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9-6
「ユズ」
突然、頭上から放たれた呼号。
比良の肩越しに視界に現れた谷に柚木は息を呑んだ。
「すげぇな、こんなところでおっ始めるつもりかよ」
「谷くん……」
「へっぽこオメガくんらしくないと言いますか」
動揺している柚木を見下ろし、谷は、階段を下りてきた。
「失せろ」
比良は柚木に視線を据えたまま闖入者 に言い放つ。
咆哮じみた低い声色に物怖じするでもない谷は、好戦的な三白眼で赤い眼をジロリと一瞥した。
「邪魔するつもりはなかったんですけどねェ」
まだお手製の檻に捕らわれている柚木の片手に目を留める。
「あーあ。ひでぇ傷」
柚木は言い訳も浮かばずに、中学時代から親しくしている友人をただ見返すことしかできなかった。
「さっきまでなかった。コイツにつけられたんだよな」
谷は痛々しい傷跡をつけた張本人をもう一度睨み据えた。
「お前、マストなんだろ、比良」
柚木は……諦めた。
決定的な言葉を友人の谷から突きつけられて、もう誤魔化すことはできないと、唇を噛んだ。
二人だけの秘密が破られたことを少しだけ淋しく思った。
「授業中に倒れたりして、先月から様子がおかしかったよな。病院には行ったのかよ? 悠長に学校生活なんか謳歌してていいのか?」
「た、谷くん、比良くんのことそんな責めないで」
「責めてねぇよ、聞いてるだけだ」
柚木は自分を囲う比良の腕越しに谷に弁解しようとした。
「おれがっ……もっと早くちゃんと説得するべきだった、比良くんに強く言えなかったんだ、だから……おれのせいーー」
弁解は中途半端なところで途切れた。
突然、比良に噛みつかれたのだ。
焼けるような痛みに台詞の先は焦げて消えた。
「ッ、ユズ……!!」
比良が噛んだのは柚木のうなじではなく首筋だった。
柔な急所に猛獣さながらに口づけた凶暴っぷりに谷は驚愕し、激昂した。
「俺がいるのに、俺以外の奴を見るのか」
谷の怒りなど綺麗さっぱり無視して<マストくん>は柚木に問いかける。
頸動脈界隈に深い痕を刻みつけ、オメガの血の味がする唇を歪めて、今にも涙の氾濫しそうな双眸を覗き込んだ。
「お前は俺だけ見てろ」
(比良くん、どこに行っちゃったんだろ、どこで眠っているんだろう)
痛いのに怖くないなんてバグ中のバグだ。
早く起きて、頭、前みたいに撫でてほしい。
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