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そして、七時。夕食の時間になった。みちるさんに癒されながら作ったご飯をテーブルの上に並べながら、僕は彼女のことばかり考えていた。どうやって話しかけよう、まず自己紹介をしないとなぁ。うわぁ、緊張してきた。あの麗しい瞳が、僕の方を向いてくれるのかと思うと、どうしようもなく心が震えてくるよ。罵詈雑言で良いから、話しかけてくれないかなぁ。
キィと音を立てて、食堂のドアが開く。208号室のあの彼女かと期待を込めてそちらを向くと、そこにいたのは小暮だった。なんだ、お前かよと思っていると、小暮の後ろからまるでエスコートされるかのように、彼女が入ってきた。お昼に見た時には背中に垂らしていた、長く艶やかな黒髪を、今は高く結い上げていた。ちらちらと見える白いうなじがとても妖艶で、きれいだった。ポニーテールってホントに素晴らしい髪型だと思う。うなじがいつも見えてるわけじゃなくて、たまに髪の毛の合間から見えるってのが最高にいいと思うよ。
しかし、なんだってまた小暮なんかと一緒に来ているんだろう。小暮の奴が迎えに行ったのか。いや、アイツにそんな甲斐性があるとは思えない。まさかとは思うけど、彼女から声をかけられたとかじゃないよな。単なる偶然だよな? そうだ、そうに決まっているさ。
「おい、馬鹿。なにボーっとしてるんだ。さっさと座れよ。」
いきなり暴言が降ってきた。はっとして周りを見渡すと、呆れた顔のあおるが隣にいた。どうやら、もう全員集まっているみたいだ。慌てて彼女の姿を探すと、小暮と202号室に泊まっている女の人に挟まれて座っていた。しまった。出遅れた。絶対隣に座ろうと思っていたのに。しょうがない、正面の席に。と思ったらちょうどあおるがそこに座っていた。くそう、この顔面偏差値上位者どもめ、悉く僕の邪魔をしくさって。そんなに僕の恋路の邪魔をしたいのか。全く、血も涙もない奴らだよ。
本当に仕方がないので、唯一空いていた小暮の隣に座ることにした。まぁ、彼女とは一つ隣だから悪くはないかな。間にいるやつが邪魔だけど。
僕が席に座ると、叔父さんが立ち上がって、南野さんたちに一礼した。
「それでは、改めまして皆さん。ペンション『風の丘』にようこそいらっしゃいました。辺鄙なところですが、楽しんでいってくださいね。私はここのオーナーの緑川です。困ったことがありましたら、お気軽にお声掛けください。じゃあ、これから簡単に自己紹介をしていきたいと思います。お客様も、もし差支えなければ自己紹介していただけると嬉しいです。」
そういうと、叔父さんは椅子に座った。そしてその横に座っていたみちるさんがたって口を開いた。みちるさんがおわったら、その横のあおる、葛西さん、夏目さんと続き、小暮と僕も自己紹介をした。従業員全員の紹介が終わると、今度は南野さんが立ち上がった。
「えっと、じゃあオレたちも自己紹介しますね。えーと、オレは南野一って言います。大学生です。よろしくお願いします。」
そういって座ると、横に座っていた平凡な彼の横っ腹を肘で突いた。それに急かされるように立ち上がった彼は、ゴツンと足を机の端にぶつけて、涙目になりながら口を開いた。
「うぅ、すみません。あの、ボクは北方温巳と言います。温かいに干支の巳ってかいて、はるみって読みます。えっと、南野と同じで大学生です。…よろしくお願いします。」
北方さんがそういって、縮こまるように席に着くと同時に、その正面に座っていた小柄な方の女の人が勢いよく立ち上がった。
「じゃあ、次私が自己紹介しますね。初めまして、西条千晴っていいます。気軽にちはるって呼んでください!」そう言いながら、彼女は小暮に熱い視線を送っていた。一方小暮はというと、我関せずと言った感じで、ぴくりとも表情を動かさなかった。たとえそんな好みでなくても、あんなかわいい子に熱い視線向けられたら、思わず顔がゆるむもんだろ。男なら。もしかして、こいつは男じゃないのか? いや、男だよな、前にサークルの合宿で、一緒に温泉に入ってたし。ただそういうのに興味がないってだけなんだろうか。もったいない。
一向に反応を示さない小暮に、あきらめたのか、千晴さんは不満げに席に座った。そして。
「私は、東堂穂乃花です。よろしくお願いします。」
まるで水のせせらぎのように、涼やかできれいな声が響いた。待ちに待った彼女の自己紹介だ。とうどうほのか。何度聞いても、彼女によく似合った、きれいな名前だ。東堂っていうのも何となく清純な感じがして、良いなぁ。彼女はたった一言だけ言ってすぐに座ってしまったけれど、僕は何度もその声を反芻してその余韻に浸った。
その時、グゥと誰かのお腹が鳴る音がした。思わず周りを見渡すと、北方さんが顔を赤らめていた。
「す、すみません。実はさっきから、すっごくいい匂いがしてたものだから…。」
「ふふ、それでは、長らくお待たせいたしました。どうぞ、我がペンションの自慢の料理をお楽しみください。」
そう叔父さんが微笑みを浮かべていった。
「それじゃあ、早速、いただきまーす!」
溌剌とした声で西条さんが手を合わせる。それに釣られるように、他の人たちも次々にいただきますと呟いて食器を手に取った。さっきお腹を鳴らしていた北方さんも、早速メインのパスタを口に含んでいた。
今日の夕飯は、ジャガイモと玉ねぎとベーコンをふんだんに使ったクリームスパゲティ。黒胡椒のごつごつとした雑味がアクセントになっていて、何回食べても飽きない料理だ。それから、オーナーである叔父さんが手ずから作った特製の牛肉とラムの燻製。付け合せに新鮮なレタスを添えてある。スープは、玉ねぎが溶けるまで煮込んだコンソメスープ。透き通るような黄金色のスープが特徴で、大きめに切られたニンジンやジャガイモのごろごろとした食感が食欲をそそる。それにマグロのカルパッチョと、こんがり焼いたキッシュロレーヌ。どれも絶品で、たぶん僕はこのペンションに来てから数キロか太ったと思う。妹が言っていた通り、母さんのあの大味な料理とは雲泥の差、将に月とすっぽんだ。こんなこと、母さんの前では絶対にいえないけどね。むしろ心の中でぼやいているだけでも、敏感に察知してご飯抜きの刑に処してくるからなぁ、あの人。実はエスパーなんです、と言われても僕は驚かないと思う。あれがよく言われる女の勘ってやつなのかな。なんて恐ろしい…。でも、今は母さんはここにいないからね、何を考えてても大丈夫なはずだ。たぶん。
それにしても、本当にみちるさんの料理は絶品だなぁ。今日はなかったけれど、燻製サーモンや、白身魚のムニエルもこれがまたおいしいんだよね。デザートには、地元の生クリームを使った自家製のバニラアイスが用意してあるし、この料理を食べるためだけに、このペンションにやってくるお客さんもいるくらいだ。なんでもみちるさんは料理の専門学校を出ていて、調理師の免許を取得しているらしい。もともとはコックとしてイタリアンレストランで働いていたのを、叔父さんが引き抜いたんだ。引き抜いたというか、叔父さんがみちるさんに一目ぼれして、口説き落としたというか。このペンションを建てた時には、もう結婚してたみたいだし。
「いや、ホントにおいしいですね。口コミでは見てたけど。」
料理に舌鼓を打ちながら、南野さんがそういう。
「ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいです。デザートも用意してあるので、楽しみにしててくださいね。」とみちるさんは微笑んだ。
「むしろ普通にお店だせるレベルですよね。どうしてださないんですか?」
西条さんがみちるさんに問いかける。実はこの質問、前に僕もしたことがある。そういえば、その時のみちるさんの答えを聞いて、僕はあまりの残酷さに打ちひしがれたんだっけ。
「ふふ。若い頃は、自分のお店を出すのが夢だったんですよ。でも、あの人に、明さんに出会ってから、その夢が変わったんです。今ではこのペンションで、夫や息子、従業員のみんなと一緒に働いていくのが、私の一番の夢なんです。それにこうやって、直にお客様に褒めていただけますしね。」
「…なんだか盛大な惚気を聞かされたような。でもいいなぁ。大好きな人と一緒の夢、未来を過ごせるって。憧れちゃう。」
そう、西条さんは呟いて、ちらりと南野さんの方に目をやった。当の南野さんは、豪快に料理を頬張りすぎて、むせてたけれど。その横で北方さんが慌てて水を差しだしている。もしかして、西条さんの片思い、なんだろうか。下世話な話だけど、他人の恋路ほど気になるものはない。うわぁ、どうなんだろう。
「あ! そういえば小暮さんって、大学生なんですよね?」と、パッと表情をかえて、西条さんが小暮に尋ねた。僕も大学生なんだけどな。どうして小暮にだけ質問するんだろう。…いやきっと近くにいたからだよ。そうに違いない。多分。
「あぁ、はい。そうですよ。」
「ええー、どこの大学なんですか。この近くとか?」
西条さんが、より一層高い声を出して小暮に聞く。
「神奈川ですよ。そんな有名な大学じゃないので、知らないとは思いますが。」と前置きしてから、小暮が僕たちの通っている大学の名前を言った。案の定、知らなかったみたいで、西条さんはキョトンとした顔をしていた。
「…でも神奈川! いいなぁ、都会で。うちの大学なんて、田舎なんですよぉ。」
そう呟きながら、ぷくっと頬をふくらます。わざとらしい行為だけど、彼女がすると不思議と自然に見える。
「じゃあ、どうしてこんな遠い所で働いているんですか?」
今度は、東堂さんが小暮に話しかけてきた。くそ、どうして小暮なんだ。小暮も少しは先輩たる僕に配慮しろよ。気が利かないなぁ
「あぁ、それは、先輩に誘われたからですね。」
「先輩?」
そういうと、東堂さんが僕の方を見た。ナイスだ、小暮!さすが僕の後輩。気が利くなぁ。
「えぇ、並木先輩が、オーナーの甥で、その縁で俺も一緒にどうかって。」
「へぇ、先輩ってことは、大学も一緒なんですかぁ。」
西条さんが興味深そうに、聞いてきた。
「うん。僕と小暮は同じサークルなんだ。」
僕が西条さんたちを見ながら返事をすると、
「どんなサークルなんですか? 小暮さん。」と東堂さんが小暮をじっと見つめながら言った。
う、もしかして僕、会話に入っちゃいけなかったかな。なんだかハブられた気がするんだけど。
「ミステリー研究会ですよ。ね、先輩。」と小暮が僕の方を向いた。それに慌ててうなずく。
「そ、そうそう。ミステリー研究会。推理小説を読んで考察したり、自分で書いたりもするんだ。」
僕がそういうと、女性二人がはしゃいだ顔になって「え、じゃあ、お二人も小説書いてるんですか。すっごいなぁ。」「私、小暮さんが書いたお話、読んでみたいです。」と言ってきた。
「いえ、小説を書いてるのは先輩だけなんです。俺は専ら読むだけで。」
「え、あ、そうなんですか。」と東堂さんは気落ちしたように言った。そんな態度とられると、僕としてはとても傷つくんだけどな。
「…あ! サークルってことは、他にもメンバーがいるんですよね! どんな人がいるんですか?」
少しだけ停滞した空気を察したのか、西条さんが明るくそう僕に尋ねてきた。
「いや、うちのサークル、二人だけなんだ。…僕と小暮の。」
「え、そ、そうなんですね。ごめんなさい。たくさんいるのかなぁって思って。」
確かに、サークルって響きが、たくさん部員がいるイメージではあるかもしれない。
「はは、去年までは先輩たちがたくさんいたんだけどね。」
そう、去年までは、先輩がたくさんいて、勿論新入生もいて、学校内で一、二は争わないけども、結構大きなサークルだったんだ。だけど去年の冬、四年の先輩たちが就活と卒論に燃え尽きていたころ、ある事件が起きてしまったんだ。言わば内部分裂と言うやつ。四年の先輩たちはみんな、アガサ・クリスティーやコナン・ドイル、江戸川乱歩などの、所謂本格ミステリーの古典を愛している人ばかりだったんだけど、新しく部長になった人を含む三年生たちは、新しい現代のミステリーを好んでいた。もとから、この二つの派閥で争ってはいたんだけど、四年生の先輩たちがいろいろ終わって、最後に顔を出したその時に遂に暴発したんだ。あくまでも本格ミステリーの方針でいて欲しい四年と、新しい方向へ突き進もうとする三年。僕と一年生はそれに巻き込まれていった。結局、もともとのミステリー研究会は古典を貫くこととなった。三年生たちの脱退によって。戦いに負けた先輩たちは、小暮以外の後輩を引き連れて新天地を作り上げたらしい。こうしてミステリー研究会は、僕と小暮、二人だけの弱小サークルになってしまったのだった。
現状を変えんと、今年の四月からあの手この手で新入生獲得を画策しているんだけれど、これが中々難しい。やる気のある一年生なんて皆無に等しいからね、うちの大学じゃあ。サークルに入っても幽霊部員になってもらっては困るんだよ。小説を書けとはいわないけれど、ちゃんと古典ミステリーを読める人でないと。そう考えて、そういう人が来るように勧誘の仕方も工夫しているというのに、未だに一人も入部希望者がいない。
「へ、へぇ。そうなんですか。大変ですねぇ。」
西条さんが薄く笑っていった。
「まぁ、うちの大学は部員が一人いれば部活として活動できるので、支障は特にないんですけどね。」
「へぇ、いいなぁ。うちの大学なんか、五人以上じゃないと発足すらできないんですよ。それ以下になると、何の慈悲もなく廃部にされるし。大学なんだから、そんな厳しくしなくてもいいのに!」
西条さんがいきりたってそういった。ぷっくりと頬を膨らましながら、だから新入生勧誘は死活問題なんですよ! と言う彼女を見ながら「そういえば、皆さんはどんなサークルなんですか。」と僕は尋ねた。
「私とはじめは、ギター・マンドリンクラブに入ってるんですよ。」
「ギター・マンドリンクラブ?」
「そう! みんなで、ギターとかマンドリンとか、あとコントラバスを演奏するの。面白いんですよー。」
ギター・マンドリンクラブ…。ギターはわかるけど、マンドリンって何なんだ。たぶん楽器だよね。聞いたこともないぞ。
「あの、マンドリンって…?」
「えへへ、マンドリンっていうのはね、イタリアで生まれた弦楽器でね、とってもきれいな音がするんです! 形は、こう、こんな感じで。」と、西条さんが空中で手を動かす。どうやらマンドリンの形を教えてくれようとしているみたいだけれど、実物を見たことがない僕にしてみたら、何が何だかわからない。
「無花果みたいな形なんですよね。確か。」
西条さんが宙に謎の物体を描き続け、僕が頭上にはてなマークを浮かべ続けていると、小暮がさらりとそういってきた。
「そう! そうです! いちじくの実を縦に半分に切ったような形なんですよ。」と西条さんはパンっと手を叩いた。
「小暮、お前よく知ってたな。」
僕が驚きながらそう言うと、
「いえ、別に。一般常識ですし。」と、奴はすまし顔で答えた。…マンドリンって一般常識なのか?
「そうですよ、並木さん! マンドリンはイタリアの楽器なんですけど、今世界で最も演奏されているのは、ここ、日本なんですよ。」
「CMやドラマとかでよく流れていますしね。」
「え、そ、そうなんだ。」
驚いた。マンドリンがそこまで一般的な楽器だったとは。これは僕が常識がなかったということか。…あとであおるにも聞いてみようと思って左斜め前を見ると、それまで我関せずといった感じで黙々と料理を食べていたあおるが首をかしげていた。何だ、マンドリンが何か知らなかったのは、僕だけじゃなかったみたいだな、よかったよかった。ふ、あいつもなんだかんだ言ってまだまだ子供、常識のないやつだ。
「はい! 最近だと缶コーヒーのCMで流れてたし、有名なのだと、並木さん、映画の『クレイマー、クレイマー』って知ってます?」
「ああ、うん知っているよ。お父さんが息子のためにフレンチトーストを作る話でしょ。」
「あはは、確かにそういうシーンはありますけど、あの映画は仕事人間だった主人公が奥さんに逃げられて、残された息子と一緒に改めて親子になる物語で、その中でテーマ曲として使われている曲が、ヴィヴァルディのマンドリン協奏曲なんですよ。この曲は他にもいろんなところで流れているから、きっと聞いたことあると思います!」
ふーん、そんな有名なんだ。どんな曲なんだろう。
「そのくれいまー、くれいまー? って、DVDとかになってないかなぁ。なんか聞いてみたくなってきちゃった。その、マンドリン協奏曲?」
僕がそういうと、西条さんはにんまりとチェシャ猫のような笑みを顔いっぱいに浮かべた。
「お、興味わきました? 湧いてきちゃいました? いいですよー、マンドリン! 合わせる楽器によって、いろんな表情を見せてくれて…。あ! そうだ。あの、私マンドリン持ってきてるんで、後で弾きますね、ヴィヴァルディのマンドリン協奏曲!」
「持ってきてるんだ…。」
「もっちろん。楽器は肌身離さず持っているのが私の信条なの。弾きたいなーって思ったときに、手元に楽器がなかったら悲しいじゃないですか! だからお気に入りの子達はいつも持ち歩いてるんです。おかげで、毎日大荷物になっちゃって。」
そういいながら、西条さんは照れたように笑みを浮かべた。それにしても、まさかあの大荷物の中身が楽器だったとは。僕はてっきり馬鹿でかいアイロンだとか、いつ着るかもわからないような大量の着替えだとか、お気に入りのぬいぐるみだとか、そんなものがぎゅうぎゅうに詰め込まれているのだとばかり思っていたんだけど。
「ということは、ほかにも何か持ってきてるんですか。」と、小暮が口を挟んできた。確かにさっきの口ぶりからすると、何か他にも楽器を持ってきてそうだ。
「あ、はい。えっと、あとはハーモニカとかも。」
「え! ハーモニカも吹けるの?」
「吹けますよー。あとフルートとかクラリネットも!」
すごい。僕なんて、小学校のときに習ったソプラノリコーダーぐらいしかできないのに。だからフルートだとか、クラリネットだとか、そういったおよそ学校では習わないようなものができる人は、無条件で尊敬してしまう。
「この子、こう見えてすごいお嬢様なんですよ。」
凛と透き通るような声が鼓膜を震わせた。東堂さんはナプキンで口元を軽く押さえながら、僕たちに目を向けた。
「そ、そんなことないですよ。もう、変なこといわないでよ、ほのか。」
「ほんとのことでしょ。」
きょとんと東堂さんが首をかしげた。そんな彼女に対して、西条さんは顔を真っ赤にしてぷくりと頬に空気を入れた。
「そ、そんなこといったら、ほのかだってそうじゃない。おんなじ学校だったんだから。」
「ぜんぜん違うわよ。私は高校に外部入学しただけだもの。千晴は、幼稚園のころからあの学校だったんでしょう?」
「そ、それは、そうかもだけど。」
「でしょう? それに、そんなにたくさん楽器もってるのだって、家がお金持ちって証拠だと思うけど。」
「そんなこと、ないもん…。」
ど、どうしよう。西条さんが泣きそうになっている。これは、なにかフォローを入れた方がいいんだろうか。いや、外野が下手になにか言うと、逆に悪化させるかもしれないし。どうしたらいいんだろう。
「あ、えっと、東堂さんもおんなじサークルなの?」
思い悩んだ挙句に搾り出した答えがこれだ。彼女の視線が僕を貫いているような気がする。しまった、失敗したか。
「…いえ、私はサークルには入っていないので。」
「え、そ、そうなんですね。すみません。」
「うちのサークルに入ってるのは、私とはじめだけなんですよ。」
「あ、そうなんだ。てっきり、みんな同じサークルに入っているのかと思ってたんだけど。」
そう僕がいうと西条さんは、さっきまでの泣きそうな顔からは一変して、いたずらを思いついた子供のような笑顔を浮かべた。
「あはは、そう思いますよね、普通。でもそうじゃないんですよ。ほら、私たち、全員苗字に方角が入ってるじゃないですか。それで大学では方位磁石だとか、東西南北だとか呼ばれてて、ちょっとした有名人なんですよ。」
「ちょっと、止めてよ。その呼び方、私嫌いなんだから。」
鋭い声で、東堂さんがそう西条さんをとがめた。
「あ、ご、ごめん。そうだったよね。ごめんね、ほのか。」
西条さんが慌ててそう弁解すると、東堂さんは「まぁ、別にそこまで謝らなくていいけど。」と言いながらそっぽを向いた。きっと自分の言ったことに照れているんだろうな。
「あはは、すみません。えっと、それで、何でこの四人なのかだったよね。」
そんな東堂さんに対して苦笑いを浮かべながら、西条さんが僕のほうを向いた。
「え、はい、そうだね。うん。」
「さっきほのかも言ってたんですけど、私とほのかは、高校が一緒だったんですよ。高一の時に席替えで隣になって、それからはずぅっと仲良いんだ。ね、ほのか。」
「うん、そうね。三年間おんなじクラスだったし。」
幾分か機嫌を直したのか、東堂さんが嬉しそうに相槌を打った。
「そうそう! で、ほのかとはじめとハルくんが中学の時同じ学校だったんだって。はじめとハルくんに至っては、家もお隣の幼馴染! 高校以外は、ずっと一緒なんですよ。すごいですよねぇ。」
「高校は違うところなんだ。」
「そうみたいです。どうせなら、高校も一緒のとこ行けばよかったのに。」
西条さんは残念そうな顔をしてそう言った。
「え、どうして?」
「だぁって、そしたらパーフェクトになるじゃないですか!」
「あ、な、なるほど。」
西条さんがそれにこだわる理由はよく分からなかったけれど、南野さんと北方さんが一緒にいる理由は分かった。あの二人、性格合わなさそうだけど、どうして仲がいいんだろうと思っていたけど、幼馴染だからか。
でも、幼馴染ってあんなにべたべたしてるっけ。僕にも所謂幼馴染と呼べる子がいたけれど、別にそんなに仲良くはない。そりゃ、小学校の時とかは、毎朝一緒に登校したり、お互いの家に遊びに行ったりしたけれど、そんなのせいぜい小六くらいまでで、中学に入ってからはほとんど、というか全く遊ばなくなったもんだけどな。むしろ話すことすら稀になったけど。でもまぁ、僕の場合その子が女子だったからってのもあるのかな。男同士だったら、話は違うのかも。
「オレは高校も同じとこ行くつもりだったんだけどな。」
いつの間にか、南野さんが北方さんを連れて、西条さんの後ろに立っていた。
「だのにこいつときたら、いきなり志望校変えやがってさ。結局バラバラになっちまったんだよな。全く。」
そういいながら南野さんは唇を尖らせた。アヒル口っていうのかな、こういうのって。女の子はよくやるけど、男がやるのはどうなんだろう。少なくとも、僕がやったら母さんとかに思いっきり爆笑される気しかしないんだけど。でも、南野さんがやると様になって見えるのは、彼がイケメンだからかな。…いや、同じイケメンでも小暮がやるのは許せないから、どっちかというと南野さんのキャラによるものなんだろうな。
「えぇ! ハルくん、そうなの?」
そう西条さんが聞くと、北方さんは困ったように眉を寄せながら、
「あ、うん。そうなんだよね、実は。」と言った。
「勿体無いなぁ。折角パーフェクトだったのに…。」
西条さんは本当に残念そうにそう呟いた。どれだけパーフェクトにこだわるんだろう。不思議だ。
「あ、オレらもう食い終わったんだけど、千晴たちは?」
「え、私たちももう食べ終わるから、ちょっと待っててよ!」
「面倒くせえなぁ。早くしろよ?」
「むぅ、わかってるよ!」
そういって、デザートの自家製バニラアイスを大きな一口で頬張る西条さんを見ながら、南野さんはニヤニヤと面白そうに急かす。
「ほらほら、早くしないと先行っちゃうぜ?」
「あら、一君は先に行っててもいいのよ。私が一緒にいるから。」
東堂さんがそう西条さんを擁護した。優しいんだなぁ。美しいものには、美しく清廉な魂が宿るって言うけれど、ほんとにそうなんだね。
「は? お前は口出すなよなー。萎える。」
「何よ、その言い方。折角親切心で言ってあげてるのに。」
「要らぬお世話ってやつなんだよ。このKY女。」
南野さんは彼女に向かってそう罵った。KY?東堂さんは別にKYではないと思うんだけどなぁ。ちゃんと空気読んでるし。
だけどまあ、いくら他にお客がいないからといってこのまま放置する訳にもいかないよな。生憎と手が空いてるのは僕だけみたいだし。ううん、こういうの苦手なんだけどな。
「ま、まあまあ二人とも。」
「…北方君は、黙ってくれるかしら。あなた今関係ないでしょ。」
僕より先にどうにかしようとした北方さんが、東堂さんに一刀両断された。友人の北方さんまでこうなんだ。ただの従業員の僕が言っても、火に油を注ぐだけになるかもしれない。…どうしよう。
「もう、何やってんのよ二人とも。私、もう食べ終わっちゃったんだから。ほら、行こっ!」
僕が止めるべきか、止めぬべきか迷っているうちに、バニラアイスを食べ終わったらしい西条さんがそういって、東堂さんの腕を取って立ち上がった。
「ほら、はじめも。あ、ご馳走様でした! とってもおいしかったです。」
そう言って、西条さんは東堂さんを連れて食堂から出て行った。
「ったく。…すみません。料理、本当にうまかったです。」
南野さんも、目礼をして早足で二人を追っていった。ひとまず嵐は去ったって感じなのかな、これは。それにしても、あの二人が言い争うのを見るのはこれで二回目だぞ。…もしかして、そんなに仲良くないのかな。喧嘩するほど仲がいいとは言うけれど、あの様子はそんな生易しい感じではなかったし、何で一緒にいるんだろう? あの二人。中学のとき一緒だったからって、そんな旅行まで来るんだろうか。…気になるなぁ。
「あ、あの、並木さん。」
ふと、声をかけられて振り向くと、そこには北方さんがいた。
「あれ、北方さん。どうされたんですか。」
てっきり南野さんと一緒に出て行ったと思っていたんだけど、まだいたらしい。
「さっきはうちの二人がすみませんでした。ご迷惑でしたよね。」
そう言いながら眉を下げて困ったように笑って、北方さんはペコリと頭を下げた。
「あぁ、いえ、大丈夫ですよ。他にお客様もいませんですし。」
「いえ、本当にすみません。」と言いながら、さらに深く頭を下げる北方さんに、僕も慌てて頭を下げる。二人して、お辞儀をし合っていると、
「並木さん、何やってるんスか?」と、明日の朝食の材料をキッチンに運び入れていた夏目君が、不思議そうに話しかけてきた。そういえば僕も、テーブルの片づけをやっていた途中だったんだった。早くやんないと、と思って食堂を見渡すと、さっきまでたくさんあった皿や料理が綺麗さっぱりなくなっていた。あれ、おかしいなぁ。
「あ、並木さん話し込んでたんで、オレ、片づけといたっス!」
僕が不思議に思ったのを感じ取ったのか、夏目君はニコニコ笑いながらそう言ってきた。なんだろう、なんだか段々飼い主に褒めて褒めてって尻尾を振ってる犬に見えてきた。
「へ? あ、ありがとう。ごめんね、やらせちゃったみたいで…。」
「いえいえいえ! こういうのは一番シタッパの役目なんで! 大丈夫っすよ!」
下っ端って、そういう意味じゃ僕や小暮が一番下っ端なんだけどな。彼の中では、それよりも年功序列の方が強いんだろうか。
「あ、みちるさんが明日の仕込みは一人で大丈夫だから、もうあがっていいって言ってましたよ。」
「え、そうなんだ。わざわざありがとう、夏目君。」
しまった! ほとんど何の手伝いもせず、仕事が終わってしまった。これは、あとで小暮に嫌味を言われても何も言い返せないぞ。
「オレももうあがりなんで! それで、何の話をしてたんすか? なんだか、メッチャ楽しそうでしたけど。」
「い、いや、ちょっとね。」
そういうと、夏目君は人懐こかった笑顔を意地の悪いものに変えた。
「あ、もしかして、恋バナっすか? いいっすねぇ。あの二人可愛いですもんね。」と夏目君がいうと、
「ち、違いますよ。その、さっき南野たちがご迷惑をかけたので、そのことについて…。」
北方さんが顔を真っ赤にしてあわてて否定した。恋バナって言葉だけでこんなに顔を赤くさせるなんて、初心な人なんだなぁ。
「お、その反応。…もしかして、あの二人のどちらかと付き合ってたりするんスかぁ?」
ニヤニヤしながら、夏目君がそういった。え、そっちなのか? くそう、あんな美人と付き合ってるなんて、なんてうらやましい奴なんだ。さっきまで感じていた僕の共感を返してほしいね。
「そ、そんなわけないじゃないですか! た、ただの知り合いですよ。千晴さんがボクなんかと付き合うわけないですし。はい。」
何だ、付き合ってるわけじゃないのか。よかった、よかった。
「なーんだ、残念っすねぇ。」
夏目君は目に見えてテンションが下がっていた。そんなに他人の恋路が気になるのか。下世話なやつだなぁ。男の恋バナなんて聞いたって、楽しくもなんともないだろうに。
「そう、そうですよ。本当に、何を言ってるんですか、もう。」
「すみませんっす。男女四人組だったから、てっきりそういうんだと思っちゃって。」
確かに、僕も最初はカップル同士のダブルデートかと思ってたし、そう思うのが妥当だよなぁ、普通。
「あはは、南野と千晴さんはよく勘違いされてますけどね。あの二人、仲いいですし。」
「確かサークルが一緒なんですよね、南野さんと西条さん。」
北方さんはこくりと頷いて、「はい。あの二人が同じサークルだから、ボクたちもひとまとまりにさせられているんですよね。」と苦笑しながら言った。
なんだか含みのある言い方だな。ひとまとまりにさせられている、なんて。
「もしかして、そんな仲良しじゃないんスか?」
僕が疑問に思っていると、いきなり夏目君がそういってきた。直球過ぎるだろ。君のキャラなら許されるかもしんないけどさ。
「仲、悪いわけじゃないんですけどね。たまに、ああいった喧嘩をしちゃうだけで。」と、北方さんは答えた。よかった、そんなに気を悪くはしてないみたいだ。
「あの二人、南野と東堂さんなんですけど、性格が合わないみたいで、よくああなっちゃうんですよ。ほんとに些細なことで言い争って、頑固というか。ある意味似たもの同士、なんでしょうね。」と北方さんは困ったように微笑んだ。
「もういい加減大人なんだから、妥協って言葉を覚えればいいのに。本当、昔と変わらない。」
そう独りごちて、北方さんはため息をついた。最初にあった時にも思ったけれど、あのグループの中で、なんかこの人だけ幸薄そうなんだよな。苦労してそうというか。他の三人にいつも振り回されているんだろうなぁ。
「まるで、母親みたいっすねぇ。こう、反抗期の子供を持った。」
そ、そうかな。どちらかといえば、ガキ大将に振り回される腰ぎんちゃくって感じだけど。
「…あいつの親には絶対なりたくないかなぁ。でも、まぁ、付き合いだけは長いですから、つい口うるさく言っちゃうところはあるかもしれないですね。」
北方さんは、夏目君のお母さん発言に苦笑いしながらそう答えた。付き合いが長い、か。仲がいいんだか、悪いんだか、わからない人たちだ。
夏目君がさらに質問しようと口を開くと、
「あ、それじゃ、ボクもそろそろ失礼しますね。なんか仕事の邪魔しちゃったみたいで、すみませんでした。それじゃあ。」と早口でそう言って、北方さんは食堂から足早に出て行ってしまった。やっぱり、さっきの発言で気を悪くさせちゃってたんだな。まったく、素直で直球なのはいいことだけど、時と場合を考えてもらわないとなぁ。そのうち問題を起こしちゃうよ。
さて、北方さんもいなくなったし、もう仕事はないみたいだから、僕ももう部屋に戻ろうかな。そういえば、さっき西条さんにマンドリン弾いてあげようかって言われたけど、あれ結局どうなったんだろう。返事をする前に、なんか有耶無耶になってしまったんだけど。うーん、まぁ西条さんも部屋で寛いでるだろうし、きっと社交辞令ってやつだから、別にいっか。
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