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第16話 猟犬様の戯れ②

「っ……」 「……っあ……!」    咄嗟のことで力加減なんてできなかった。  牙が皮膚を破る感触と、じわりと滲んだ鉄の味。  そして、ライが僅かに息を詰めた気配に、希望はハッとして、慌てて離れた。   「ご、ごめんなさい!」 「……ん? ああ、別に」    ライの首筋には希望の噛み跡がくっきりと残っていて、希望は瞳を潤ませ、青ざめる。  希望は仔犬とはいえもう成犬に近い体格で、元々牙も普通の仔犬より大きく、力だって強い方だ。牙が食い込んだところからは、じわりと血が滲んできていた。    ライにとってはちくりと痛みが走った程度だったので、希望の表情に首を傾げている。希望の様子で「ああ、噛んだのか」と気づいたようだった。  けれど、希望は自分がつけてしまった傷しか見えていなかった。   (ど、どうしよう! 噛んじゃった! 血も出てる! どうしよう!)    どうにかしなきゃ、治さなきゃ、と、慌てた希望はまたライに飛びついた。  ライが僅かに目を見開いたことにも気づかず、希望はライの首筋の、自分がつけた噛み跡をぺろぺろと一生懸命舐め始める。舌の上に血の味が滲んで広がるが、構わず丹念に舐めとった。    傷を癒すことに必死で、ライが傷に触れようと手を伸ばしていたことにも、希望が飛び込んできて僅かに目を見開き、動きを止めたことにも、希望は気づかなかった。      しばらくして、希望はようやく顔を上げた。噛み跡は相変わらずくっきりと残っているが、血は止まったようだ。少しほっとして、ライを見上げる。   (……あ、あれぇ……?)    希望は戸惑いながら首を傾げた。  傷を舐めることに必死で気づかなかったが、ライはじっと希望を見つめていた。先ほどまでと同じように笑みを浮かべているが、楽しげで、意地悪な笑みではない。暗い瞳を細めて、じっと希望を捕らえていた。   「……終わった?」 「え? う、うん……?」   (……怒ってるのかな?  でも、ライさんが怒るともっと肌がビリビリするのに、今はなんか……)    希望はライから目を離すこともできずに、じっとしていた。首筋を舐めるためにライの膝に跨ったままだ。離れたいが、じっとりと纏わりつく眼差しが重く、動けなかった。   「ライさん……?」 「ん?」 「あの……ご、ごめんなさい……噛んじゃって……」 「ああ、いいよ、これくらい。気にすんな」    希望がほっとして頷くと、ライが希望の肩に手を置いた。ああ、降りろってことかな、そうだよね、と膝の上から退こうとすると、ぐっと肩を掴まれ阻まれる。  希望が疑問に思う前に、ゆっくりと身体が倒され、背中にソファの程よい弾力を感じた。天井を見上げるが、大きな身体に光を遮られる。ライの逞しい身体がのしかかる重みにどきりとして、ようやくあれ? と首を傾げた。   (俺、押し倒されてない?)    戸惑う希望を置いてけぼりにして、ライが首筋に顔を埋める。希望はくすぐったさに身を捩った。けれど、その次の瞬間に僅かな痛みを感じて、希望の心臓は大きく跳ねる。   「ひっ……!」    僅かな痛みだったが、覆い被さる大きな身体と影が狩りの練習でライに襲われた時の状況と重なって、ぶわりと汗が滲む。  ライは戯れているつもりだったかもしれないが、希望は思い出すだけで呼吸が苦しくなる。背筋が凍りつき、心臓が逃げろ逃げろと暴れ回っている。    ライの牙は僅かに皮膚に食い込んで、離れていく。けれど、希望は動けなかった。  顔上げたライは、目を見開いて固まる希望をじっと見つめて、笑った。   「お返し」 「えっ……あっ、う、うん……?」    笑うライに合わせようと、希望もぎこちなく微笑みの表情を作る。心臓はまだ激しく胸を打っていた。    ライが再び希望の首筋に唇を寄せた。希望は身体を強張らせたが、今度は噛みつかれなかった。鼻を擦り寄せ、唇が這うだけだ。少しほっとしたが、くすぐったさに身体が小さく震える。  ぎゅっと抱きしめられて、身体と身体がぴったりとくっついているから、ライの身体の熱さを強く感じた。  心臓は相変わらずドキドキと暴れていて、こんなにくっついていたらバレてしまうのではないかと恥ずかしくなる。バレたらまた揶揄われてしまう、と逃げ出したくてもぞもぞと動く。  けれど希望ははっとして目を見開いた。    ――……あっ……。    ライの肩口から見える光景に、希望は目を丸くしてぱちぱちと瞬きを繰り返す。  ライの尻尾が揺れている。  いつもはゆっくりと妖しく、黒い陽炎のように揺らめく尻尾が、楽しそうにパタパタと揺れていた。   (……ライさんも、嬉しいの?)    自分と同じようにパタパタと揺れる尻尾を見て、希望は大きい背中に、恐る恐る手を回してみる。  シャツは、当たり前だが軍服よりもずっと薄い。掌に筋肉の形と固さ、身体の大きさを感じて、希望は頬だけでなく全身が熱くなる。けれど、ずっしりとのしかかる身体の重みが、だんだん心地よい気がしてきた。    ――……もうちょっとだけ、このまま……。前みたいに、ちょっとじゃれて遊んでるだけみたいだし……。   「っ……んっ……」    首はちょっとくすぐったいけど。すりすりするの、なんか可愛いかも。耳も甘噛みしないで欲しいけど、痛くないから大丈夫。   「あっ、ぅんっ……?」    ほっぺや首に、ちゅっちゅっ、といっぱいキスしながら、胸からお腹をゆっくり撫でて、シャツの裾から手が入り込んでくる。    ――……なんで!?   「ラッ……! ライさんっ!?」 「ん?」    ライが顔を上げて首を傾げる。柔らかく目を細めて、「どうした?」と囁く声が甘くて、希望も首を傾げてしまった。  けれど、ライの手は希望の腹を撫で上げ、ゆっくり胸へを向かっている。素肌をじっくり這う熱い掌に、身体がびくびく、と小さく震えた。   「っん……! あっ、あの、手、手が……」 「ん?」 「手が中に、……ひぁっ!?」    ライが希望のシャツの裾を掴んで捲り上げ、腹から胸が露わになる。希望は思わず悲鳴を上げて、目をパチクリとさせた。突然のことに、恥ずかしさよりも、どうして、なんで、と疑問でいっぱいになって混乱する。   「?! なっ……? えっ……!?」 「ここ、引き締まってるよな」 「んっ……! んぅ、うんっ……?」    ライの指先が腹筋の凹凸をなぞって、希望の身体はぴくんっと跳ねた。  希望はライの言葉の意図がよく分からなかったが、頷いた。ライや希美ほどではないかもしれないが、腹筋の形が浮き出ている。    ライは希望の筋肉の形を確かめるようにじっくりと撫でた後、そのまま上へと手を這わせて、ぐっと胸筋を下から掴み上げた。   「ひぁっ」    希望はビクッと震えて小さく悲鳴を上げた。   「胸も、よく張ってる。結構鍛えてる?」 「んっ、あっ……! う、うん……」    ライの大きい手が、ぐに、ぐに、と胸全体を下から上へ揉む度に、希望は僅かに吐息を溢した。   「いい身体してるよ。すげぇ好み」 「……? ……んっあっ、ありがとう……っ?」    好み? どういうことだろう? と希望は首を傾げる。ライがじっと希望を見つめて笑ったので、わけもわからないまま希望も合わせてにこりと笑ってみた。   「もっとよく見せて」 「え? えっ、あっ、あの、……んんっ」

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