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 5  部屋に戻ると、小暮はすでに戻っていて、部屋の手前に設置されている自分のベッドに寝転んで文庫本を読んでいた。そういえばこいつ、いつの間にいなくなってたんだろう。西条さんとマンドリンの話をしていた時にはいたと思うんだけど。 「あぁ、先輩。ようやく戻ってきたんですね。」  小暮はドアを閉めた僕のほうに目をやって、そう厭味ったらしく言ってきた。確かに仕事はしてなかったけど、仮にも先輩が帰ってきたんだから、もっと労いの言葉をかけるべきだろ。何年僕の後輩やってるんだよ。全く。 「…ただいま。」  まぁ、僕も子供じゃないから、そんなこと態度には出さないけどね。ほら、僕大人だから。 「はい、お帰りなさい。…いつも思うんですけど、先輩って意外と礼儀正しいですよね。部屋に帰ってくると必ずただいまって言いますし。」と小暮は含み笑いをしながら僕に言ってきた。 「は? そんなの当たり前だろ。自分の部屋に帰ってきたら、まずはただいまを言う。常識だろ?」  何言ってるんだ、こいつ。そんなの礼儀以前に社会常識的なもんじゃないか。そんなんじゃ、社会に出ても通用しないぞ。一般常識の欠如ってやつだな。 「部屋にだれもいなくてもですか?」 「もちろん。人がいようといなかろうと挨拶はする。人として当然のことだよ。」  小さいころは僕も、うっかり忘れちゃうことがあったけれど、忘れると絶対母さんからお叱りを受けてしまうからね。これがまた恐いんだ。誰もいないからいいだろって思って何も言わずに家に入ると、どこからともなく母さんがやってきて、「ちょっと、ただいまはどうしたの? ただいまは。」と笑顔で言うんだ。それまで、電気もついていなかったのに、いきなり明るくなってさ、それはもう、今思い出しても恐怖に体が震えるよ。実際、当時の僕は一週間くらい、その母さんの顔を夢で見たからね。それからは、一回も挨拶をかかしたことはない。もうすっかり習慣づいたよ。 「先輩の常識は、普通とはまた違うような気もしますけどね。」  失礼な。僕ほど常識を心得た人間はいないと豪語できるぞ。ほら、僕の周りって常識外れの人間が多いからね、それを反面教師として、こんなにも真面な人間に育つことができたのさ。 「あ、そういえば、お前いつの間にいなくなったんだよ。おかげで僕一人だけサボったみたいになっちゃったじゃないか。」  僕が頬を膨らませてそう小暮に抗議すると、 「あぁ。ちょうど南野さんたちが来たときにですよ。俺ももう食べ終わってたんで、オーナーたちの手伝いをしに行ったんです。先輩くらいですよ、あんなに話し込んでたの。」と言われた。うるさいな、僕だってすき好んであそこにいたわけじゃないよ。なんか修羅場になっちゃってたし。 「だから、早く離脱すればよかったんですよ。お客同士の争いに巻き込まれるなんて、面倒ですし。放っとけばよかったんです。あんなの。」 「あんなの、って。お客様なんだから、あんなの呼ばわりはダメだろ。それに、目の前で言い争いしてんのに、その場を離れるとかできるわけないし。」  あの場面でそんなことしたら、それこそKYだ。常識ある僕にはとてもそんなことはできない。 「でも、結局仕事してないんですから、本末転倒ってやつですね。」  う、そこを突かれると何も言い返せないな。きちんと仕事をしていたこいつと、不可抗力とはいえ、実質仕事をサボっていた僕とでは、正義はあいつにあるんだから。 「それは、まあ悪かったけど。これからの仕事は頑張るし。ほら、風呂掃除とか。」 「あぁ、それなんですけど、さっきオーナーの息子さんから、今日の風呂掃除は俺がやるからといわれたんで、今日の仕事はもう何もないです。」 「え、…あおるのやつ、どういう風の吹き回しなんだか。」  しかし、これで本格的に仕事がなくなってしまった。せっかく今まで勤勉に働いて、真面目でできる男を演出してきたのに、台無しだよ。全く、あおるも余計なことをしてくれたもんだ。 「それにしても、あの人たち一体どういう仲なんですかね。とても旅行をするような仲良しグループには見えませんけど。」  僕がここにいないあおるに対して、心の中でグチグチ文句を言っていると、突然小暮がつぶやいた。 「まあ、確かに南野さんと東堂さんは仲悪そうだったけどさ、それ以外は別に普通に仲良さげな感じだったし、あの二人だけちょっとアレなだけなんじゃないか?」  僕がそう返すと、小暮はまるで馬鹿を見るような目つきで僕を見つめてから大仰にため息をついた。…なんだよその仕草、むかつくな。 「先輩には、あれが仲良さげに見えてたんですか。…俺から見たら南野さんと東堂さん以外にも、いろいろと問題を抱えてると思いますよ、あのグループは。」  問題? 西条さんも北方さんも、全員と仲がいい感じに見えたし、東堂さんだって、たまに意固地になる以外では、優しそうな人だと思うけどなぁ。南野さんは短気っぽいけどさ。 「まぁ、気が付いてないなら別にいいです。先輩は知らなくても。」  そういって、小暮はベッドから立ち上がると、ドアのほうへと歩いて行った。 「それじゃあ、俺ちょっと用事があるので、部屋留守にしますね。先輩はゆっくり休んでてください。」  ドアの前で振り向いてそういうと、小暮はドアを開け、部屋から出て行った。バタンと閉められたドアをぼんやりと見つめながら、僕はさっきの小暮の言葉について考えた。  あの言い方、小暮はどういう問題があるのか、もう確信しているんだろう。でも、僕にはその問題がなんなのかわからない。一体あの人たちに、どんな問題があるっていうんだろう。さっき話した感じ、全員いい人そうだけどな。特に西条さんなんて、気遣いもできて可愛いし。東堂さんも本当に美人だし、そういった意味では、恋愛関係の縺れなんてのはあるのかも。いや、でもそれは北方さんに否定されたしなぁ。うーん、やっぱり、小暮の勘違いじゃないのか。あいつ、人のこと穿った見方をするところあるし。  うん、そうだ。そうに違いない。そう結論付けるとなんだかいきなり眠気が襲ってきた。僕のベッドはあっちだけど、移動すんの面倒だし、ベッドに散乱している荷物を片付けるのも面倒だしなぁ。別にいいや。小暮だし。僕はさっきまで小暮が寝転んでいたベッドへと体を預けた。小暮のやつ、僕のベッド片付けといてくれないかな。そう思いながら、僕の意識は闇へと呑まれていった。

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