324 / 333

1-7

上目遣いにぎこちなく眞栖人を仰いだ柚木だが。 先程よりも至近距離にある黒曜石の瞳に心臓を引き攣らせた。 火照った顔に片手を添えられ、薄目がちに、さらに距離を詰めてきた彼に息が止まりそうになった。 (これって、キスーー……) ぼふっっっ!! 「ッ……あ、あれ……?」 「…………………………」 キスする寸前、眞栖人の方の変化が解けた。 狼並みのサイズ、漆黒の毛並みが西日に耀く、凛々しい若雄化ケ犬の姿を現した。 「眞栖人くん、変化を解いたの? それともおれみたいに解けちゃったの?」 かっこわるいことに。 かつてないくらいに入れ込んだ本命にキスしようとして、思いの外ド興奮し、変化をキープできずに本来の姿に戻ってしまった別格(?)化ケ犬。 「グルルルル……」 罰が悪くてベンチの下に潜り込んだ眞栖人に柚木は目をパチクリさせる。 タイルの小道にしゃがみ込み、ベンチの下で窮屈そうに丸まった眞栖人を横から繁々と眺めた。 「秋田犬より大きいね、本当に狼みたい、かっこいい」 「……」 「さ……触ってみても……いいですか……?」 「……柚木の好きにしろ」 「モフモフ!」 「……触るの早いな」 「いいな~、大豆とは違ってコッチも最高~、たまらん~」 「……」 「このモフモフに溺れてみたい~」 「いいぞ」 自販機の下に落ちた小銭を探すように、小道にしゃがみ込んでベンチの下に手を伸ばしていた柚木の奥二目まなこが、ぱぁぁぁ……と輝いた。 「ぷぅぷぅ」 灰色ミニウサの姿になって化ケ犬の懐に溺れた化ケ兎。 「モフモフに包み込まれるなんて……正に夢モフ心地……ぷぅぷぅ」 日が傾き、屋上庭園を吹き抜けていく冷たい風も何のその、眞栖人にすっぽり埋もれた柚木はご満悦だ。 「もうすぐ用務員が来るぞ」 大好きな化ケ兎に身を任せられて悪い気はしない眞栖人、長い鼻先で灰色毛玉をくすぐった。 「ぷぅっ……もうちょっと……」 「このまま閉じ込められて一晩明かす羽目になるかもな」 「ぷーーー……それでもいい……このベッドがあれば十分安眠可能……」 「ベッド扱いするな」 この姿だとワンコ好き柚木の警戒心が大分和らぐようだ。 悪くはないが、やっぱりキスやらあれやらこれやらシたい眞栖人は、どうしたものかと頭を悩ませる。 (体育祭で疲れたし、昨日はあんまり寝れなかったから、もうむり……) 「眞栖人くん、おれね……本当は……」 「……」 「……ぷぅぷぅ……すぅすぅ……」 「……肝心なところで寝落ちしやがった」 最強の寝床で柚木は蕩けるように眠りに落ちた。 <へっぽこばけうさ>なりの本能で、どこよりも安心できる懐だと判断した上での、無防備極まりない寝落ちであった……。 「無防備にも程があるぞ」 自分の毛に埋もれて呑気に眠る柚木に眞栖人は囁く。 この想いを知っているくせに、何とも試すような真似をしてくれるものだと、今度はため息を押し殺した。 「残酷兎め」 頭上の三日月に向かって遠吠え代わりに愚痴る。 モフモフの寝床に安心しきった柚木はもう夢の中だった……。 「へんなみみ」 「ぶーーーーっっっ」 「あっ、だめだめ、だめでしょーが! (ゆう)の耳を引っ張ったらだめっ、(せい)!」 夕日と金木犀が香る秋の午後。 気持ちのいい並木道を歩いていた柚木は、突拍子もなくケンカを始めた幼子らにあたふたした。 「犀、夕のおみみ、ぎゅってした。犀、きらい」 兎耳を生やした夕は、柚木が抱っこしてやれば胸に顔を埋め、不満そうにぶぅぶぅ鳴く。 「ながくて、じゃまくさい、夕のみみ」 犬耳を生やした犀は、母親の腕の中で愚図る双子の兄を指差し、堂々と文句を言った。 両性具有の化ケ兎が生み落とした夕と犀。 父親はーー……。 「お兄ちゃんを指差すな、犀」 今度は柚木に抱かれた夕の足を引っ張ろうとしていた犀をひょいっと抱き上げ、肩車して、眞栖人は我が子を注意した。 「やった。夕よりも、たかいたかーい」 「ぶぅぅっ……まま……夕にも、たかいたかい、して……」 「う。首をやりそうで怖い……」 「こっちに来い、夕。二人一緒に肩車だ」 「「わぁぁ~、ぱっぱすごい~!!」」 (ガチですごいな、おれのダンナ様の肩) 「後でお前も肩車してやろうか」 双子を同時に肩車して平然としている眞栖人に笑いかけられる。 隣を歩いていた柚木は夕焼け色に染まった頬をさらに色づかせた。 「うん、してください!」 「乗り気かよ、断られるかと思った」 「「三人、いっしょにして、ぱっぱ」」 「そうだな、挑戦してみるか」 「むりだって! それもう組体操の域だから!」 愛の結晶を授かって絆が深まった化ケ犬と化ケ兎。 幸せが薫る夢のようなセピア色の夕方、溢れ出す愛情に染まり合う二人なのだった。

ともだちにシェアしよう!