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Chapter 8―1
〈H side〉
―――大丈夫かな、この人。
フラフラと操り人形のように付いてくる村上武智を誘って、椿山ヒカルは『camellia』のドアを開けた。
金曜の夜ともあって、店内は半分の席が客で埋まっており、カウンターの向こうでは陸人がシェイカーを振っていた。
ヒカルの顔を見て、キョトンと陸人が瞬く。
「あれ、ヒカルさん。今日は戻らない予定では?」
「早く終わったから。一杯だけ飲ませて。」
陸人へ答えながら、ヒカルはカウンターの一番端に腰を下ろし、村上を振り返った。
「村上さん、陸人に任せていい?」
「え―――、あ、はい。お願いします。」
カクテルを陸人に任せて作らせてもいいか―――という意味で聞いたのだが、村上は分かっているのかいないのか、ぼんやりとした様子で頷く。
―――大丈夫じゃなさそうだな。
心ここにあらずでフラフラと腰を下ろす村上を、ヒカルは苦笑して眺めた。
「何だか、今日、元気ないね。」
「いえ、そんな事は。」
「疲れてるんじゃないかな?新しい職場に慣れてきて、ドッと来たのかもね。早めに帰った方がいいよ。ほら、顔色、悪―――」
その長めの前髪を上げて顔をよく見ようとしたのだが、ヒカルの指が触れる前に、村上がビクッと慌てて身を引いた。
「あ、すみません。びっくりしてしまって。」
オロオロと村上が挙動不審に言う。本当にどうしたのだ。今さら指が触れるだけで動揺するような関係じゃないだろうに。
二人の間の微妙な空気を変えるように、陸人がカクテルを2杯テーブルに滑らせる。
黙って『ミスティ・ネイル』を口に含み喉を潤すと、村上の肩からゆるっと力が抜けたのが分かった。ヒカルが横目で見ると、目が合った村上が困ったように僅かに口角を上げる。
その出来損ないの笑顔に、ヒカルの中の庇護欲がむくっと顔を上げた。
「何があったの?聞くよ?仕事のグチでも―――、あ、彼女とケンカした?」
ヒカルが笑いながら言うと、村上が痛いように顔をしかめる。
あれ?―――と、なった。
予想外の反応だ。
「彼女はいませんよ。もう忘れてしまったんですか?それとも、わざと忘れたフリですか?」
村上の言葉で、告白されていたのだった―――と、思い出す。忘れていた訳ではなかったのだが、頭から抜けていた。
「冗談だと思ってましたか。」
村上が寂しそうに微笑みながら言う。
その目に愛しさのようなものが滲んでいる気がして、ヒカルは本気で驚かされた。
―――大根役者はどこ行ったよ。
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