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第15話 猟犬様の戯れ①

 喉から顎の下を擽るように撫でられるのは少しくすぐったい。  大きな手が頬を包み込んで、首筋をなぞる。  髪をわしゃわしゃと柔らかく撫でながら、耳の付け根は指先で解される。    丹念に与えられる刺激にうっとりと目を細めながらも、胸の鼓動は早い。  尻尾も戸惑うように震えていたが、やがて耐えきれなかったのか、ぱたぱたと控えめに揺れ始める。  堪え性のない自分の尻尾を、希望はぱしんっ、と掴んで止めた。  ぎゅっと掴んだまま、そっーっとライの様子を窺うと、案の定笑っている。   「止めんなよ」 「……」    にやにやと意地悪な笑みを浮かべるライを、ぐぬぬ、と希望は睨んだ。      食事を終えた後、希望は約束通りライの部屋にいた。食事は美味しかったし、部屋では今回の狩猟任務の対象となった雷獣の話を聞かせてもらった。普段見ることができない狩猟、しかも大型生物の話は面白かった。  ライの話と、貰った雷獣の爪を見ているだけで、雷獣がどれほど大きく、恐ろしく、素早く、不可思議な生き物なのか想像できた。    ライは話が上手だ。日頃から任務の報告で慣れているのだろう。希望みたいに感情を交えて身振り手振りを大袈裟にするわけではなく、自分の武勇伝を自慢げに語るわけでもない。ただ淡々と出来事を述べていく。当時の状況を詳細に覚えているらしく、まるで今実際に目の前で起きている出来事のようにすらすらと話す。  ライの話で広がる緊迫した狩猟の光景に、希望の胸は高鳴りっぱなしだった。  話を聞き終えた後、ようやくほっとして力が抜けた。まるで自分が狩りを終えたかのように疲れ果てていることが可笑しかった。    疲れ果てた希望は、――腹が満たされていたせいもあると思うが――少し気を抜いていた。ライの部屋の大きいソファもいけなかった。柔らかすぎず、程よい弾力で受け止めてくれる。    とろん、と瞳を潤ませる希望に、ライはそっと手を伸ばした。希望はぼんやりとしながら、ライに触れられて、受け入れた。くすぐったくて、気持ちいい。ライの大きくて熱い掌に、自分から頬を擦り寄せていたような気もする。身体もじわじわライの方へと傾いて、そのまま預けてしまいそうになっていた。    けれどそこで、ハッ、として、我に返り、慌てて尻尾を掴んで止めた。自慢の尻尾だが、最近はライに会う時だけ取り外し可能にならないかなと本気で考えている。    しかし、危なかった。あと一歩でころんと転がって、無防備に腹を見せてしまうところだった。  テクニシャンめ! と希望はライを強く睨む。睨みながら、ソファの反対端まで下がって距離を取った。  うぅぅっ、と小さく呻る希望を、ライは頬杖をついて、呆れたように笑いながら見つめている。   「いい加減慣れたら?」 「……」    希望は唇をぎゅっと結んで、上目遣いでライを見つめる。    触れ合うことに慣れていないわけではない。むしろ、スキンシップは好きだ。  だけど、ライはだめだ。ライに触れられるとくすぐったくて気持ちいいけど、頭がくらくらするし、身体の奥からぞくぞくと溢れそうになる。  それが恐ろしくて、途中で正気に戻って逃げてしまう。   「少しは慣れてくんないと、口説けないんだけど」    ――……こんなことを平然と言ってくるのも良くない!    希望はまたライを睨んだ。  食事の時も、部屋に来るまで、そして来てからも、何度同じような言葉でからかわれたかわからない。  仔犬に興味ない、と言っておきながら、どういうつもりだと希望は怒りさえ覚えていた。  からかわれていると知りながら、少しの間勘違いさせてもらおうと謙虚な気持ちでライの誘いに乗っているというのに。    じっとライを睨んでいると、ライは希望の方へ身体を向けた。   「もう口説いていい?」 「……だめ」 「なんで?」    ライがわざとらしく首を傾げて、挑発的な笑みを浮かべる。  細めた瞳の暗さに、ドキリとしつつ、希望はライを睨み付けた。    下手に出てればいい気になりやがって! ちょろい仔犬だと思ってるんだろう! そうだけど!  ちょっと顔がいいからって調子に乗るな!   「好きになっちゃうからだめ!」    希望はどうだ! と言わんばかりの勢いで言い放つと、ツン、とそっぽを向いた。  興味のない仔犬から『好きになっちゃう』なんて言われたら、ライだって面倒だと思うに違いない。    ざまぁみろ。幼気な恋心を弄ぶからだ。  俺はライさんが俺に興味ないってことを知ってるからいいけど、これが他の仔犬ちゃんだったら大変だったんだぞ、と思い知らせてやりたい。  俺でよかった。  ……そう、俺でよかった。俺はちゃんと、わかってるもん。    自分自身の言葉に、少し心が沈んで、俯いた。  けれど、空気が張り詰めたような、軋んだような気がして、顔をあげ、ライを見た。  ライは先ほどの薄ら笑みのまま、じっと希望を見つめていた。   (……あ、あれ?)   『希美と遊びたいんだもんね?』と聞いてしまった時のように、眉を寄せて表情を不快そうに歪めていると思っていたのに、笑っている。予想外の沈黙に、希望は瞬きを繰り返した。    希望が見つめていると、おもむろにライが動き出して距離を詰める。希望はびくりと震えたが、その場から動かなかった。一人分の空白はあっさりと消え失せて、代わりに希望の目の前にはライがいる。  距離が縮まるのと合わせて、希望の尻尾は垂れ下がり、耳はぷるぷると震えていた。  不安そうに見上げる希望を、ライがじっと見下ろして僅かな時間、希望にとっては長い沈黙の後、ライがようやく口を開いた。   「試してみる?」 「……?」    希望がきょとん、と無防備な表情を見せる。  ライはにやりと笑って、希望の腕を掴むと強く引いて、抱き寄せた。   (……あれ? 今俺どこにいる?)    逞しい腕に囚われて、希望の脳は容易く思考を停止させた。  一瞬遅れて、「んぎゃあっ!?」と希望の悲鳴が上がる。咄嗟に抜け出そうともがくが、ライの腕は希望の背中に回って、がっしりと動かない。   「はっ……はなして!」    僅かにライの腕が緩んで、密着していた胸と胸の隙間が空く。その隙にライの胸に手をついて押し返そうとしたが、厚くて固い胸板はびくともしない。   「逃げてみれば? ほらほら」 「ぎゃぁ!? えっ?! あっ、ちょっ……んぎゃあっ!?」    頬にあぐっと歯を立てられる。驚いてライを見ると、今度は鼻先を噛まれた。甘噛み程度の弱さだが、鋭い牙が肌に当たって、耳と尻尾がびびぃん! と震え上がった。  希望は必死にライの胸に腕を突っ張って仰け反って、逃れようともがく。希望は気づかなかったが、仰け反ったことで、喉元がライの目の前に晒されていた。ライがそれを見逃すはずはなく、遠慮なくガブリ、と食いついて、希望はまた悲鳴を上げた。   「んぎゃあっ!?」 「喰われっぱなしだけど、大丈夫?」 「ひゃああっ……! やっ、やめ、あぁっ!」    噛み付いた場所を舐め上げられて、希望は声をあげて、震えた。  僅かに抵抗の力が弱まって、再び腕の中に囚われる。背中から回って肩を掴む手とは反対の手が、希望の後頭部をぐっと押さえ込む。希望はライの首筋に顔を埋めるような形になって、直に触れる肌の熱さと僅かな香りに頭がくらくらした。  さらにライが希望の耳をひと噛みしたものだから「ひゃあぁぁん」と情けない声が溢れ、力が抜けていってしまった。  腕の中でふにゃりと大人しくなった希望の耳元で、ライが喉の奥で笑っている。   「……尻尾」 「ふぁっ……?」    希望の後頭部を押さえていたライの手が頸を撫で、希望の肩がびくりと震えた。   「いつも頑張って隠して、守ってるよな。……守りきれそう?」 「……っ!」    希望が顔を上げると、ライは楽しそうに笑っていた。暗い瞳の奥で、加虐の炎がゆらゆらと揺れている気がして、希望は身体を強張らせる。僅かに身動ぎするが、ライの腕は希望の腰にしっかりと回っていて、抜け出せそうにない。   「触っちゃっていい?」 「だっだめ!」    尻尾を隠そうともがくが、希望の腕はライと希望の胸の間に挟まれていて自由に動けない。  希望の抵抗を眺めながら、ライは頸に触れていた手でゆっくり背中をなぞって、腰へ降りてくる。   「……!! や、やめっ、やだっ! いやっ! だめっ! んっ、ンンッ……!」    背中を這うような愛撫に、ゾクゾクと震える。首を振って抵抗するが、ライの手は腰までたどり着いてしまった。   「……っ!!」    尻尾の付け根に指先が触れた瞬間、希望は顔を上げた。そのまま大きく口を開けると、目の前の首筋に噛み付いた。

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