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第11話 猟犬様の獲物は⑥
「……よそ見すんなって言っただろ?」
希望の首筋に軽く歯を立てた後、ライは顔を上げた。呆れたように笑いながら、指先は髪を柔らかく撫でている。
けれど、ライの腕に触れている希望の手が震えていることに気づいて、手を離した。
笑うライとは対照的に、希望は硬直し、はっ、はっ、と短く、浅い呼吸を繰り返している。うまく呼吸ができず、心臓はどくどくと大きく早く胸を打つ。ずっと星を撒き散らしていた金色の瞳は大きく見開き、今までにない色を帯びていた。
ライは僅かに目を見開いたようだった。だが、希望がその変化に気づく前に、再び笑みを浮かべた。
希望の上から退くと、希望の背に手を添えて、そっと身体を起こしたが、希望は座り込んだままだ。呆然と地面を見つめている。ライがしばらく見つめていても気づかない。
ライは覗き込むようにして、声をかけた。
「……驚いた?」
ライが頬を撫でると、希望はハッと我に返って、ようやくライを見た。こくこく、と数回頷いて、ゆっくりと呼吸を繰り返している。
希望は震える手で、そっと自分の喉に触れた。
襲われた瞬間、食い千切られたかと思った。それほどの迫力だった。自分の喉から血飛沫が舞って、口元を真っ赤に染めたライの姿さえ見えたような気がした。
でも、全ては恐怖故の幻覚で、実際は咬み跡1つ付いていないだろう。首を撫でて無傷を確認すると、ほっとしたが、震えはまだ止まらない。
「……ごめんなさい……。びっくりしちゃって……」
「よそ見してるからだよ。何見てたの?」
「え? えっと……」
ライがじっと希美の姿を見つめていたことを思い出して、希望は俯いた。ぎゅっと唇を噛み締めた後、ゆっくりと唇を開いた。
「……希美が来てたのが見えて……。ライさんも見てたでしょう?」
「ああ、いたな」
「あっち行っちゃったけど、いいの?」
「? ……何が?」
ライは首を傾げていたが、希望は俯いたまま続けた。
「希美と遊びたかったのかなって。その……ライさん、本当は希美目当てだったんだよね?」
「はあ?」
俺じゃなくて、と希望は続けようとしていたが、できなかった。
ライの声音が変わって、希望はビクッと身体を震わせ、顔を上げる。ライは眉を寄せ、表情を歪めて、苛立たしげに希望を睨んでいた。
「なんで俺が……。ガキに興味ねぇよ」
ライの声はいつも低く冷たく響く。今だって決して声を荒げたわけではない。
けれど、苛立ちを滲ませた声に希望の耳も尻尾もきゅうっと縮まった。ライの怒気で、肌がビリビリと総毛立っている。
そ、そっか、ライさんは仔犬に興味は……あ、あれ?
希望はハッとした。
希美と希望は耳や毛色以外では見分けがつかないほどよく似ている。年齢も同じだ。どちらかといえば、希美の方が落ち着きがあって、大人びているとよく言われていた。
だから、つまり、ライは。
……希美が〝ガキ〟で、興味ないってことは、俺にも興味ないってことじゃない?
唐突に気付いて、ぶわわわ、と希望の頬が一気に熱くなった。
何が『今日狩られるのは、俺?!』だ。勘違いも甚だしい。
最初からわかっていたはずだ。『口説いていい?』なんて揶揄われて、気をつけていたはずなのに。知っていたのに。まるで熱烈な求愛でも受けたかのように感じてしまっていた。
今まで浮かれた自分の行動が頼んでもないのに思い返されて、あまりの恥ずかしさに身体が震える。
……でも、そっか。そうだよね。
一通り羞恥心を燃やし尽くして灰にしてから、希望は納得した。
どうして俺と遊んでくれるんだろう、とずっと考えていた。だれど、理由なんてなかったんだ。だって、〝ガキ〟に興味ないんだから。か弱い仔犬ばかり狙う猟犬もいるのに、ライはそこだけ真っ当に思えた。
今はきっと、ライさんの気まぐれが少しだけ続いているだけなんだ。
……いや、もしかしたら、もうないかも。怒らせちゃったし……。
そう考えて、希望は落ち込んだ。心にずしん、と重い石が投げ込まれたかのようだ。
それにしても、興味のない仔犬にも、まるで口説いているかのように振る舞うなんて、罪な猟犬だ。きっとこれが希美の言う〝そっちの意味でもNo.1の猟犬〟ということなんだろう。
希望にとっても、ライは魅力的過ぎて、近くにいると身の危険を感じた。正直なところ『興味ない』と言われてほっとしている。
そして、少しだけ、寂しさで胸が掻き乱される。
ライと出会ってから、ずっと胸がドキドキしていた。ライは怖いけど、素敵なものを見せてくれて、憧れていた狩りも教えてくれた。もしかして俺のこと好きなのかも、と勘違いしている間、すごく楽しかった。危うく、好きになってしまうところだった。
好きになる前に気付いて、本当によかった。
「……落ち着いた?」
「はい!」
希望は元気よく顔を上げて笑ってみせる。浅い引っ掻き傷のような微かな痛みを振り払うように、努めて明るい声で答えた。
その笑顔をライがじっと見つめるが、やがて視線を逸らすとゆっくり立ち上がった。
「日も暮れてきたな。今日は戻るか」
「あ、……はい」
結局、狩りは一度も成功しなかった。せっかく教えてもらったのに申し訳ない気持ちと、何処かでホッとしている自分がいて、希望は俯いた。
色んな感情が襲いかかってきて、今日は心が忙しかった。ようやく休める、と無意識に小さく息をついたのを、ライはじっと見つめていた。
「……それで?」
「……? それで、って?」
希望は顔を上げて、首を傾げた。ライは目を細めて、笑みを浮かべて希望を見つめていたが、言葉の意味は汲み取れなかった。首を傾げている希望に気付いて、ライはもう一度口を開いた。
「次はどうする?」
まるで試すような笑みと言い方に、希望の胸は高鳴り、目は丸くした。自分の失言で怒らせてしまったと思っていたから、ここで終わりかとばかり思っていた。
心臓の鼓動が少しずつ早くなっていく。希望は潤んだ瞳で、じっとライを見つめた。
「……次があるんですか?」
「んー? まあ、お前が望めば」
揶揄うような、挑発的な笑みと言葉に、希望はまた目を丸くした。ぱちぱち、と何度か瞬きを繰り返して、ふふ、と少しだけ笑う。
「なにそれ」
「お前次第ってことだよ。どうしたい?」
ライは希望より頭一つ分背が高く、覗き込むように少し屈む。身体ごとぐっと近づいたライに対して、希望は目線だけでライを見上げて、曖昧に笑っている。
今までにないほど近いライの眼は、暗くて深い。
怖いのに、やっぱり少し、惹かれてしまう。
……まだ次があるなら、もう少しだけ、勘違いしてもいいかなぁ……。
お礼もできてないし、と自分に言い訳して、希望はライの言葉に頷いた。
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