44 / 46

第44話

どさっと重いものが落ちるような音がして、スーラが闇の中に目を凝らす。 「…っ!」 何だかわからないが、息づかいから生き物であろうと理解する。それがズズ、ズズっと重いものを引き摺るような音をさせて近付いてきた。 スーラが恐怖から大声を出してしまいそうになる口を片手で塞ぎ、もう片方の手で地面を掻くようにして、尻をつけたまま後ずさる。 「ゥー…ラ…」 人と分かる声にスーラが後ずさるのをやめ、闇の中にいないはずの人影を探す。 「誰…?」 喉がひっついて声が掠れた。 「ス…ーラ…」 聞こえてきたのは自分を呼ぶ、聞き慣れた声。 しかしその声は弱々しく、スーラの知っている声の主とはかけ離れたものだった。 「ガルー?ガルーなの?」 半信半疑で、呼び慣れた名を呼んだ。 「あ…あ…」 消え入りそうな肯定の返事に、その声が消えぬ前にと声に向かって手を伸ばす。 ひやっとした、それでも人と分かるものにスーラの手が触れた。 触れた手のあまりの冷たさに引っ込めそうになるのを我慢して、それに触れたままで膝で近づいて行く。 「ガルー、すごく冷たい…大丈夫?」 ようやく闇の中でも人の輪郭が分かり、その腕と思われる部分を掴む。 「ガルー、本当に大丈夫?なんだか冷たいし、かたい。それに、声も弱々しいし…ガルー?」 その表情を見ようと目を凝らしても、スーラには暗い闇の中、顔の輪郭を確認できるほどしかできなかった。 それが突如、なんの前触れもなく部屋の中を蝋燭の炎が照らし出した。 「あっ!」 闇に慣れた目には普通ではほの暗いほどの灯りでも、痛さを感じて体が無意識に目を閉じた。 数秒後、恐る恐るそーっと目を開くと、目の前には自分をここに置き去りにした張本人の姿があった。 「サンクリウス!」 「あぁ、先程はどうも…ところで、私のモノから手を離していただけますか?」 言うが早いか、サンクリウスの手がガルーの腕を掴んでいたスーラの手をパシリと叩き落とした。 「え?あ、ごめんなさい。」 反射的に謝るスーラを見て、サンクリウスが蔑むように笑った。 「あなたは本当に人がいい。そんなだから、彼の国の思惑もバレたのでしょうね。」 「どう言う事?」 「ラントアやガルーが自分の仲間を殺した仇だとあなたは言うが、実の所あなたの態度や言葉の端々によって二人がそれに感づいたまでの事。寧ろそう考えればあなたこそが彼の国を滅亡させた…そう考えられるのではないですか?」 「そ…んな…」 「そうやって被害者ヅラして、何もわからないような顔をして、溺れそうなほどの愛を注がれ、この国での地位を確実にするための子供という証まで手に入れた。それでも尚、仇だと、愛していないと駄々をこねる…本当に、殺してしまいたくなります。」 冗談ではない、凄みのある本気で殺したいと願う殺意をぶつけられ、スーラは口をつぐむことしかできなかった。 「この場で一思いにその腹の子共々、殺してしまうのは簡単なのですが、私は自分の手が 汚れるのは大嫌いなんです。ですから、この部屋で勝手に死んでもらおうと思っていたんですけどね…あなたのせいですよ、ガルー。」 そう名を呼ぶと、ガルーの腹に勢いよく足を振り下ろす。 「ぐぅっ!がはっ!」 何度も振り下ろされる足によって、ガルーの身体には痛々しい痕が残っていった。 部屋にはガルーの苦痛の声だけが響く。 その迫力に一瞬放心状態だったスーラがハッとしたように気が付いた。 「やめて…やめてぇ!」 目の前で行われている行為に我慢できずに大声を出し、ガルーに近付こうとするのをガルーの手が止めた。 「に…げろ…」 足蹴にされ続け、それでも自分のことよりスーラに逃げろと言うガルーにサンクリウスの顔が怒りで真っ赤になった。 「誰も彼も、スーラ、スーラと…だったらガルー、あなたもここでスーラと共に朽ち果ててしまえばいい!」 勢いよく腹を蹴り上げられてゴロゴロと転がったガルーの体が、スーラの膝にぶつかった。 すかさずスーラがガルーの体を揺り動かす。 「ガルー!ガルー、ねぇ、ガルーってば!!」 その体は氷のように冷たく、顔は死人と見間違う程に血液の通っていない色をしている。 スーラがいくら揺り動かしても目を開けることはなく、それでも口から微かに漏れるうめき声で、ガルーが生きていると分かる。 再びガルーの体を揺り動かそうとした時、たった数日にも関わらず、泣きそうになるほどに愛しい声がスーラの耳に届いた。 「スーラ!スーラ!」 もう会えることはないと諦めていたラントアが、自分の名を呼び駆け寄って来る。手を伸ばし、立ち上がりそうになる体…しかし、スーラの心がそれを引き止めた。 「行け…よ…」 今までピクリとも動かなかったガルーの手が、スーラの背中を押した。 「ガルー!?」 「あいつ…からは、にげ…られない…しつこいヤツ…だからな。だから、もう…諦めて、愛され…ろ…」 再びガルーの手がスーラの背中を押す。 「なら、ガルーも行こう!」 スーラの言葉にガルーが弱々しく微笑んだ。 「俺にも…俺を諦めて…くれない…ヤツ…が、いるんだわ…。すまん…な…」 ガルーに手を伸ばそうとしたスーラの体が突然ぐいっと引っ張られ、懐かしく愛しい香りに包まれた。 「スーラ!もう離さない!スーラ、愛してる!」 身体をきつく抱きしめられたスーラが、ラントアの腕の中で苦しいと呻いた。 「あ、すまない。スーラ、大丈夫か?」 少し腕を緩めて、それでもスーラをその胸に抱いたままで問いかける。 こくんと小さく頷くスーラにラントアがほっとする。 「何故、あなたがここにいるのですか?」 冷たいサンクリウスの声が突如、後ろから聞こえた。 しかし、それに動じることなくラントアがガルーを見下ろして答える。 「ガルーが教えてくれた。」 「やはり、あなたを早く始末しておけばよかった…ガルー。」 「お前…の、ま…けだ…」 ガルーの言葉にサンクリウスが微笑みながら頷く。 「そのようですね。ねぇ、ラントア、ガルーに最後のキスをしてもいいですか?」 妖艶に微笑むサンクリウスにスーラの背筋がゾクっとした。 ラントアがガルーを見て無言でどうする?と問う。 「ああ…」 ガルーが頷くとラントアが横に退き、サンクリウスが静かにガルーに近付いて唇を合わせた。 静かな部屋に唾液の絡み合う音が響き、スーラが真っ赤な顔になって俯く。 音から守るようにラントアが再びきつめにスーラを抱きしめた。 「ありがとう…」 スーラがか細い声でラントアの胸にその体を預けて言う。 「スーラ…」 驚きと嬉しさに破顔しかけたラントアをスーラがダメだよと諌める。 そんな風に二人が話している間に、ようやくサンクリウスの唇がガルーから離れた。 その瞬間、ガルーがゲホゲホと咳き込んで血を吐き出した。 「ガルー!」 駆け寄ろうとするラントア達にガルーが来るなと手で制す。 ガタンと二人の後ろで音がして振り返ると、そこにはガルーと同じようにサンクリウスが血を吐き、膝をついていた。 「うまく…飲ませた…と、思ったのですが…」 サンクリウスの言葉にガルーがニヤッと笑い、手招いた。 「お前の魂胆なんざ、おみ…とおしなんだよ。なぁ、こ…っちに来い…よ。俺の…腕枕、好き…だったろ?最後に…してやるよ。」 「あなたのせい…で、苦しみが長く続く…最悪な…死を迎え…ることに…なったんだから、それ位は…していただき…ます。」 ヨタついてうまく歩けないサンクリウスの体をラントアが支えて、ガルーの隣に横たえる。 ラントアがスーラの横に戻り、その肩を抱くとスーラの感情が溢れ出した。 「ラントア、助けられないの?ねぇ、二人を、助けてよ!」 「スーラ…ラントアを困らせ…るな。これは俺が望ん…だこ…と。今は…二人きりで…静かな時間を…過ごさせて…くれ。それと…スーラ、俺の最後…の願い、聞き届けてく…れるか?」 「ラントアの…事?」 「そ…うだ。自分を…許してやれ。そして…ラントアと…いいな?」 「…分かった。」 スーラが頷いて答えると、ガルーは笑顔になって、 「ありがとな。」 そう答えた。 その言葉を聞いたスーラがラントアの胸に顔を埋め泣き出した。 腕の中で泣き続けるスーラの髪を優しく撫でながら、ラントアが促すように語りかけた。 「…行こう、スーラ。ガルー達を二人きりにしてやろう…な?」 ラントアの言葉にスーラが静かに頷く。 スーラの体を抱えるようにして歩き出したラントアが、後ろを振り返った。 ガルーと目が合い何も言わずに頷くと、今度は後ろを振り返ることなく部屋から出て行った。 二人きりの静かな部屋の中で、ガルーがサンクリウスに問いかける。 「まったく、こうなると…分かっていながら、な…んで、二人分含んで…こなか…った?」 「そうすれば…死が迎えにくるま…で、長くあなたとふた…りきりでいられる…でしょ?」 「ふっ…かわいい事を言って…くれる。ただ、死の前に…聞きたくはなか…ったな。抱きたくても…さすが…に、無理…だ。未練が…残…っちまった。」 「なら、生まれ変わった先の…世で、私を…抱き潰し…て…ガ…ルー…やく…そ…」 そこからはただただゆらめく蝋燭の炎が少しずつ小さくなっていくのを、ガルーはその胸に抱いたサンクリウスの呼吸が段々と静かになっていくのを感じながら眺めていた。

ともだちにシェアしよう!