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 2  ペンションの中は広かった。温かみのある木で出来た建物、玄関から入ってすぐのロビー部分は吹き抜けになっていて、屋根にある天窓から太陽の明るい光がロビーに降り注いでいる。ロビーに置かれた受付のカウンターは、磨きこんであって飴色に輝いていた。置かれている家具はたぶんそんなに高価なものではないんだろうけど、使い込まれていて、大切に使われているのがよくわかる。…いいところだなぁ。僕はペンションなんて初めて入ったんだけど、それでもこのペンションがすごくいい所だということがわかるよ。あの母さんが絶賛するのも納得だ。こんないい所で一ヶ月働くのかぁ。 「いい所ですね。」  僕がこれからの一ヶ月間に思いを馳せていると、小暮がポツリとつぶやいた。 「ありがとうね。そう言ってもらえると、本当にうれしいよ。」  その呟きを聞いて、叔父さんは幸せそうに微笑んだ。ヤバイ、癒される。 「じゃあ、ほかの従業員を紹介するね。そこの食堂に集まってもらってるから。」 「うあ、すみません。何かお手数掛けてしまって…。」 「全然そんなことないから、大丈夫だよ。」  そういって、叔父さんは朗らかに僕に笑いかけた。…叔父さんの後ろに後光が見えるぜ! 「それじゃあ、行こうか。食堂はこのドアの向こうだよ。」  叔父さんにそう案内されて、僕たちは食堂の中に入った。食堂には、ロビーの家具と同じように大切に使い込まれたテーブルとイスが置いてあって、その上には清潔感のある真っ白なテーブルクロスが掛けられている。大きくとられた窓からは、柔らかな日差しが差し込んでいた。  僕たちがドアを開けると、その音に反応してテーブルの周りにいた人たちがこっちを見た。うぅ、緊張するなぁ。知っている人もいるけど、知らない人が二人いるし。  ふと気になって、隣を見てみるといつもと何も変わらない小暮の姿があった。お前…、少しは緊張しろよ。可愛くないなぁ。でも、よく見たら奴の手が髪を弄っていた。小暮が緊張しているときによく見せる癖だ。なんだ、こいつも緊張してるんだ。可愛い所もあるじゃん。 「今日から一ヶ月、ここで一緒に働く優斗君と小暮君だよ。」  叔父さんがそういうと、小暮はすっと一歩前に出て、「今日から一ヶ月間、一緒に働かせてもらいます、小暮誠一です。よろしくお願いいたします。」といって、頭を軽く下げた。  出遅れた! 僕もあわてて奴の隣に並んだ。 「えっと、同じく今日から一ヶ月ここで働かせてもらいます、並木優斗と言います。えっと、みなさんよろしくお願いします。」  しどろもどろになってしまった。恥ずかしい。ああ、今絶対顔赤くなっているよ。どうしよう。僕が内心とってもあせっていると叔父さんが、 「ちなみに優斗君は僕の甥で、小暮君は優斗君の大学の後輩なんだって。」と紹介してくれた。  そういやそうだ。ここにいるのは、従業員を除けばみちるさんと従兄弟なんだった。そうだそうだ。まぁ、だからと言って適当にやるわけじゃないけど、肩の力が少し抜けたような気がするよ。 「それじゃ、あとは各自で自己紹介してね。」  叔父さんがそういうと、みちるさんが真っ先に話しかけてきた。 「久しぶりね、優斗くん。しばらく見ない間に大人っぽくなったのね。大学生って感じよ。」 「お久しぶりです、みちるさん。相変わらずお若いですね!」 「いやだわぁ、お世辞なんか言って! ふふ、でもありがとう。でも本当に久しぶり、去年お義姉さんたちが遊びに来たとき、いなかったものね。」 「すみません、ちょっと怪我しちゃって。さすがに無理だったんです。」 「まぁ! そうだったの。それは大変だったのね。お義姉さんったら、そんなこと一言も言ってくれないんだもの。」  僕とみちるさんが久しぶりの対面にはしゃいでいると、「おい、おふくろ。自己紹介するんじゃなかったのかよ。」そう横から若い男の声がした。 「あ! そうだった。ごめんね。ちょっとはしゃいじゃった。」みちるさんは、こほんと小さく咳をした。 「改めまして、緑川明の妻の緑川みちるです。このペンションでは主に料理を担当しているわ。あ、あと一応ここの副オーナーでもあるから、何かわからないことがあったら、気軽に聞いてね。優斗くん、小暮くん、これからよろしくね。」  みちるさんは、そういってはにかみながら頭を下げた。ふわふわとした淡い栗色の髪の毛が、みちるさんの動きに合わせて揺れ、甘く爽やかな香りがふわりと僕の鼻をくすぐった。……相変わらず、かわいらしい人だなぁ。ほんと、僕と同い年の息子がいるとは到底思えないよ。  実を言うと、みちるさんは僕の初恋の人だ。初めてみちるさんと会ったのは、僕が小学2年生のときだった。ゴールデンウィーク前日に僕が小学校から家に帰ると、僕よりも小さな男の子と、とてもきれいなお姉さんが居間にいたんだ。びっくりしている僕に向かって、そのお姉さんは微笑みかけてくれた。それはもうそこらの天使や女神なんて目じゃないくらいの可愛らしい笑顔だったよ。今でもはっきりと覚えてる。そんな見るだけで、今世の中で起こっている争いを全てやめさせることができるんじゃないかと思うくらいの笑顔を向けられた僕の脳みそは許容量を超えちゃったんだろうね。そのままぶっ倒れちゃったんだ。鼻血を出してね。倒れる瞬間まで、胸が爆弾にでもなったかのようにドクドクと鼓動してたのをよく覚えている。目を覚ますと、母さんにそのお姉さんが僕の叔母さんで、一緒にいた男の子が従兄弟だと教えられた。でも、当時小学2年生で、少々おつむがよろしくなかった僕にはうまく理解できなくて、とりあえずこのきれいな人がみちるさんということだけしか分からなかった。それからというもの、僕はずっとみちるさんのことが大好きで、いつか絶対結婚するんだって思っていたんだ。僕はみちるさんがこっちに遊びに来るたびに、花を贈ったり(もちろん小学生だから、そこらへんの道に咲いていた花だったけど)、大きな声で大好き! って伝えたりした。母さんたちはそんなぼくに呆れていたみたいだったけれど、みちるさんは嬉しそうに笑ってくれていた。で、まぁ、小学4年生になったときに、みちるさんは人妻で、僕とは結婚できないということにようやく気づき、僕の甘酸っぱい初恋は、はかなく散ったのだ。  これが、僕の初めての恋。いまでもみちるさんに笑いかけられると、思わず顔がほてってしまうんだよね。あー、顔が熱い。 「オレは緑川あおる。ここの息子。今は大学3年で夏の間だけこのペンションを手伝ってる。そこで、顔を赤くしてるバカとは従兄弟の関係だ。よろしくな。」 「よろしくお願いします。」  いま聞き捨てられない言葉があったんだけど。小暮も普通に反応するなよ! 「バカとは何だよ。バカとは。」  バカなんて、冗談でもひどいよ。 「本当のことだろ。バカをバカといって何が悪い。」 「あぁ、確かにそのとおりですね。」 「酷い! 二人して酷いよ!君たちはもっと僕に対して優しくなるべきだ!」 「え、そんな必要どこにあるんですか?」  まったく酷いよ、酷すぎるよ。顔のいい奴はそろって性格が悪いのかな。性格のすこぶるいいこの僕には信じられないね。  そう、僕の従兄弟であるこのあおるも、顔面指数のとっても高い人種なのである。叔父さんは僕と同じように、太くまっすぐな黒髪のあまり印象に残らない薄い顔立ちなんだけど、あおるはみちるさんに似ているんだ。明るい栗色のさらさらとした細い髪は、さっぱりと短く整えられていて、全体的に色素が薄い。瞳はパッチリとした二重で大きく、目力がある。いわゆるハニーフェイスというやつだ。童顔気味で、男らしいと言うよりは中性的な顔つきだから、昔はよく女の子に間違えられていたよ。たぶんイケメンアイドルを養成している某芸能事務所のオーディションに応募すれば、一発で合格になるだろうな。小暮が美形なら、あおるはイケメンって感じ。わかってもらえるかなぁ、この微妙な違いが。  それにしても、顔面指数の高い奴が僕の周りに多い気がするのは何故だ。もしや神様は僕に試練を与えているとでも言うのだろうか。あぁ天空におわします神様よ、僕が真に欲しいのは奴らの様な顔と可愛くて気立てのよい彼女なんです。もっと僕に慈悲をください。奴らと一緒にいて得られるものは憎悪だけです。 「おい、優斗戻って来い。従業員紹介するから。」  しまった、またもやトリップしてしまった。僕の悪い癖だ。仕事中に出ないようにしっかりしなきゃなぁ。僕が反省していると、あおるに手招きされて二人の男女がこっちに向かってきた。あの二人が従業員らしい。  男のほうは、髪を金髪に染め、所々に赤くメッシュを入れている。耳にはピアスが大量につけられていた。女性のほうは、長い黒髪を高い位置でひとつにまとめ、めがねを掛けていて、気の強そうな目をのぞかせていた。…正反対な二人だな。 「この二人がうちで今うちで働いている従業員で、葛西さんと夏目。」 「始めまして。葛西氷乃といいます。三年前からここで働いています。何かわからないことがあったら気軽に聞いてください。」  女性は、葛西さんと言うらしい。色がとても白くて日本人形のようなひとだなぁ。美人だけど。というか、意外と背が高いな。完全にあおるよりもでかいぞ。まぁ、あおるは背が低いんだけどね。僕が170弱だから、葛西さんもそれくらいかな、目線が同じだし。  今度は金髪の男が口を開いた。 「で、オレが夏目彼方っす。ここで、働き始めたのが去年の暮れからで、まだ日がアサいんすけど、よろしくっす。」 「よろしくお願いします。葛西さん、夏目さん。」  僕がそう挨拶すると夏目さんが顔の前で手を振りながら、 「いやっ、敬語もさん付けもいらねっすよ。お二人のほうが年上でしょうし。タメ語でオッケーすよ。」と言ってくれた。ん?意外と怖くないぞ? 「えと、じゃあ、夏目君。助けてもらってばっかりになっちゃうかもしれないけど、これからよろしくね?」 「はい!よろしくっす。」  いい子じゃないか。敬語は変だけど、これは仲良くなれるかも。 「それじゃ、二人に今日から使ってもらう部屋を案内するね。荷物を置いてきてもらったら、仕事について説明するから。」 「はい、わかりました。」  それから、叔父さんに僕と小暮の部屋を案内された(この部屋もすごい広くてきれいだったよ。小暮と二人部屋というのが気に食わないけどね)。部屋に荷物を置いたあと、僕たちは仕事の説明を受けた。僕は、ペンションの清掃と受け付け、あと料理の手伝いをするみたいだ。元々辞めた従業員がみちるさんの手伝いをしていて、他には料理ができない人ばっかりだったんだって。で、その唯一料理のできた従業員が辞めちゃったもんだから、みちるさんも困っていたらしい。僕は一応料理が一通りできるから、主にみちるさんの手伝いをやることになったみたい。ちなみに、小暮は僕と同じく清掃、受け付けだけど、荷物もちとか、案内とかもやらされるらしい。この差は一体なんだろうね。あれかな、筋肉量の差かな。…どうせもやしっ子だよ。なんて、ちょっと不満に思ったりもしながら、その日は叔父さんたちに仕事を教えてもらって終わっていった。  明日からお客さんが来るらしい。お昼に来るみたいだから、それまでに頑張って準備しなきゃなぁ。

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