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ロビーに向かっていると、二階に続く階段から誰かが下りてくる音が聞こえた。誰だろうと思って踊り場を見上げると、そこには従業員ルームにいると思っていた小暮がいた。
「あ、先輩。ようやく出てきたんですね。」
小暮はそういいながら僕のほうへと近づいてきた。
「お前、西条さんのところへ行ったんじゃなかったのかよ。」と僕がつぶやくと、
「はい、ちょっと確認したいことがあって、北方さんのところへ行っていたんです。」
小暮はそういって、ロビーへと入っていった。
「確認したいことって、なんだよ。」
僕がそう尋ねると、小暮はロビーの隅に設置されている従業員ルームへと繋がる扉を開けながら、
「犯人にとって、致命的な証拠、ですかね。言うなれば。」と答えた。
犯人にとって致命的な証拠? 一体なんなんだろう。僕には全くわからない。小暮にわかっていることが、僕にはわからないという事実が怖くて仕方がない。こいつにはもう犯人がわかってるんだ。なら、どうして僕に何もいわないんだろう。どうして。もし、それが僕と同じ考えなら。そう思うと体が震えて、歯がガチガチと鳴るのを止めることができなかった。
「先輩は何も心配しなくて大丈夫ですよ。もう、全て終わりますから。先輩は何も考えなくていいんです。」
僕の肩に手を置いて、小暮が一際優しい声でそういってきた。安心なんて、できるわけない。だけど、肩に置かれた小暮の手がいやに温かくて、固まっていた身体がふっと緩まっていくのがわかった。
「なぁ、小暮。お前さ、誰が東堂さんを殺したのか分かったのか?」
意を決して、僕は小暮に話しかけた。もしこれで僕の思っている通りの答えが返ってきたとしたら、僕は一体どうすればいいのだろうか。わからない。
「わかってましたよ、最初から。誰がやったのか、なんて。…先輩も、そうでしょう?」
小暮はくつりと笑ってそういった。あぁ、やっぱりそうだ。小暮はわかっているんだ。わかってて、あんなことを言い出したんだ。でも、どうして。わからない。わからない。小暮の考えていることも、これからしようとしていることも何もかも、わからない。
「小暮君と並木君…? どうしたの、こんなところで。」
突然、女性の声が従業員ルームの廊下に響いた。その声に引き戻されるように、僕は声のした方へと顔を向ける。
そこにいたのは葛西さんだった。葛西さんはポットを持ちながら僕たちを不思議そうに見ていた。
「あ、葛西さん。えっと、ですね。」
「西条さんがこちらにいると聞いたので、ちょっと様子を見に。」と口ごもる僕に代わって小暮がいった。
「そう。彼女ならさっき落ち着いたところよ。鍵は開いているから、好きに入って。じゃあ、私厨房で紅茶入れてくるわね。」
「あ、はい。わかりました。」
葛西さんが立ち去っていくのを見つめていると、小暮に「それじゃあ、西条さんのところに行きましょう。」と急かされてしまった。そんなに急がなくてもいいじゃないか。僕としてはこのままここで過ごしていたいくらいだ。
葛西さんの部屋は、従業員ルームに入ってすぐのところにある。小暮はそのドアを何の躊躇もなく開けた。
いやお前ノックぐらいした方がいいんじゃないか。女の人の部屋なんだし。
「失礼します。」
そういって部屋の中に入る小暮に僕も小暮の後ろに隠れるようにして続いた。
「え、小暮さん? 並木さんも…、なんでここに?」
部屋に入ると、ベッドの淵に座る西条さんが驚いてた顔でこっちを見ていた。確かにいきなり男ふたりが部屋に入ってきたら、驚く、というかむしろ恐怖でしかないよな。
「ええ、少しお聞きしたいことがあって。…東堂さんのことなんですが。」
「ほのか、のこと?」
東堂さんの名前を出した途端、西条さんの表情が強張った。
「はい。西条さんは、東堂さんとは高校からの付き合いだと聞いていたので、何か知ってるんじゃないかと思いまして。」
小暮はそう前置きしてから、
「東堂さんの、恋愛事情についてなんですが。」と聞いた。東堂さんの恋愛事情、さっき南野さんと付き合ってたという話は聞いたけれど、それは中学の頃だもんな。小暮は、東堂さんの恋愛関係が今回のことに関係してるなんて本当に思ってるんだろうか。
「小暮さんは、ほのかが、殺されたって思ってるんですね。」
「…はい。そしてその原因は、恋愛関係のもつれだと思っています。」
小暮がいう。その言葉を聞いて、西条さんは焦ったように小暮に詰め寄った。
「まさか、はじめが犯人だって思ってるんですか! 確かにはじめは、ほのかと付き合ってたけど、今はそんなんじゃないです。はじめはそんなことしません!」
必死にそういう西条さんを見て、僕はおかしく思った。どうしてここで南野さんの名前が出てくるんだ。西条さんは、あの二人のことは知らないはずなんじゃ。
「俺は一言も、南野さんだとはいっていませんよ。…やっぱり、知っていたんですね。二人の関係を。」
小暮にそう言われて、ハッとしたように西条さんは口元を押さえる。それから胸元でぎゅっと手を握り締めて、こくりと頷いた。
「…知ってました。ほのかが、はじめと付き合ってたこと。高校の時に、ほのかが教えてくれたんです。今付き合ってる人がいるんだって。学校が違っちゃったから、なかなか会えないけど愛し合ってるんだって。その時に、中学の時に撮ったプリクラも見せてくれて、だから私、はじめのことは大学に入る前から知ってたんです。一方的にだけど。その頃は、なんだか怖そうな人だなって思ってたんですけど、大学に行って、同じサークルに入って、パートが同じになってからよく話すようになったんです。そしたら、全然怖くなくて、むしろ優しくて。はじめと一緒にいるだけで、胸がドキドキするようになってきて。……好きになっちゃいけないって、わかってたのに。ほのかを裏切っちゃいけないって思ってたのに。」
西条さんは今まで押し止めていたものを吐き出すようにいった。
「わたし、ずっとほのかに嫉妬してたんです。はじめと仲のいいほのかが、きれいで何でもできるほのかが、羨ましくて仕方がなかったんです。…ほのかが中学のことを話す度に、自分がここにいてもいいのか、わからなくなって、どうして私は同じ学校じゃなかったんだろうってそればっかり考えちゃうんです。ほのかのこと、大好きなはずなのに、はじめと一緒にいるのを見るだけで、嫌な気持ちがどんどん生まれてきて。ほのかなんて、いなくなっちゃえばいいんだって、そんなこと、考えたりしちゃって…。」
ぽつぽつと話しながら、西条さんは自嘲気味に笑って顔を俯かせた。その痛々しい姿に、僕は何もいうことができなかった。
「だから、殺したんですね。」
しんとした部屋に小暮のその言葉だけが響いた。何をいってるのか理解することができなかった。
「…え? 何を、言ってるんですか。殺したって…。」
西条さんも戸惑ったように小暮にいう。小暮はそんな西条さんを見つめて、再度口を開いた。
「あなたが、殺したんですよね。東堂さんを。」
何を、馬鹿なことを言ってるんだろう。西条さんが東堂さんを、殺した? どうして、そんな結論になるんだろうか。そんなわけないのに。西条さんが犯人なわけない。
「あなたは、東堂さんを妬ましく思っていたのでしょう? 殺したいと思うくらいに。そして、昨夜、その気持ちを押さえつけることができなくなった。…違いますか。」
氷のように冷え切った目が西条さんを見やる。その冷たい瞳に、西条さんはびくりと体を震わせた。
「ち、違います。どうして、どうして私がほのかを殺さなきゃいけないんですか!」
怯えながらも、西条さんはそう、小暮に反論した。
「どうして? それはさっきいったじゃないですか。あなたは東堂さんに対して、殺したいほどの憎しみを持っていたんですよ、潜在的に。あなた自身はそう自覚していなかったのかもしれませんが、無意識のうちに彼女に殺意を覚えていた。」
「違う! …確かに、ほのかに対して嫉妬しちゃったことはあるけど、でも、そんなので殺してしまうわけない! 私じゃない!」
そうだ。西条さんは殺してない。僕にはわかる。小暮は、間違っている。あいつが何を考えているかわからないけど、それだけははっきりとわかる。
「そこまで言うのなら、あなたが犯人だという証拠をお見せします。…ずっと不思議だったんですよ。犯人はどうやって208号室に入ったのかが。部屋には鍵がかかっていますから。合鍵は受付にある一本のみ。その鍵も、今朝事件が起きたときには所定の位置にあった。…では犯人はどうやって鍵を開けたのか。結論はたったひとつ、最初から鍵を開ける必要なんてなかったんですよ。東堂さんに開けてもらえばいいんです。ですが、東堂さんの性格を鑑みると、よく知らない従業員をそうやすやすと部屋には入れないでしょう。なら、東堂さんが部屋へと招き入れるのは、一体誰か。北方さんでしょうか。いえ、彼の話を聞くに、東堂さんと彼の関係は良好なものではなかった。部屋に招き入れるとは考えづらい。では、南野さんはどうか。彼に対してはある種の好意を東堂さんは持っていたと考えられます。しかし、では部屋へ入れるかと考えると、答えは否でしょう。あの二人は昨日二回も激しい言い争いをしています。そんな状態で、彼を自分のスペースへと入れるとは考えられません。それに先ほどあなた自身も、彼が犯人ではないと発言していますしね。…では、残るのは誰でしょうか。」
一息にそういい切ると、小暮はにこりと笑った。
「そう、あなたですよ。西条さん。この条件に当てはまるのは、あなた以外にはいないんです。」
「そ、そんなの、ただのあなたの空想じゃない! 私がやったなんて証拠、ひとつもない!」
顔を青ざめて、西条さんは叫んだ。肩で息をしながら、小暮をにらみつける。
「証拠、ですか。実は先ほど、あなたの部屋を調べさせてもらったんです。そのときに、これを見つけましたよ。この…208号室の鍵を。」
そういって、小暮はジャケットのポケットから、鍵を取り出した。その鍵には208号室のタグがついていた。東堂さんの部屋の鍵だ。どうして、そんなものが西条さんの部屋に…?
「な、なんで。」
「あなたは東堂さんにドアを開けてもらい、部屋へと入った。そしてそこで、諍いが起こった。今まで心の奥底に隠していた感情を抑えることができなくなったあなたは、彼女の頭をテーブルの上におかれた灰皿で殴ってしまったんです。そして、灰皿の指紋をふき取って、部屋から出て行った。しっかりと鍵を閉めて。おそらく、事件が発覚するのを遅らせるためでしょう。鍵が開いていれば、不審に思った北方さんや南野さんが開けてしまうかもしれませんからね。けれど、逆にその行動が、あなたにとって命取りになりましたね。鍵がみつかった以上、あなたの犯行は証明されたも同じですから。」
小暮がそういい終わると、西条さんは崩れ落ちるように床にへたり込んだ。
「違う、私はやってない。そんなことしてない。私じゃない…。どうして、そんなこというんですか。どうして…。」
「まだ認めないんですか? 見苦しいですよ。」
小暮が冷たくはき捨てる。違う、認めないんじゃない。本当にやってないんだ。西条さんは、何もやっていないんだから。小暮、お前が間違っているんだよ。
僕が西条さんを援護しようと口を開くと、きぃと音を立てて、部屋のドアが開いた。そこに立っていたのは、顔を青くさせた南野さんとポットを両手で抱えている葛西さんだった。どうしてここに南野さんが。
「すみません、聞くつもりはなかったんですけど。入るタイミングがなくて…。」と葛西さんが目線をあちらこちらに移しながら言った。一体どこから聞いていたんだろう。どこまで、聞こえていたんだろう?
「なぁ、本当にお前がやったのか、千晴。」
ぽつりと南野さんがそうこぼした。
「お前が、穂乃花を、殺したのか? …なぁ、何とか言えよ!」
そう怒鳴る南野さんに怯えてか、西条さんは何の言葉も発することができなかった。西条さんはただただ、震えていた。
「どうして、そんなことしたんだよ。お前、穂乃花とは仲良かったんじゃねぇのかよ。それなのに、どうしてそんな酷いことができんだよ…!」
南野さんのその言葉に、西条さんは跳ねるように俯けていた顔を上げる。
「違う! 私はやってない! やってないの! 信じてよ、はじめ…。」
「いいえ、あなたが犯人です。証拠もありますし、目撃者もいますよ。」
泣き叫ぶようにいう西条さんに、小暮が一人冷静にそういった。目撃者…? そんなの今まで話に出てこなかったじゃないか。
「そうですよね。…葛西さん。」
「…はい。言うべきか迷っていたのですが、私昨夜、208号室から大きな物音がしたので、様子を見に行ったんです。そのとき、208号室から出てくる、西条さんを見ました。」
葛西さんは、顔を伏せながらいう。そんな、まさか!
「そのとき、西条さんは鍵を閉めていったんじゃないですか?」
小暮のその問いかけに、葛西さんは一瞬考えるそぶりをして「はい、そうでした。鍵をかけていたと思います。」と肯定する。嘘だ。嘘に決まってる。嘘じゃなければ、見間違いだ。
「え、なんで? どうして…?」呆然と、西条さんがつぶやいた。
「じゃあ、やっぱり千晴が…。」
「ええ、西条さんこそが、東堂さんを殺した犯人に相違ありません。」
小暮がそう断定すると、南野さんは、
「……、オレ、お前らは仲いいんだと思ってたよ。でも違ったんだな。お前は穂乃花のこと、そんなに嫌っていたんだな。」と床に膝をついて、顔を片手で覆った。
「違うの…。」
「何が違うんだよ。もう、犯人はお前しかいないんだよ! 悪いことはいわねぇ。早く認めて、自首しようぜ? な?」
優しく、諭すように南野さんは西条さんに語り掛ける。
「違うの…、私じゃないの…。」
「違わないんだよ。お前が穂乃花を殺したんだ、お前なんだ!」
「違う。本当に、違うの。」
「いいから! さっさと認めちまえよ! 早く、認めてくれよ…。」
いつまでも続く応酬にきれたように、南野さんが怒鳴った。違う、違うんだよ、南野さん。西条さんは間違ってないんだ。間違ってるのは小暮のほうなんだ。そして、僕はそれをすべて、説明することができる。だけど。…どうしても、それを口にすることができなかった。どうしても、無理だった。
「なぁ、自首、してくれよ。…頼むから。」
そう、南野さんがつぶやいたときだった。それまで、床に座り込んでいた西条さんが、突然立ち上がって、
「違う! 私じゃない。私じゃないの…。どうして、どうして誰も信じてくれないの!」と叫んだ。そして、すぐそばにいた僕を思いっきり突き飛ばして、呆然としている葛西さんの横をすり抜け、開けっ放しだったドアへと走っていった。そのまま部屋の外へと出て、西条さんは走り去っていく。すこし遅れて、小暮が西条さんを追って、部屋を出て行った。僕は、ただその光景を見ていることしかできなかった。
「っ千晴!」
数拍遅れて、南野さんも西条さんを追っていった。僕もつられて走り出す。従業員ルームを抜けてロビーへと出ると、玄関の方に南野さんがいた。
「南野さん!」
そう叫んで近寄ると、南野さんは焦ったように、明け放たれた玄関の扉を指差して、
「千晴のやつ、外に行っちまったみたいなんです。多分、小暮さんも。オレも千晴を探しに行くんで、並木さんは他の人にこのことを話してください。…この天気じゃ、見つけられないかもしれないんで。」といって、僕の返事も聞かずに雨が強く降り付ける外へと駆け出して行った。
残された僕は、急いでみちるさんや夏目くん、あおる、そして北方さんに今さっき起こったことを話した。葛西さんが、西条さんが東堂さんを殺して逃げたと説明すると、北方さんが「嘘だろ、嘘ですよね…?」といって、外へ行こうとした。夏目くんがそれを慌てて止めると「オレも、信じらんねぇっす…。あの、西条さんが。」と呟いた。
「とりあえず、オレたちも探しに行こう。…小暮さんたちだけに任せておくわけにはいかない。」
「ボク、ボクも行きます!」
あおるは北方さんを一瞥してから首を横に振る。
「いえ、北方さんはここで残っていてください。外へは、オレと、夏目で行きます。…優斗たちはここで待っててくれ。入れ違いになるかもしれないからな。ほら、行くぞ、夏目。」
夏目くんとあおるがペンションから出て行くと、北方さんは、どさりとロビーのソファに座り込んだ。
「嘘だ。そんなの、嘘だ…。千晴さんが―」
顔を覆い、そう繰り返す北方さんに、僕は何も言うことができなかった。本当はそうするべきだったのに。
そしてあおるたちが探しに言ってから数時間後、西条さんは見つかった。土砂崩れによって作られた崖の下で。頭から大量の血を流して。
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