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『おかえり、柚木』
砂糖菓子並みに甘かった新婚生活時代。
自宅から職場が近い比良が先に帰宅しており、通勤に片道一時間近くかかっていた柚木は「おかえり」されることが多かった。
『……ただいま、です、比良くん』
自分が「ただいま」したときは比良にハグされるのが恒例だった。
『これ、毎回やるやつ? 些か恥ずかしいのですが』
スニーカーを脱いで玄関に上がれば即座にハグ、最初はこっぱずかしくて社会人三年目となる柚木は辟易していた。
『匂い消しだ』
『それ、ほんと? そんなにアルファの匂いする?』
『する。二年前からする』
夜の七時過ぎ、先に帰宅してルームウェアに着替えていた社会人一年目となるアルファの夫はオメガの新妻を一分以上は離そうとしなかった。
『柚木の勤務先はアルファの生徒が過半数を占めるエリート校だ』
『あー、確かにみんなキラキラしてるかなぁ』
『目移りするくらいに?』
『……比良くん、おれたちは番で、この間結婚したんだよ? 目移りするわけがないです』
二人だけの絆を育む番でありながらも。
それはそれ、これはこれ、じれったくなる別格のアルファ。
(これでサンドイッチ恵んでもらったとか言ったら背骨ボキボキ必殺ハグされるかも)
柚木は比良の広い背中に両手を回した。
クタクタだし、お腹も減ったが、やきもちをやいている旦那様のすっぽりハグは拒み難く。
一日の疲れが吹っ飛んでいくような気がしなくもなかった。
『比良くん以上のひとなんて、おれには見つけられないよ』
厚い胸に顔をくっつけた柚木がごにょごにょ惚気を口にすれば、物憂げに伏せられていた比良の双眸は俄かに揺らいだ。
ちなみに。
「おかえりルーティン」がハグで止まることもあれば。
時々、それ以上の行為に及ぶことも……。
『ま、待って、ここ玄関だから』
『待てない』
『っ……い、一回だけだよ? 一昨日みたいに三連続はちょっと……』
『……じゃあ五回連続ならいいか?』
『いくないッッ!!』
「このデザートワイン、チーズケーキによく合う」
(夕犀が生まれて、いつの間にやら二人して三十路寸前)
「柚木、おかわりは?」
「あー、じゃあ、あとちょっと」
柚木が空いていたグラスを差し出せば比良は手慣れた風にボトルを傾けて甘口の赤ワインを注いだ。
(比良くん、前よりは落ち着いたかなー)
いや、普段は落ち着き払ってますけど、こちとら頼りにしっぱなしですけど!?
ソッチ方面では大分丸くなったといいますか!!
「あ」
アルコールが適度に回り、ふわふわ心地でいた柚木は目を見張らせた。
チーズケーキにふんだんに乗っかっていたホイップクリームが比良の口元にくっついていて、しっかり旦那様の珍しい粗相にこどもみたいにはしゃいだ。
「?」
いきなり満面の笑顔を浮かべて立ち上がった柚木に比良はきょとんとする。
前屈みになったほろ酔いオメガは彼の口元を親指で拭うと、その指先をぱっくんした。
「比良くん、クリームついてたよ、おれっ、とってあげたよっ」
夕犀が起きないよう声量は控え、得意気にコソコソ言う柚木自身の鼻先にはホイップクリームがくっついていた。
「……」
「ここのケーキおいしいねっ、また食べたいっ、あっ、まだチョコレートケーキとプリンあるんだよねっ、やったぁ~」
自分の粗相にはまるで気づかず、鼻先にホイップクリームをくっつけたまま上機嫌で喋る柚木の前で比良は唐突に顔を伏せた。
「比良くん? どしたの? 酔っ払っちゃった?」
白・赤・ロゼ、ワインを時々嗜んでいる彼は首を左右に振る。
テーブルに頬杖を突き、額に添えた両手越し、長い指の隙間から熱せられた眼差しを伴侶に注いだ。
「あんまり煽らないでほしいな、奥さん……?」
困ったように微笑みかけられて。
声や仕草にほんのり滲んだアルファ夫の色気に満面の笑顔のまま柚木はかたまった。
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