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3-1-マスト
高性能の抑制剤でも抑えられない欲望があった。
アルファに通常起こっていた発情期 よりも多大な影響を及ぼす特異的生理現象・マスト。
語源は成獣のオス象が迎えるマスト期からきている。
生殖本能・性フェロモンが著しく増加し、日常生活に支障を来たすどころか周囲を傷つけかねない暴力性も跳ね上がる。
多大なストレスが脳にかかって「いきみ」による頭部の圧が上昇し、白目に出血が生じるのも特徴的な変化だった。
また一時的な記憶障害を招くとも言われている。
「ひ……比良くん……」
ラット・ヒートよりも発生率は極めて低かったものの<第二の性>と共にマストは昔から存在していた。
今現在、抑制剤 を唯一拒絶する発情期 であった。
(比良くんがマストになるなんて知らなかった)
目下、比良に床ドンされ中の柚木はゴクリと喉を鳴らす。
赤く染まっている彼の双眸に驚きを隠せずにいた。
若年層アルファの内、ほんの極一部が経験するマスト。
抑制剤が効かない、未だに詳しく解明されていない謎の発情期。
俳優やアスリートで公表した人間もいたが、彼等にはある共通点があった……。
(いや、もしかして今日初めてなったんじゃーー)
ビリッッ
「え!?」
パーカー下に着ていたネルシャツをボタンが弾け飛ぶ勢いで引き裂かれた。
両手首を床に縫い止められて柚木は唖然とする。
すぐ真上には<比良くん>じゃない比良がいた。
険しげに眉根を寄せ、息を荒げ、鋭い目つきで睨んでくる変わり果てたクラスメートがそこにいた。
(怖い)
誰だろう、これ。
こんなの比良くんじゃない。
今すぐ比良くんを返せ……。
「……くわせて……」
柚木は……幻聴だと思いたかった。
「喰わせて、柚木……」
(うわぁ、やだ!! やっぱり食わせてって言ってる!! マストって人間食べるの!? 初耳なんですけど!!)
教師は遠足後の職員会議中、部活動は休み、自分達以外に誰もいない廊下で柚木はとうとう涙した。
「や……やだ……食べないで、比良くん……おれ、絶対おいしくないから……」
情けなく泣く初心なオメガ男子にマスト真っ只中にあるアルファ男子は。
ぽた……ぽた……
息の荒い唇からヨダレを溢れさせた。
(あ、おれの人生、終わた)
獣性剥き出しの荒々しい息遣いが触れるほど顔を近づけてきた比良に、柚木は、ぎゅっと目を閉じた。
(ちょっとでも比良くんのお腹の足しになれるのなら)
「お腹壊したらごめん、比良くん」
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