52 / 333
7-8
「大豆は元気にしてるだろうか」
学校付近のバス停を目前にし、柚木は長々と伏せていた顔をやっと上げた。
「前に柚木を迎えにいったとき、家の中から鳴き声が聞こえた」
茜色に染まった比良の眼差しが視界を直撃し、またすぐに顔を伏せ、スクールバッグの取っ手を意味もなく掴み直す。
「大豆は、今、毛が抜けまくりで家中毛だらけ……」
(比良くん、どうして大豆の名前知ってるんだろ)
複数の人々がバスを待つ停留所で一先ず二人は足を止めた。
「柚木は犬が大好きだろう? 知ってるんだ、俺」
街路樹の葉陰を片頬に寄り添わせた比良はそう言った。
何やら含みを持たせた言い方に内心首を捻りながらも柚木は頷く。
「うん。家族みんな犬好きで、小さい頃からずっと飼ってる」
「一年のときに教室で聞いたんだ」
「ん? 何を?」
「大豆が家から脱走した、柚木は友達にそう話していた。どういうことなのか気になって、最後まで聞かせてもらった」
「……もしかして食べる方の大豆って思った?」
比良は隣の柚木に視線を傾けがち、逆に柚木は彼が乗るバスを見過ごさないよう車道に注意を払っていた。
「あれは慌てたなー、玄関から外にスルッと飛び出しちゃって、死に物狂いで追いかけた」
「ああ」
「事故とか怖いし。ノーリードだと勢い余って車道に飛び出すコもいたりするから」
「確かにそうだな」
「もう一年前になるけど入学式のときも、っ、比良くんバス来た! タイミングよかったね!」
特技の又聞きで路線も把握している柚木は、近づいてくるバスに真っ先に気がついた。
「終点の大学前まで乗ってるんだよね、後ろの方、座れそうだよ!」
<サルベーション>開発研究を進めた国立大医学部がキャンパスを構える地域に住んでいることも知っていた。
速度を落として停車したバス。
数人の乗客が降り、数人の利用者が乗り込んでいく。
乗り降りが済むと閉じられた扉。
エンジン音を響かせ、落ち葉を舞わせて走り去っていったバスを柚木は見送った。
「えーと、比良くん? どうして乗らなかったの?」
隣に立ったままでいるクラスメートに不思議そうに尋ねる。
朝昼よりも深みの増した黒曜石の瞳。
前髪の先が夕風にそよいでいた。
「柚木の家に行ってみたい」
比良は、またありふれた言葉を口にする。
「へっ?」
「大豆を見てみたい」
「今から!?」
素直に驚いた柚木がそう口走れば比良は横を向いた。
「そうだな、突然過ぎたな、ごめん」
シュン……とした横顔に柚木はこれでもかと首を左右に振りまくった。
(比良くんがウチに遊びにくる日が来るなんて、もしかしたら明日世界は終わって、なんかすごい奇跡がはたらいて、また生まれ変わるのかもしれない)
ともだちにシェアしよう!