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あのとき。
谷は目の前で起こった出来事をありのまま教師に伝えていた。
『マストになった比良に首を絞められた。止めに入ろうとしたユズの手をアイツは振り払って、その拍子にユズは階段から落ちた』
あの後、谷は煙たがっているアルファ性の同級生から質問攻めに遭った。
主に比良のマスト化について問い質されたが、適当にはぐらかし、ろくに相手をしなかった。
『ねぇ、もしかして。貴方は比良クンのマストについて何か知ってるの』
翌日、午後からフラフラと登校してきた柚木が同じ目に遭いそうな気配を察すると、すかさず間に割って入った。
『比良に関する質問は全てNGなんでお引き取り願えますかねェ』と、茶化し気味に彼らを追っ払っていた。
(谷くんには助けられてばっかりだ)
テストに集中できるわけもなく、自分が不甲斐ないやら情けないやらで、柚木は自己嫌悪の荒波に揉まれていた。
(……結局、おれは何にもできなかった……)
「お前、頑張ったな、ユズ」
まだポテトをちんたら食べていた柚木は目をパチクリさせた。
「アイツがマストになったの、周囲に必死に隠そうとしてただろ」
「あ……」
「思い返してみれば、な。お前の努力がひしひしと伝わってくる」
柚木は首を左右に振った。
すると谷もまた首を左右に振る。
「俺だって危なかったところをユズに助けられた」
マストの純粋な凶暴性を見せつけられていた柚木は返答に迷う。
マスト化のリスクを知った上で学校へ来ていた比良に非があるのは確かだが、生徒たちは<別格のアルファ>だと持て囃す。
目の前で<マストくん>に首を絞められた友達が粗雑に扱われているようで釈然としない。
しかしながら<比良くん>が今でも憧れのクラスメートであるのに変わりはなく、毎日心配で、柚木は複雑な心境になった。
「……比良くん、どうなるのかな」
「さぁ。なるようになるだろ」
「……」
「いつまでちんたら食ってんだよ」
谷は残っていたポテトをごっそり奪い、代わりにナゲットを一つ柚木の前に置いた。
「ありがと、谷くん」
「交換しただけだろ」
「ううん。違くて」
「そのナゲット一つ食うのにも、どれくらいの時間がかかるんですかねェ」
「ッ……今すぐ有難くいただきます」
励ましてくれた友達にお礼を述べ、柚木はナゲットをパクリと食べる。
我が身に発生していた深刻なバグ。
まだ身の内のどこかで燻っていて、時々、思考回路がこんがらがる。
『お前は俺だけ見てろ』
<比良くん>ではなく<マストくん>のことを思い出して寝付けない夜がある……。
(比良くんからのメールは来ない)
検査入院中であり、それどころではないだろうと自分からメールを送るのも気が引けて、アプリの未設定アイコンを意味もなく眺める夜もあった。
『ごめん、柚木』
(階段から落ちたおれに謝ってきたのは、きっと、目が覚めた<比良くん>だったんだろう)
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