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第10話 猟犬様の獲物は⑤
希望はトンネルのような茂みに潜り込んだ。
狩りでは失敗を繰り返してしまったが、かくれんぼではなかなか好調だ。ライに見つからずに驚かすことができて、希望は嬉しかった。
ライに教えられたように、じっと動かず、息を潜める。
希望は血統書付きの仔犬である。よし、と言われるまで待つこともできる。ふらふらうろうろせずに、びしっとポーズを決めることだってできるのだ。
しかし、残念ながら希望は「またライさんをびっくりさせてやるんだ!」と意気込むあまり、尻尾がぱたぱたと揺れていることに気付かなかった。
尻尾以外はしっかりと隠し、姿勢を低くして、茂みの下の隙間からこっそりと覗いた。ライは少し離れたところにいた。
ライは希望が隠れている茂みには背を向け、尻尾は右に左にと、ゆっくり揺らしている。何かの様子を窺っているようだ。
希望はライの耳の向いている方向、視線の先をじっと見つめた。
森の奥、木々の合間をするすると静かに走り去っていく黒い影が見えた。見覚えのある凛々しい立耳と、黒い尻尾だ。木の葉や草の中で、僅かに垣間見える程度で顔も見えず、並ならぬ速さで遠ざかっていく。
希美だ、と希望はすぐに気づいた。
ライは希美が走り去っていく姿をじっと見ていたのだ。
希望は茂みの中からこっそり出てきて、その場で小さくなって座り込む。茂みの陰で、ライからは見えないはずだ。
どうしてライが自分を誘ってくれたのか、希望はずっと不思議に思っていた。
いろいろ貰って、お礼をしなければならないのは自分なのに、ライは希望にたくさんのことを教えてくれている。どうしてだろう、とずっと考えていた。
だけど、もしかしたらライは希美と遊びたかったのかもしれないと気付いてしまった。
元気よく振っていった尻尾はぺたり、と地面に落ちる。希望は俯いて、膝をぎゅっと抱えた。
ライが待ち合わせで会った時に「希美は?」って言っていたのも、そう考えると理解できる。希美も一緒に来ると思って、自分を誘ったのかもしれない。
できるだけ考えないようにしていたが、一度深く沈んでいくと止められなかった。今日の狩りでの失敗の数々も思い出して、肩と心が重くなる。
ライさん、俺とじゃ楽しくないのかな?
いっぱい失敗しちゃったし、かっこ悪いとこばかり見せちゃったもんなぁ。
でも、希美に会わせたらまたいじめるかもしれないし……。
希望はライの怖い顔を思い出す。眉を寄せ、牙を見せつけ威嚇するライは怖かった。思い出すだけで、希望は少し震えてしまった。
やはり希美には会わせられない、と茂みの裏側をもう一度覗いてみる。姿勢は低くして、恐る恐るライがいる場所へ目を向けた。
「……あれ?」
希望は目を丸くした。
先ほどまでライが立っていた場所は誰もいなくなっていた。それどころか、周囲に気配を感じない。
希望は姿勢を低く保つことも忘れて、思わず立ち上がった。
茂みから抜け出して、ライがいたはずの場所まで駆け寄ったが、やはりどこにもライの姿はない。
「……ライさん?」
呼び掛けても、ざぁぁ、と風の音が去っていくだけで答えはなかった。希望の脳裏に、希美を見つめるライの姿が過る。
……もしかして、希美を追いかけていっちゃった?
自分は置いて行かれたのかもしれない、と気づいて、希望の視界がじわりと滲む。周りを見回しながら、仔犬のようなくぅーんとか細い声で鳴いてしまいそうになって、ぐっ、と耐えた。
「……ライさん……」
希望が俯き、ぽつり、と呟いた。その時だった。
「……?」
風の音に紛れて、がさり、と葉や草が混じる土を踏みしめる音がした。ビクリと体を震わせ、周囲を窺う。どこからだろう、と耳も動く。
周りを見回しても何もいない。
けれど、確かに迫る気配を感じた。
周りを注意深く見回していた希望は、ふと地面に目を向けた。
理由はなかった。ただ偶然目を向けただけだった。
けれど、そこで、自分の陰に大きな影が覆ったことに気づき、顔を上げて、勢いよく振り向いた。
見えたのは鋭く光る綺麗な深緑の瞳だけだった。
次の瞬間には大きく黒いものが覆い被さって、希望は背中を地面に打ち付けた。
痛い、と感じる間もなく、大きな手が肩を押さえつける。大きく開いた真っ赤な口と鋭い牙が容赦なく迫る。
「――っ!?」
無防備な喉元に喰い付かれて、希望は声にならない悲鳴を上げた。
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