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「食事に行ってくるわ」
比良の寝顔に見惚れかけていた柚木はあたふた振り返った。
「比良クンの目が覚めたら、このままいてもいいし、帰ってもいい。そのときはコレをフロントに預けておいて」
阿弥坂は窓際のテーブルにカードキーを置くと、戸棚に収納されているミニ冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出した。
「恵んであげる」
「ありがとうございます!」
「飲む前に私に滝行訓練させておく?」
「っ……あ、あれは谷くんが……うう……あれはやり過ぎでした、誠にすみません……」
客室の出入り口へ向かう阿弥坂の後を柚木はちょこちょこついていく。
ドアの前で彼女が振り向くと、飼い主の顔色を窺うワンコのようにまじまじと見上げた。
「後で客室料を貴方に請求するわ」
「ほぇ!?」
「冗談よ」
(女王サマジョーク、わかりづらい!)
「歩詩のお小遣いじゃあね、きっと懐が寒くなって可哀想だもの」
堂々とディスられた柚木は特に憤慨するでもなく、改めて女王サマに感謝の意を述べた。
「阿弥坂さん、何から何までありがと!!」
阿弥坂は特に返事をするでもなく仮住まいの客室を後にした。
心地のよい静謐を湛えるフロアを一人突き進む。
どうして家族のことを話したのか。
父親を除き、オメガの母親が嫌いだと誰にも告げたことがなかった阿弥坂は、自分で自分の行為が理解できずに深いため息をついた。
敷き詰められたカーペットが乱れた歩調の足音を吸収する。
柔らかく穏やかな明かりを反射し、長い黒髪がいつにもまして艶めいた。
「……?……」
ふと、ぼやけた視界。
阿弥坂は立ち止まった。
「……なによ、これ……」
我知らず泣いていた自分自身に、猛烈に、腹が立つ。
抉られるような胸の痛みに、乱れた歩調とシンクロしていた鼓動に、自尊心の手綱を振り払った感情に、苛立ちが止まらなくなった。
『っ……ふ……ぁ……っ……』
ラブホテル街の路地裏で別格のアルファに荒々しく口づけられ、溶け落ちそうになっていたオメガの姿が色鮮やかに脳裏に蘇ると。
抑制剤接種により制御されている発情期 に突入したような虚しい興奮を覚えて。
高圧的であるはずの唇はついつい弱音を。
「こんなの私じゃない」
慣れない恋をして、早々、失恋したアルファの女王サマ。
行き場のない想いに心は咆哮し、少しの間だけ、泣いた。
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