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(8)とっておき
ケルトは、その日も三人と一緒に朝食の席についていた。
もう村を出て十日を超え、パンも硬くパサパサしたものになっていたが、枝を削った串に刺して軽く炙ったそれを、ケルトはあたたかいと喜んで食べた。
「オレが食べなきゃ、もっと長く居られるんじゃねぇのか?」
と遠慮するケルトに、リンデルは
「ケルトはそんなに沢山食べないから、変わらないよ。一緒に食べよう?」
と微笑んだ。
椅子がわりに、リンデルが木を倒した木を二本、ベンチにしていたが、ケルトがリンデルにピタリとくっつくので、結局リンデルが膝に乗せていた。
ロッソは、リンデルが少年を乗せている間中、痛みを耐えているのではないかと思うと気が気ではなかった。
ロッソの隣に座っていたカースは、ロッソの細い指が震えているのに気付くと、その顔を見て内心舌打ちをした。
「ロッソ」
カースに呼ばれ、手招きをされて顔を寄せると「そんなものを顔に出すな」と耳元で忠告される。
続けて「俺の荷物に瓶入りの蜂蜜がある。出してやれ」と言われ、席を立たせてもらった。
呆然としながらも、ロッソはカースの荷を探る。
ロッソは今まで、表情をあまり表に出す方ではなかった。
今でも、そのつもりでいたのだが、どうやらそれは崩れつつあるらしい。
よくケルトを膝に乗せているリンデルの下半身の穢れは、もうとても一日では落としきれなくなっていた。
日々少しずつ黒ずんでゆく主人の身体に、ロッソは今にも理性を食い潰されそうだった。
ロッソもカースも、できる限りそれを落とすよう毎夜尽力したが、それもそろそろ限界だ。
こんな事なら、最初にもう少し短い日数を告げておけばよかったと、ロッソは自身を激しく責める。
主人は、帰宅を早める提案を「それこそ彼が不安がる」と受け入れてはくれなかった。
「広範囲で、ネズミやアリすらいない環境を作れればいいんだよね」
瓶を取って戻ると、リンデル達はケルトの暮らせる場所について話していた。
「まあ、幾らかは湧く前提で、倒せる体制を整えとくしかねぇな」
男の言葉に、リンデルは頷きながら
「なんでも魔物化するってわけじゃなさそうだしね」
と答える。
「確かに、虫でも幼虫のような魔物は見ませんね」
と、ロッソも極力なんでもない顔をして、その話に加わった。
カースの取っておきの蜂蜜は、ケルトだけでなくリンデルまでも大喜びさせた。
「甘っ! 甘ぁぁぁぁぁっっ!!」
ケルトが淡い緑の瞳を潤ませて、それをスプーンで口に運んでいる。
「カースっ、こんな良い物持って来てるなんてっ、もっと早く出してくれたら良かったのに!」
そう言いながらも、リンデルは口元を緩ませて、パンに溢れんばかりの蜂蜜を塗ったものを頬張った。
「取っておきだっつったろ? こーゆーのは取っておくからこそ、取っておきなんだよ」
面倒そうに答えつつ、カースはそんな二人を優しげな瞳で眺めている。
食後、立ち上がろうとしたリンデルがふらつくのを見て、男が肩を貸す。
チラと見れば、洞穴ではまだ、ロッソのナイフの手入れに興味を惹かれたらしいケルトに、ロッソが投げナイフの技を披露していた。
視線で知らせて、ロッソの頷きを受けると、カースはリンデルを簡易テントへ運んだ。
テントは、ようやく足元の水が捌け、今朝立て直したばかりだった。
「リンデル……」
そっと敷布に青年をおろして、カースがその名を呼んだ。
顔色が悪い。胸が苦しいのか、息が上手くできていないのだろう。
「ん、大丈……夫……じゃ、ないか」
リンデルの苦笑は、苦しさの方がずっと多く、痛々しかった。
「カース……」
助けを求めるように伸ばされた手に、男が応える。
口付けて、抱き締めると、青年は弱々しく男の肩に顔を埋めた。
ロッソは、テントとは反対の方向で、僅かに魔物の気配を感じた。
ケルトが以前生み出した魔物の中には、山を降りずにそこらをうろついている物もいる、おそらくこの気配もそうだろう。
魔物の気配は一体分で、疲労の色濃い主人を思うと、自分が一人で処理するべきとロッソは判断した。
ロッソはケルトを一瞥する。
座り込んで作業に夢中になっている姿に、今なら、とロッソは魔物の気配のする方向へと疾った。
ケルトはリンデルにもらった皮で、洞穴のコレクションを磨いていた。
こうすればもっとピカピカになるんじゃないかな?と、リンデルは装備を磨くための滑し皮で石を磨いて見せた。
今までも自分の服の裾でゴシゴシと泥は落としていたが、それよりも格段に表面が美しく輝いて、ケルトはその作業に没頭していた。
たくさんのケルトの石の中でも、今磨いていたのは、ケルトの手にすっかりおさまるサイズの、特別お気に入りの石だった。
ほんのり透き通る青緑色の石が、磨かれて、格別に美しく煌めいた。
リンデルにも見せてやろう。
きっと、喜んでくれる。
あの金色の瞳が微笑むのを思い浮かべて、ケルトは石をぎゅっと握り締めテントへと駆け出した。
「ん……っ、あっ……」
リンデルはその胸に溜まった穢れを、男の指先で払われていた。
「余計な声を出すな」
カースに嗜められて、それでもリンデルは蕩けそうな瞳で微笑む。
「だって、カースの指……、気持ち……良くて……」
リンデルは男の手を取ると、ちゅ。とその指先に口付ける。
「ねぇ、もっと、して……?」
物欲しそうにねだられて、男はため息を吐いた。
リンデルが、ギリギリまで神経をすり減らしているのは知っている。
けれど、状況を考えると、その要求に今応えるのは躊躇われる。
「カース……」
リンデルは、堪えきれない様子で、金の瞳を滲ませて男に口付けた。
舌を割り入れられて、男が小さく息を詰める。
「ん……っ」
突然、ざわり。と間近で魔物の気配を感じて、二人は振り返る。
そこには魔物ではなく、ケルトが立っていた。
テントよりもかなり向こうで、たまたま、旗めいた布の向こうから、それが見えてしまったのだろう。
「二人は……恋人同士、だったのか……」
掠れるような小さな声。
なぜか酷く裏切られたような気がして、ケルトはじわりと後退った。
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