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第14話 仔犬ちゃんの勘違い③
最近、希美やユキさん、希美の先輩の恭介さんにはよく心配されている。大丈夫か、酷いことされてないかって。ライさんって信用ないんだなっていうのはよくわかった。
でも、友達や猟犬のお世話係をしている仔犬たちがライさんを見る目は違う。ライさんに構って貰えるなんて羨ましい、意外と優しそうだねって言われる。
いやいやそれはどうだろう、と思うけど、俺は曖昧に笑うしかない。
ライさんは、俺に美味しい獲物や綺麗なもの、見たこともないようなものをくれる。いっぱいくれるからお礼しようと思って部屋に行ってるのに、食事に誘ってくれたり、狩りの仕方も教えてくれたりする。
これだけしてもらって、優しくないとは言いにくい。
ライさんが優しいかどうか、俺にはわからない。
でも、ライさんは間違いなく意地悪だ。
普通あんなに注目を集めてる状況で、『あとでな』って意味深な言葉を、低くて甘い声で囁いて、周囲をざわつかせて、俺だけを置いていく?
残された俺がどれだけの量の好奇と嫉妬の眼差しに晒されたか!
さすがに最近慣れてきたけど、やっぱり恥ずかしい!
俺だって、心臓が壊れるんじゃないかと思うほどドキドキして、腰が砕けるところだったんだ。
揶揄うにしても度が過ぎている。悪戯心溢れる行為は慎んでもらいたい。
俺のこと仔犬ちゃんだと思って舐めないでほしい。その気もないくせに、心を惑わすなんて酷い!
これは断固として抗議せねば、と希望はライの後を追いかけた。
狩りから帰還したばかりの猟犬は身を清める為に本部に戻るはずだ。
希望は準備を整えてライの待つ手入れ部屋に向かった。
***
ライのいる部屋に通されてすぐ、希望は後悔した。
身を清めたばかりのライはズボンだけ履いて、屈強な肢体を露わにしていた。艶やかな黒髪から水が滴る姿は仔犬には刺激が強過ぎる。希望も同年代の中では大きく、逞しい方だが、成長してもこの先ライのような身体になることはないだろう。強さと美しさを兼ね備えた肉体は、女神様に選ばれた者しか手に入らないように思えた。
ぽーっと見惚れてしまっていたが、ライと目が合って、慌てて壁を向いて俯く。
見ていたことに気付かれて、希望は恥ずかしさのあまり、涙が滲んだ。背中にライの視線を感じて、準備してきたタオルをぎゅうっと抱きしめる。ぷるぷると耳が震え尻尾は丸く、小さくなってしまっていた。
ライはしばらくその様子を眺めていたが、ゆっくりと動きだした。
近づく気配に気付いて、希望の身体がビクッと大きく震える。どうしよう、どうしよう、とぐるぐる頭が掻き混ざる。
視界ではすでに、壁に映るライの大きな影が希望の影を覆っていた。
太く長い腕が背後から伸びて、壁に手をつく。背中に強い雄の気配と身体の熱、耳元に息遣いを感じ、暴れ回る心臓に、希望は限界を迎えようとしていた。
……無理だ。逃げよう。
「なあ」
低い声が響いた瞬間、希望は両足にぐっ、と力を込めていた。
「タオル」
「……え?」
「タオル」
逃げようと両足に力を込めたはずが、ライの言葉でくるり、と振り返るだけで使い切る。よろ、と力が抜けて、壁に背中をつけて支えてもらった。
ライは希望の返事を待たず、タオルを抜き取ってすぐに離れた。壁に背をつけたままの希望を置いて、ベッドになりそうな大きさの長椅子に座ると、髪に残る水分を拭きとっている。
「……何してんの?」
「……?」
ライはタオルを肩にかけて、希望に目を向けた。希望は壁側で突っ立ったままだ。
あまりに無防備な希望の表情に、はっ、とライが少し笑って、自分の座っているすぐ横を軽く叩いた。
「何もしねぇから、こっち来な」
「……ほんとに?」
「今はな。こっちおいで」
ライの言葉を信じたわけではないが、希望はライに抗議したくて来たのだ。
怖いけれど、しっかりせねば、と尻尾を丸めて怯えながら、そっと隣に座る。
「あの、ライさん! さっきのはっ」
「ああ、そうだ。手出して」
「え? なに?」
「いいから」
希望が口を開こうとすると、ライが遮るように何かを差し出した。言われるままに両手を広げて受け取り、希望は目を丸くする。
それは鷹の爪のような形をしていたが、手のひらに収まらないくらい大きかった。外殻は透明で、中は真っ黒な靄に覆われている。時折、黒い靄の中で金色の火花がばちばち、と走った。
雷雲を雷ごと宝石に封じたら、こういうものができるかもしれない、と希望は思った。
「す、すごい綺麗……でも、これなに?」
「雷獣の爪」
「雷獣!?」
雷獣が降ってきたという話聞いていたが、猟犬ではない希望は姿を見たことがなかった。図鑑で描かれた姿しか知らない。
両手で受け取るとずっしりと重く、大きく、持ち主の姿を見なくとも、威厳を感じる。畏れを抱くには十分だ。こんなにも美しく、鋭い爪を持った生き物なのかと驚いた。
狩猟した獲物は、軍が大部分を回収しているが、仕留めた猟犬にも当然権利がある。希美も時々獲物の肉や角、羽根を一部持ち帰ってきていた。猟犬にとって成功報酬であり、戦歴を彩るトロフィーのはずだ。積極的に集めている者だっているし、その数を誇る者だっている。
「……貰っていいんですか? ライさんが狩ったのに。大事に取っておいた方が……」
「狩り終わった獲物に興味ねぇな」
「でも、せっかくこんな……」
「これはお前が好きそうだから獲ってきただけ」
「えっ、そ、そうなんだ……? そっか……」
希望の頬が熱くなって、思わず俯いてしまった。
ライは何事もなかったように、希望の持ってきた着替えを手にとって、着始めている。
何で狩り終わったら興味なくなっちゃうんだろう? こんなに綺麗なのに。
でも、だったら、今までのもぜんぶ、俺の為だけに……いや、いやいやそんなまさか! きっとまた、からかわれてるんだ。
……でも、嬉しい。
こみ上げてくる喜びが表情に零れ出てしまいそうで、希望は俯いた。けれど、尻尾はぱたぱた揺れている。
希望は不可思議な魅力のプレゼントをじっと見つめていたが、ふと何かに気づいて、後ろを振り向いた。正確には少し下、尻尾のあたりに目を向けた。
希望の視線の先では、ライの手が今まさに希望の尻尾を掴もうとしている。希望がゆっくりと顔を上げるとライと目が合った。
「……」
希望はライから目を離さぬように立ち上がり、少し離れる。尻尾を両手で隠して、ゆっくりとライに向き直った。
慎重にゆっくり動いていたが、希望の心臓は胸を強く打ち鳴らして、何かを警告している。
希望がじっとライを見つめていると、ライは笑った。
「気付いてよかったな」
「う、うん……?」
ライは立ち上がると、そのまま希望が持ってきた服に着替え始めた。
だが、希望の心臓はまだ落ち着かない様子で胸を叩き続けている。
(油断ならねぇ……)
希望はもう一歩、ライから離れる。
ライは時々こういう悪戯をしてくる。耳や頬、顎の下を擽って、希望をふにゃふにゃにしてしまう。それでも、大事な尻尾だけはかろうじて守っていた。
(尻尾触りたいのかなぁ……まだ怖いなぁ……。
でもちょっとくらいなら……)
ライに尻尾を触れられそうになる度に、少しだけ許してしまおうかと考える自分がいた。けれど、今みたいに逃げてしまう。
皆が言うように、ライさんが本当に優しいならよかったのに、と希望は思う。でも、違う。気づいてしまった。
ライの目が怖い。笑ってる時も笑ってない。
何の感情も見えない。暗くて深くて、じっと見つめられると落っこちてしまいそうだ。とても安心して身を委ねることはできない。
それに、ふとした時に「ガキに興味ねぇよ」と怒った顔のライが頭を過ぎる。冷たくて鋭い眼差しに、ビリビリとした空気の軋み。勘違いするな、と突き放された気がした。
ライの背をじっと見つめていると、突然振り向いた。希望はびくっと身体を震わせてしまう。
「飯食った?」
「え? ……ま、まだです」
「何食べたい?」
「え、えっと」
「その後はどうする? 部屋来る?」
「え?」
「来るだろ?」
話が進んで戸惑っていると、ライは少し首を傾けて、希望の顔を覗き込むようにじっと見つめた。希望はぱちぱちと瞬きを繰り返した後、窺うようにライを見つめ返す。
「……変なことしない?」
ライが可笑しそうに笑って、首を傾げた。
「変なことって? どんなこと想像してんの?」
しまった、と希望の頬が赤く染まる。
また変なこと言っちゃった。
ガキに興味ないって言われてるのに。恥ずかしい。
それでも希望は可笑しそうに笑うライをじとり、と睨んだ。だってさぁ! と声には出さないが、半ば八つ当たり気味に睨む。
こんなに色々プレゼントくれて、狩りも教えてくれて。
特別なものみたいに扱ってくれて。
俺のこと好きみたいに見えるんだもん。
……わかってる。違うんだ。大丈夫。知ってる。
自分に言い聞かせて、希望は一つ息をつくと、ライを見上げた。
「じゃあ、ちょっとだけならいいですよ!」
「その前に何食べる?」
「お肉!」
笑顔を見せて、希望はライの後に続いた。
……わかってるから、もうちょっと勘違いしていたいなぁ。
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