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(7)釣り

近くに川はないかとリンデルに尋ねられて、ケルトは三人を水源に案内した。 岩の隙間から溢れ出る水は、量こそ多くはなかったものの、清らかで十分飲用に適した水質だった。 「これでしたら、水の心配はいりませんね」 あれこれと調べた上でそれを試飲したロッソが、ホッとした様子で水を水筒に汲んでいる。 「あと何日くらい持つかな?」 リンデルの言葉に、ロッソが思案顔で答えた。 「そうですね、持参したものだけで三日ほど……。なるべく食料を現地調達するとしても、あと五日が限度でしょうか」 「そうか」 「ここから村までにも、七日はかかりますので」と従者は言い添えた。 少年はそのやりとりを、酷く寂しそうに見つめていた。 じわり。と少年の輪郭がぼやけて、リンデルはすぐさま少年の肩を抱いた。 そっと撫でながら、伝える。 「大丈夫だよ。それまでに、必ず、方法を考えるから」 励ますようにあたたかく囁くリンデルへ、ロッソが遠慮がちに声をかける。 「一度戻ってから、テント等を用意し、また来るという手段もありますが……」 「そうだね。どうしても良い方法が見つからなければ、出直しも検討しよう」 だから、心配いらないよ。とリンデルは赤い髪の少年へ微笑みかける。 「……また来るまでに、どのくらいかかるんだ?」 ケルトはボソリと呟くように尋ねる。 質問へはロッソが答えた。 「そうですね……往復だけでも十四日は必要ですが、支度も含めますと早くて十七日ほどでしょうか……」 「……そんなに……会えなくなるのか……」 消え入りそうな声でつぶやく少年を、リンデルがひょいと抱き上げる。 「ぅわっ」 肩に乗せられて、少年が思わず声をあげる。 「こっ、子供扱いすんなよっ、オレはお前らよりずっと年上なんだぞ!?」 「そうだよね。ごめん。」 と素直に謝るリンデルが「でも……」と、水源から生まれる細い清流を指す。 「ほら見て。ここから見たら、すごく綺麗だよ」 言われて、ケルトは目を丸くする。 毎日のように使っていたこの場所が、視線を変えただけでこんなに見たことのない風景に変わったことが、少年にはどこか信じられなかった。 「……ほんとだ……」 小さく溢れた感嘆の声に、リンデルは「ふふっ」と嬉しそうに笑う。 「ケルトはどこで暮らしたい? ここが気に入ってる?」 リンデルは、そんなケルトと同じ景色を見つめながら尋ねる。 「どんな生活がしたいとか、希望があれば何でも言ってみて。  全部は難しいかもしれないけど、俺にできることなら、叶えたいんだ」 言われて、ケルトはそれを繰り返す。 「……オレの、希望……?」 あんなところに住みたいとか、こんな風に暮らしたいとか。 塔に隔離されてた頃は、遠い街並みを眺めながらあれこれ想像していた気がする。 でも、もうあまりに遠くて分からない。 海辺だとか、丘の上だとかに憧れていたような気がするが、本当は、場所なんてどこでも良かったのかもしれない。 ただ一人でいるのが、どうしようもなく寂しかった。 一人になるのはもう嫌だ。と。ケルトは強く思ってしまう。 彼らと過ごしたわずかな時間で、ケルトは人と過ごす時の幸せを。 一人の辛さを、忘れかけていた寂しさをハッキリと思い出してしまった。 「オレは……、リンデルがいるなら、どこでも……」 言われて、リンデルは驚いたように少年を見た。 失言に、慌てて少年は視線を逸らす。 「……俺で、いいの?……」 細めた金色の瞳が、ゆっくり瞬いてじわりと滲んでゆく。 それが悲しみだと気付いたのはカースだけだった。 「っ、別に、お前じゃなきゃ、ダメってわけじゃ……」 そこまでで、少年の声は途切れた。 ぎゅっと、リンデルの肩を掴む小さな手に力が篭る。 リンデルは少年の小さな背を優しく撫でた。 この少年が、人らしい形であれるように。 「…………お前が、いい……」 ぽつりと小さな呟きが、リンデルの耳だけにそっと届く。 「ふふ、ありがとう。光栄だよ」 青年は嬉しそうに微笑んで、同じように少年だけに聞こえる声で囁くようにそう答えた。 ---------- 少年は、基本的に安定していたが、それでもリンデル達がちょっと気を抜いた隙に、ポツポツと魔物を生み出していた。 倒せる程度の数なら、ロッソとリンデルで倒していたが、多い時はカースの力で追い払う他無かった。 なので、三人はケルトが寝ている時以外は、なるべく彼の側にいた。 食事の必要もない体のケルトだったが、睡眠だけは見た目通りに取った。 それは、三人にとって本当にありがたいことだった。 灯りのない生活が長かったからか、彼は陽が沈むと眠り、朝日と共に目を覚ました。 ケルトは、川岸の木にもたれるようにして座り込んでいた。 手持ち無沙汰なのか、手は頭の後ろで組んでいる。 ケルトの視線の先、浅い川の中では、カースがゴソゴソと石を撫でたり返したりしては網を振っていた。 「なあ、さっきから何してんだ?」 見てれば分かるかも知れないと思っていたらしいケルトが、首を傾げながら声をかける。 カースは、ずっとケルトが見ている事は分かっていたが、声をかけられて、ようやく顔を上げた。 「釣り餌にする虫を、集めてる」 「釣り!?」 ケルトが聞きなれない単語に身を乗り出す。 なんだそれ、面白そう。というのが顔に浮かんでいて、カースは内心苦笑した。 「やってみるか?」 声をかけると、ケルトはしばらくうろうろと視線を彷徨わせてから 「……別に、付き合ってやってもいいぜ?」 と答えた。 「分からないことは教えてやる」 落ち着いたカースの言葉に、少年はホッとしたような顔をする。 どうやら釣りは初めてらしい、と判断して、カースは竿の持ち方から狙い方までを手を取って丁寧に教えてやった。 竿といっても、そこらの枝をカースが適当に整えただけのものだったが、釣られ慣れていない魚達は警戒心も薄く、慣れないケルトの竿にも気前良くかかった。 「お、わっ! な、なんかかかったぞ!?」 竿をクンッと引かれて慌てるケルトの後ろから、男が手を添える。 「落ち着け。ああ、十分かかってるな。慎重に寄せてこい」 ケルトは引いたり引かれたりを繰り返しながらも、なんとかそれを岸まで寄せる。 「なかなか良い型じゃねぇか。初めてにしちゃ、上出来だな」 川に入って網を構えていた男が魚影を捕らえると、ケルトは飛び上がらんばかりに喜んだ。 そうして数匹釣り上げると、男は余った餌を川へと戻した。 ケルトはもっとやりたがったが「また明日な」と男は答えた。 「そっか……。また明日……か」 ケルトは俯いて、けれど少しだけ嬉しそうに呟いた。 「絶対だぞ!」 と屈託なく笑ったケルトに、カースはほんの少し驚く。 こんなに素直に笑うことが出来る、少年だったのか。と。 それと同時に、そんな子が、こんなところでずっと一人でいたのかと思うと、どうしても胸が痛んだ。 「おーいっ、リンデル見てみろ! オレが釣ったんだぜ!」 洞穴が見えるあたりまで戻ると、ケルトは声を上げながら金色の青年へと真っ直ぐ駆けて行く。 その背を目を細めて見送りながら、カースは魚を焼くための串を作っていたロッソの隣まで行くと、肩をポンと叩いた。 「お前のおかげだ」 竿の先に結ばれた糸は、黒く長く頑丈で、魚との勝負でも負けることがなかった。 それは、ロッソの髪だった。 「いえ、お役に立てたのでしたら……」 ロッソは顔を上げて、そのカースの嬉しそうな表情に一瞬見惚れてしまう。 こんな表情を向けられた事が、今まであっただろうか。 頰が熱くなってゆく気配に、ロッソは慌てて作業に戻る。 「な、何匹、釣られたのですか?」 「九匹だ」 「ではあと二本ですね」 とナイフを動かすロッソに「手伝うか?」とカースが声をかける。 「いえ……でしたら、魚の下処理をお願いできますか?」 「済ませてきた」 カースは、既に川で鱗を落とし内臓を出してから戻っていた。 見れば向こうでは火の支度を始めていたリンデルが、キラキラとその金色を輝かせながら、ケルトの話を聞いている。 カースは、この束の間の平和な風景がずっと続く事を一瞬願いかけて、首を振った。 こんなのは、まやかしだと、そう自分に言い聞かせる。 いつか終わりが訪れる事を、この場の全員が分かっているはずだ。 そう思いながら、カースはもう一度二人を見る。 ケルトは腕を精一杯広げながら、どんなに大きい魚を逃したのか。と話しているようだ。 そんなにデカくは無かっただろう。と内心つっこみながらも、男は黙ってそれを眺める。 金色の青年と赤毛の少年は、嬉しそうに顔を見合わせて笑い合った。 男は、胸に刺さる痛みに、ただ息を詰めた。 ---------- 翌日、カースとケルトはまた川に居た。 昨日の夕方から降り始めた雨は、今も止むことなく続いていたが「約束しただろ!?」とケルトに言われて、カースは要求に応えた。 「ぜんっぜんかかんねぇなー……」 ケルトが待ちくたびれて、竿から手を離す。 「まあ、こんだけ濁ってちゃな」 カースが当然とばかりに答える。 ちぇー。と口を尖らせて呟くケルトに、カースはポツリと尋ねた。 「お前は、まだずっと、この先も、生きたいと思うか?」 その言葉に弾かれるように、少年は男を見る。 男は静かな瞳で水面を……竿の、その先を見ていた。 「俺は、ずっと、死にたかった」 カースの言葉に、ケルトは小さく驚きの声をあげる。 「……この眼のおかげでな……、まあ、色々あったんだよ。  大勢の人生を……、俺が駄目にしてしまった」 ケルトは黙って男の話を聞いた。 「一人になってからは、死んだ方がマシな事ばかりだった。  だが、どうしても、死ぬわけにいかなくてな。  俺を生かすために、死んだ者達の顔を、俺は忘れられなかった……」 カースは、そこでやっと隣に座るケルトを見る。 「……お前には、酷だったか?」 「……いや」 問われて、ケルトはそれだけ答えた。 「お前は、生きたいと思ってるのか?」 カースは森と空の色をした瞳で、まっすぐケルトに問いかけた。 ケルトはその瞳の柔らかさに、自分が責められていない事を理解する。 むしろ、男の瞳はケルトを優しく包むように感じられた。 「オレは……崖から飛び降りたよ。死んだと思った。  ……でも、気付いたら、戻ってるんだ。  どうしてかは分からない。けど何度やっても同じだった」 正直なケルトの言葉に、カースは苦笑を浮かべて答えた。 「そうか。そいつは難儀だな」 男は不気味がることもなく、大したことでもなさそうに返事をした。 「カースがオレを殺せるんだったら、……別に、殺してくれていいぜ?」 ケルトはそう言った。 その輪郭ははっきりと人の形を保っている。 「そうだな……。あの二人は、人なんか殺せねぇだろうしな」 「オレは、もう人じゃねぇ……って、カースは……人を殺したことがあるのか?」 「……どうだろうな」 問われて、男は口端を上げると暗く笑った。 「お、引いてるぞ」 「えっ、あっ!!」 岩の間に立てていた竿先が確かに震えて、ケルトは慌てて飛び付く。 この日釣れたのは、この一匹だけだった。 帰り道、肩を落とすケルトのしょんぼりした背を叩くと、カースは上を指差した。 「知ってるか? あの実は火を通せば食えるんだ」 「……そうなのか?」 「ああ、結構うまいぜ。ただ、落ちると食えねぇくらいぐちゃぐちゃになっちまうんだよ」 言われて、ケルトがじゃあどうすれば?と思案顔になる。 「俺が鞭で落とすから、この網で受け止めてくれるか?」 男に網を差し出されて、ケルトは途端に元気を取り戻した。 「おう、任せろ!」 まだ雨の残る中を、バケツにいっぱいの木の実を抱え、満面の笑みでケルトは帰ってきた。 「リンデルーっ、見てみろよ、これ!」 駆け出すケルトを見送って、内心ホッと息をついた男に、ロッソが状況を報告すべく寄る。 カースがケルトの面倒を見ている間、リンデルはロッソに穢れを落とされているはずだった。 昨夕からの雨のせいで、リンデル達も洞穴へ逃げ込んでいた。 そのため、昨夜はあまり派手にはできなかった。 「……申し訳、ありません……。あまり、落とし切れませんでした……」 ロッソの悔しげな様子に、カースはほんの少し眉を寄せつつも、その頭を撫でた。 バチっと弾ける鋭い感触に、この従者が十分に働いた事を知る。 「ロッソ、思い詰めるな。お前はよく頑張ってるよ……」 従者はその言葉に、ただ唇を噛み締めることしかできなかった。

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