら、俺、イっちゃ、ぅ、よ……っ」
リンデルがじわりと汗を浮かべて、ゆるゆると動かしていたそれをさらに早める。
リンデルが動く度、男の嬌声が止めどなく溢れた。
ゴツゴツと奥を抉られて、その度甘く広がる幸せな熱に、男は翻弄される。
こんなのは知らない。
奥の奥まで犯されて、それでもまだ、この青年が欲しいなんて。
もっともっとと縋りつきたくなるなんて。
「あっ、んんっ、リン、デルっあっぁぁぁああああっっっ!!」
男は震える指先を、青年へのばす。まるで助けを求めるように。
こんな激しい快感、耐えきれる筈がない。
けれど男は意識を失いたくなかった。
この青年を、こんなところで、俺以外に話し相手もいないようなところで、一人にしたくない。
「も、これ、ぃ、……っ、やめ……っっ、あぁぁぁぁっっ!」
リンデルは金色の瞳を滲ませると、男の手に頬を寄せる。
言葉こそ否定的だったが、リンデルの耳に届く男の声は、痛みや苦痛を宿したものでは無かった。
それどころか、甘く切なげなその声は、リンデルにはもっと自分を求めてくれているように聞こえた。
大丈夫だよ。とでも言うように、青年は優しく微笑むと、男にとって絶望的な言葉を告げた。
「んっ……イクよ……っ」
「まっ、あっ、ぁぁああああんんんんんっっ、んんんああああぁっ!!」
ひとまわり大きく弾けんばかりに膨らんだ青年のそれで、男のナカは限界まで押し広げられる。激しさを増すその動きで、ゴリゴリと奥まで貫かれて、男の視界が白色に滲む。
(ダメだ……、リンデルを……)
男が必死で金色の瞳を見上げる。
「あぁ、カース……っ、イク……っ、ぁああっっんんんんんっ!」
どくりと脈を打ち、男のナカへ焼け付くほどの熱さが広がる。
「くぅんんんっっっぁぁああああぁぁぁぁあぁんんんんんんんんんんっっっ!!!」
その衝撃に、男の視界はチカチカと明滅し、白色に青年の顔が滲んで溶ける。
(リンデルを……、置い、て、行きたく……な…………ぃ………………)
悔しさに噛み締めた奥歯が鳴る音は、男の耳にはもう届かなかった。
ギリッと奥歯を鳴らした男の声がぷつりと途絶えて、リンデルは顔を引き攣らせた。
「あ……、うわぁぁ……。また、カース、気絶させちゃった……」
意識を失ってもなお、男の体内は青年のそれに吸い付くように、ビクビクと痙攣を繰り返している。
そんな姿が、どうにもたまらなく愛しくて、リンデルはしばし男の顔をじっと見つめていた。
しかし、脚を持ち上げたこの姿勢のままでは鬱血してしまうだろう。
リンデルは残念そうに、渋々自身のそれを抜き取ると、男の足をそっと下ろす。
「ぅ……ん……」
微かに甘い声を上げて、男がびくりと痙攣するのを見て、リンデルはまた自身に力が戻ってくるのを感じる。
男に倣って、手拭いで自身と男のそれを拭うも、男のそれからは殆ど体液は出ていなかった。
一方でリンデルが入っていたそこからは、どろりとした液体が止めどなく溢れ出す。
拭き取ろうとそこを擦る度に、男は小さく肩を揺らす。
乱れた黒髪がかかる口元から、熱い息が漏れるのを聞いて、リンデルはごくりと喉を鳴らした。
「ええと……、寝てるのに、ごめん……」
謝りながらも、青年は先程のカースの言葉を胸に蘇らせていた。
俺なら、何をしても許してくれると、この男は言った。
ずっと昔、盗賊団にいた頃、わざとではなかったが、この男を酷く激昂させるようなことをした事があった。
それでも、男はリンデルを傷付ける事なく、ただ許してくれた。
今日だってそうだ。半年も待たせてしまったのに、カースは俺を責めたりしなかった。
どうしてこんなに、彼は俺に寛容なんだろう。
どうしてこんなに、彼に応えきれない俺を、愛してくれるんだろう。
その理由は分からないままだったが、男の愛と、自分の男への愛は紛れもなくここにあった。
リンデルは男を布団の真ん中へ横向きに寝かせると、自分もその隣へと滑り込む。
そして肩まで布団をかけると、男の背にぴたりとくっついた。
自分の脚を男の脚の間に割り込ませ、後ろ側をそっと撫でる。
そこはまだ熱を帯びて柔らかく、触れれば小さくピクリと反応した。
「……カース……」
リンデルは、僅かに上擦った声で男の名を呼ぶと、既に反り返るほどに勃ち上がってしまったそれを、男の後ろへとあてがい静かに侵入する。
「……っ、う……ん……っ」
意識の戻らない男が、それでも小さく震え、リンデルを受け入れる。
それがあまりに嬉しくて、リンデルは僅かに腰を揺らしてしまう。
びくりと男の肩が跳ね、息が揺れる。
「ん……ごめん。続きは起きたら、しようね……」
男にそう囁くと、リンデルは目を閉じた。
男の髪から、ふわりとリンデルの大好きな香りがする。
花のような香りに男の汗の匂いが混じった、この香りがリンデルはたまらなく好きだった。
「カースの匂い……大好き……」
男を抱き締めながら、男の内側に包まれて、そのあたたかさを全身で感じる。
きっと、目覚めたら、またカースに呆れられてしまうんだろう。
やれやれといった顔で俺を見て、宝石みたいな瞳を細めて、困ったように笑うんだ。
そして、それでも俺を許してくれて、優しくキスをしてくれる。
「ふふ。楽しみだなぁ……」
青年は愛に満たされた気持ちのまま、ふかふかのベッドでゆっくりと眠りについた。
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夢の中で、何かが叫んでいた。
それが欲しいと。
そのあたたかい、温もりが欲しいと。
それに触れたくて、人に触れたくて。
けれど、触れても、その中を開いてみても、赤いものが流れてゆくだけで。
全てを喰らってみても、それはまるで手に入らなくて。
気が狂いそうなほどに、その何かは愛を求めていた。
夢の中、両腕いっぱいに溢れそうなほどの愛を抱えていたリンデルは、その何かに気付かれてしまう。
それが欲しいと手を伸ばされて、リンデルは一瞬躊躇った。
こんなに抱えているのだから分けてあげれば良い。そう思う自分と、
これは俺だけがカースに注いでもらったもので、誰にも触らせたくない。と思う自分。
葛藤している間にも、その何かはリンデルへと腕を伸ばす。
身を躱すことも出来ず立ち尽くすリンデルごと、その腕は愛を飲み込んだ。
「……っ!!」
声にならない悲鳴と共に、リンデルは目を覚ました。
途端、全身から冷や汗が噴き出す。
「リンデル? 起きたのか?」
カースの落ち着いた声が聞こえる。
ああ、夢だったのか……。と理解してリンデルはホッとする。
「どうした。怖い夢でも見たのか?」
男が撫で辛そうに、後ろ手でリンデルの髪を撫でる。
青年のそれが目覚めとともに生理的に起立する。
「……ん……っ」
男の小さく漏らした声に、青年は彼が自分のために目覚めてからもそのまま身動きせずにいてくれたのだと理解した。
「カース……、ありがとう……。大丈夫、だよ……」
言って、リンデルは男の背中にしがみつく。
けれど、先程感じた底知れない恐怖がまだすぐそばにあるような気がして、身体はひとりでに小さく震え出した。
「リンデル……顔が見たい。抜いてもいいか?」
律儀に尋ねる男に、青年は顔を男の背に押し付けたまま小さく答える。
「…………やだ」
ふう。と呆れるような男のため息が聞こえる。
それでもリンデルは、男の背にぴたりとくっ付いたまま、なるべく深く息をして、震えを抑えようとしていた。
本当に、心の底から、怖いと思った。
命を失うかも知れない恐怖とはまた違う。
カースの愛を失うなんて。
そんなこと、考えもしなかった。
あの時、こちらに手を伸ばしてきた何かは、真っ黒で不気味に蠢いていて、まるで魔物のようにも見えたけれど、その姿形は紛れもなく人だった。
リンデルは、この夢がただの夢ではないことを、心で理解する。
「カース……俺のこと、好き?」
寝起きだからか、ほんの少し掠れるようなリンデルの小さな声。
「ああ、もちろん。……分かってるだろう?」
カースの声が、リンデルをいたわるように、慰めるように、優しく囁く。
「……もし、他の誰かが、どうしても俺を欲しがって……。俺が、それに応えたいと思ったとしたら……」
カースが静かに息を詰める。ぎゅっと背にも腹にも力が入ったのが、繋がっていたリンデルには分かった。
酷な質問をしているのは分かっている。
けれど、どうしても、今、聞いておきたかった。
「……カースは、許してくれる……?」
「……っ」
男が手で口元を覆ったのが分かった。
今、彼は泣きそうな顔をしているのかも知れない。
こんなのは卑怯だと、リンデルは気付く。
あの時、躊躇ったのは自分なのに。
答えが出せなかったのは自分なのに。
その答えを、彼に出させようとしている。
「っごめん! やっぱり今のは、なかった事にーー」
慌てて取り消すリンデルの声に被せて、男が答えた。
「……許すよ」
「え……?」
「許すよ。お前がそうしたいなら、そうすればいい」
男は、凛とした覚悟を乗せて、はっきりと言葉を紡いだ。
「まあ、俺はあんま出来た人間じゃねぇからな。ちったぁ妬くかも知れねぇが……」
声に、苦笑が混じる。けれどそこに悲痛さはなかった。
「お前が、他にも大事にしたい奴がいるなら、それを俺のために我慢する必要なんかねぇよ」
そして男は笑って言った。
「大体、お前の愛は多過ぎて、俺一人じゃ抱え切れねぇんだよ」
ぽんぽんと、宥めるように、リンデルの髪を男が撫でる。
言われて、リンデルは解った。
この男は今までリンデルを自分だけのものにしようとした事なんてなかった。
俺に全てをくれると言ってくれたけれど、俺のことを縛ろうとはしなかった。
いつでも、この人は俺に自由をくれる。
自由に選択する権利を、くれる。
きっとこの男の愛は、相手を尊重する愛なんだろう。
人生のほとんどを様々なものに囚われて生きてきたこの男ならではとも思える、その深い愛に、リンデルの目の端に涙が滲んだ。
「……カースは……俺に甘過ぎるよ……」
「……そうだな」
男は柔らかな声で答える。
「「昔から」ね」
声が重なり、二度目になる会話に二人は苦笑する。
笑った拍子に、男はナカを擦られて小さく息をつめる。
「……っ」
リンデルのそれは、男の愛に触れすっかり強度を取り戻していた。
「……もう一回、してもいい?」
「むぅ……ダメとは言わねぇが……少しは手加減してくれ」
許可をもらって、リンデルは一度それを抜くと、ずっと横向きでこちらに背を向けていた男を仰向けにさせる。
ほんの少し潤んだ森と空の瞳がリンデルを見上げる。
それだけで、リンデルの胸が弾む。
「うーん……手加減かぁ……難しいなぁ……だって、カースが凄いえっちなんだもん」
と、ぶつぶつ呟きながら、青年はもう一度男に自身を挿し入れる。
「っっ、人の、せいにすんな……っ、もう、そんな、若くねぇんだよ……っ」
僅かに喉を反らして、息を吐きながら男が反論する。
ゆっくりと奥まで入れた青年がゆるゆると腰を動かし始める。
「んっ……、く……っ」
見る間に男の頬が染まってゆくのを、リンデルは堪らない気持ちで見つめる。
「こんなに、感じてるのに?」
「も……っ、そういう、の、……っ、ほんと、勘弁してくれよ……っ」
男が恥を耐えるどこか悔しそうな様子に、リンデルは苦笑する。
その照れた姿もまた、どうしようもなく愛しいと言うのに。
そんな風にされればされるほど、こちらは昂ってしまうのを、もしかしたら男は分かっていないのかも知れない。
リンデルはチラと窓を見る。カーテン越しの日差しはまだ陰る様子が無いが、昼はとうに過ぎている。
「そういえば、お腹減ったなぁ」
「んっ……先に、……っ、食べるか?」
「終わったら、食べよ?」
にこりと悪戯っぽくリンデルに微笑まれて、カースの頬に冷や汗が伝う。
「っいいか、絶対……っ手加減、しろよっ、飯っ出せねぇだろ……っ」
息を荒げながらも、必死で男が訴える。
「うーん……善処します」
と答えながらも、青年は大きく腰を振った。
「リンデルっぅ、あぁっっ!」
思わず声を上げてしまった男が、また恥辱に眉を寄せ手の甲で口元を覆う。
鮮やかに色付いてきた肌に、柔らかな黒髪が揺れ落ちてサラリとかかる。
青年が突き上げる度、僅かに漏れる甘い声に合わせて、黒髪が踊っている。
じわりと滲んだ森と空の瞳で念を押すように睨まれて、リンデルは口元を弛ませると、小さく囁いて男に口付けた。
「カース……、大好きだよ……」
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リンデルと共に行くと決めてから、カースは毎日鍛錬を続けていた。
元々、盗賊時代は良く動く方だった。
二刀のダガーを振るう二刀流を主にしていたが、生憎と今は片腕しかない。
物心付く頃から国を焼け出されまでずっと剣術の指南も受けていたが、いざリンデルの剣を借りて振ってみると、これがまた片腕では長剣の重みに対してバランスが取れない。
結局、カースはダガーを一本と、どこか癪ではあるが、盗賊の頃あいつに教わった鞭を持っていくことにした。
扉の音がして、青年が家に戻ってくる。
外は雪がそこそこ舞っていたらしく、玄関先でリンデルはパタパタとフードの雪を落としていた。
「カース腕立て? 頑張ってるね」
「……お前ほどじゃ、ねぇよ」
片腕で腕立てを続ける男にじとりと半眼で見られて、青年はキョトンと男を見返した。
「俺は、現役の頃の半分もやってないよ」
苦笑を浮かべて答えるリンデルは、この村を三周ほど走ってきた後だった。
ほとんど息も切らさず、疲労の色もないその姿を一瞥して、男はそっと腕立ての残り回数を増やした。
ぽた。と男の汗が顎を伝い落ちるのを見て、リンデルがその隣へしゃがみ込む。
「あんまり、無理しなくていいんだよ? 俺、カースに戦ってもらおうとは思ってないから」
「分かってる……、よっ。ただ、荷物に……なりたくねぇん、だ、よっ」
雪が溶けてから向かうにしても、北の山が過酷であることは間違いない。
少なくとも、今のままの体力ではカースがリンデルやロッソの足手まといとなる事は避けられないだろう。
一応、ロッソを冬祭りに誘う手紙を送ってはみたが、やはり向こうは一年だけと定めて過密なスケジュールで色々と詰め込んでいるらしい。
あんまり無茶してないと良いけど……と呟くリンデルに、カースも苦笑していた。
そんなわけで、この冬二人は生まれて初めて、誰にも邪魔されず、二人きりの時を過ごしていた。
暖炉の中で、パチパチと音を立てて薪が燃える。
それをぼんやりと眺めながら、リンデルが呟いた。
「ねぇ、カース……」
暖炉の前に敷かれたラグマットの上に、カースが毛布に包まるようにしてあぐらをかいている。
その男の脚の間に、リンデルは膝を抱えるようにしておさまっていた。
「なんだ?」
男が短く、しかし柔らかな声で応じる。
「来年も、あの灯を一緒に見られるといいね……」
どうやらリンデルはこの炎の向こうに昨日の夜空を見ているらしい。
男は青年の顔を覗き込もうと、背を傾ける。
そんなカースの気配に気付いてか、リンデルが男にもたれるようにして首を反らした。不意に至近距離に現れた青年の唇に、男はそっと口付ける。
「……いちいち物騒な話をするんじゃねぇよ」
唇を離されて、ほんの少し淋しそうに金色の瞳を細めてから、青年が聞き返す。
「ん……。物騒なの?」
「お前は俺が、絶対に死なせやしない。もう考えるな」
男は青年を背からそっと抱き締める。
決意の篭った低い声に、青年はどうしようもなく胸が震える。
毎日、彼が鍛錬を欠かさないのも、全ては俺の為だ。
カースは決して恩着せがましいことは言わないけれど、彼の時間は俺の為だけに使われている、とリンデルは思う。
ロッソも同じだろう。
今この時も、きっと机で事務書類を抱えて……いや、事務書類を抱える新従者の横で、処理に間違いがないかと目を光らせているに違いない。
俺の為に。
俺の元に、春が終わるまでに駆け付ける為に……。
こんなに……、こんなに二人に注いでもらえて、それをただ受け止めるだけではいられない事は、リンデルにももう分かっていた。
俺が受け取ってきた愛を、渡さないといけない。
いや、このあたたかさを分けてあげたい。
あの北に住む何か…………違うな。……誰か。に。
炎に照らされて、金色の瞳が深い決意の篭った輝きを放つ。
カースは、ふと覗き込んだリンデルの表情に、その荘厳さに、息をする事すら忘れた。
歴代の勇者を遥かに超える、真の勇者の横顔を見たのは、まだこの時、この男一人だった。
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