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Chapter 9―1

電話口で告げられた某ホテルの2010号室のドアを、村上武智は遠慮がちにノックした。 ぎこちなく動いた手に己の緊張を感じて、少し苛立つ。 ―――落ち着け。 10秒も待たずにドアは開き、その陰から呼び出した当人である椿山ヒカルが顔を覗かせた。 シャワーを浴びたばかりらしく、バスローブを羽織り、髪がまだしっとりと濡れている。 先制攻撃をまともにくらったボクサーのような気分になった。つまり、戦意を喪失しかけた、という意味だ。 言葉に詰まる武智に対し、ヒカルは余裕の微笑みを浮かべている。 「村上さん、来てくれてありがとう。入って。」 ヒカルに促されて室内に入ると、普通のビジネスホテル6、7室分もありそうな広い部屋だった。壁には高そうな絵が飾られ、応接セットのようなイスとテーブルが置いてある。 ベッドは見当たらず、奥に部屋がもう1つあるようだから、そこが寝室だろう。 「すごい部屋ですね。」 「社長さんが借りた部屋。あ、安心して。もう戻って来ないから。」 社長の取った部屋に関係のある相手を呼ぶなど、よほどバレない自信があるのだろう。 呆れるべきか、警戒するべきか。全て今さらな気もする。 「飲む?これ開けていいらしい。」 テーブルの上で氷で冷やされていたシャンパンを取り出して、ヒカルが言う。 しかし、飲む以外の選択肢は無いらしく、武智の返事を待たずに、ヒカルはシャンパンのコルクを開け始めた。 ―――やはり綺麗な人だな。 グラスに注ぐ姿に武智が見惚れていると、その熱い視線に気付いたらしく、ヒカルが可笑しそうに笑う。 「好きな所に座ったら?」 「あ、はい。」 ぼうっと突っ立っていた事にヒカルから指摘されて気付き、武智は頬を掻きながらソファに腰を下ろした。 これまた、高そうなソファだ。 ソファの座り心地の良さに感嘆していると、ヒカルが店にいる時のように、シャンパンを武智に差し出してきた。 「どうぞ、お客さま。」 「ありがとうございます。」 クスクス―――と楽しそうに笑い、ヒカルが隣に腰かけた。その近さに少しだけ心拍数が上がった気がしたが、きっと気のせいだ。

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