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「う」 柚木ははっとした。 マスト化を心配していた矢先に比良が急にその場に蹲った。 「比良くん、大丈夫!?」 肩に引っ掛けたままでいたスクールバッグを廊下に放り投げ、リビングへ駆け込む。 ラグマットに額をくっつけていて比良の顔は見えない。 ついさっきまで距離をとっていたはずが、柚木はぴたりと寄り添い、なだらかな肩を(さす)った。 「目、痛む? 頭痛する? さ、さすがにリビングだとアレだから、二階のおれの部屋に……」 焦る飼い主を余所に、丸まった比良の背中に飼い犬の大豆がぴょんっと飛び乗った。 「あ! こらっ、大豆っ、めっ!」 柚木は無邪気にはしゃぐ大豆を大慌てで抱き上げる。 「おれやお父さんの背中はいいけどっ、比良くんの背中はだめでしょーが!」 「キューン」 「柚木、大豆を叱らないでやってくれ」 「でも比良くん! 比良くんの御背中に乗るなんて、そんな……あれ……?」 蹲っていた比良が起き上がり、マストの外見的特徴である白目の出血がないことに、その表情の穏やかさに柚木は拍子抜けした。 「マストになったフリをしたんだ」 緩やかに薄れてきた西日。 大豆に若干散らかされたリビングに舞う、グレーの抜け毛……。 「ごめん、柚木」 柚木は無言で首を左右に振る。 比良に背中を向け、懐でジタバタしている大豆をケージに入れ、落っことされていたクッションをソファ上に戻した。 「怒ったのか?」 「いやいや、そんなまさか……」 「理由は聞かないのか?」 「理由? 比良くんは無意味なイタズラなんかしないだろうし……きっと、それはもう大層な理由がおありで……」 (あちゃー、嫌味くさくなっちゃった) だけど本気でびっくりしたし、焦ったし、心配したし。 マストのフリする理由? おれ如きなんかにはちっともわからないーー 「淋しかったんだ」

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