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保健室のドアノブには「職員会議中」と書かれたプレートがぶら下がっていた。
「比良くんは座ってて、おれ、何がどこにあるのか大体わかるから!」
養護教諭は不在であり、前年度も保健委員だった柚木は勝手知ったる風にワセリンや包帯を棚から取り出す。
念入りに手を洗って長椅子についた比良の足元にしゃがみ込み、たどたどしい手つきで手当てを始めた。
「あくまで応急処置だから。ちゃんと病院で診てもらった方がいいから」
「大袈裟だ」
親指の付け根に深々と刻まれた痕。
柚木の胸は張り裂けそうになった。
(こんなの絶対痛いに決まってる)
「今日、初めてなったんだ」
詳しく聞いていいものか、デリケートな問題に触れるのをためらっていた柚木に比良は自ら口を開いた。
「帰る前に、ここで少し休ませてもらおうと思った。でも途中で立ち眩みがして、昏倒して。そこに柚木が来てくれた」
「そっか……」
「断片的に記憶が抜け落ちてる。自分の体なのに、自分のものじゃないような、不思議な感覚だった」
「うん……」
「俺達は改良された抑制剤<サルベーション>を中学一年から定期予防接種でずっと投与され続けてる。そもそも本格的に接種が始まったのが四年前だった」
「痛いんだよね、あの注射……」
「それなのにマストになるなんて」
綿棒で掬ったワセリンを傷口に塗り、慎重に包帯を巻いていた柚木は遠慮がちに比良を見た。
「まさか自分がな。思ってもみなかった」
(さっきまでのマスト比良くんの片鱗はどこにもない)
顔つきも口調も変わって、もはやマストのときは別人っていうか……二重人格じみてるっていうか……。
今の比良くんはいつも通り。
目の色も戻ったし、優しくて、しっかりしてて、冷静で、頼もしい。
「柚木には感謝してる」
「は……い?」
「柚木のおかげで正気を取り戻せた」
(おれ、なんっにもしてないですけど!?)
「これも、ありがとう」
比良はそう言って不恰好な仕上がりになった包帯塗れの片手を掲げてみせた。
(マストの自分を抑えるために自分の手を本気で噛むなんて)
そんなの痛い、痛すぎるよ。
そんな痛み、比良くんに味わってほしくない。
「比良くん、おれさ、こんなしょーもないモブの中のモブだけど」
何でもいいから憧れのクラスメートの役に立ちたいという切実な思いの元、柚木は思いきって告げた。
「ただの保健委員だけど、へっぽこオメガだけど、おれにできることがあったら何でもするから!」
「とりあえず……その恰好を何とかしないとな」
ボタンが吹っ飛んでネルシャツがはだけたままになっていた柚木は、ジップアップパーカーのファスナーをきっちり首元まで大急ぎで上げるのだった……。
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