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第22話 猟犬様のお気に入り①
「希望くん、どうしたの?」
丸っこい瞳をした赤茶毛の仔犬が小首を傾げる。
彼を含めた3匹の仔犬達はそれぞれの顔を見合わせて首を傾げ、もう一度希望を見つめた。
「え!? あっ…な、なんでもない! なんでもないよ!」
急に物陰に隠れておどおどとし始めて、周りをキョロキョロと見回す姿が『なんでもない』わけがない。仔犬達はますます首を傾げた。
歌の授業を終えての休憩時間、いつものようにのびのびと歩いている平和な時間だった。希望も楽しそうに会話に加わっていたというのに、突然耳と尻尾をびぃんっと硬直させて、この有様だ。
いったいどうしたというのだろう、と仔犬達が不思議そうに見つめている。
「ほ、ほんとになんでもないから! 先に行ってて!」
「でも……あっ」
仔犬達の視線が一斉に希望から僅かに逸れる。
「希望ちゃんみぃーつけたぁ」
希望が仔犬達の視線の先に気付いて隣に目を向けたのと、楽しげな声に心臓を鷲掴みされたのはほぼ同時だった。
ライが希望と視線を合わせるようにしゃがんでいた。
「……ひっ!? ぎゃあああ!!」
「あっはっはっは」
一瞬遅れて希望が悲鳴をあげる。当然、すぐに逃げようとしたが、ライは笑いながら襟首を捕んで引き寄せた。
「離せ! 離せよぉ!!」
希望が必死に暴れて見ても、ライは笑っている。さらに希望の首に腕を回してしまえば、希望がいくら引っ掻いても噛み付いても、逃れることはできなかった。怯む様子すらならない。
周囲の視線を集める二匹を仔犬達は小さく身を寄せ合って見守ることしかできなかった。
彼らの中では一番体格に恵まれ、牙も立派に育っているのが希望だった。そんな彼の抵抗をものともしない猟犬ライの姿を前にして、仔犬達はふるふると震えて、瞳を潤ませている。
希望を置いて逃げ出すこともできずに怯える仔犬達であったが、それまで希望のみに向けられていたライの眼差しが彼らに気づいた。
すると、女神が丹念に作り上げたであろう精悍な顔立ちの持ち主が、その本領を発揮するかのように微笑んでみせた。
「こんにちは」
低く落ち着いた声は、怯えきった仔犬達にとっては予想外の柔らかさで、驚きと同時に身体の力が抜けてしまう。
我に返ってみれば、まだ軍に入隊していないとはいえ、見習いの立場である仔犬達にとって猟犬ライは上官である。それも最強の称号を与えられている。まさに、雲の上の存在だった。
声をかけられて、はっと気づいたように三匹は背筋と尻尾をぴんっと伸ばした。
「……っこ、こんにちは!」
「あー、おともだち?」
「あっ……は、はい!」
「連れてっていい?」
「えっ」
「だめ?」
ライが僅かに首を傾げて尋ねる様子に、仔犬達は顔を見合わせた。
強くて大きい猟犬ほど、仔犬達には威圧的な態度であることが多いが、ライは違うのかもしれない。確かに大きくて強そうだが、笑っているし、声も落ち着いていて優しい。何より、かっこいい。めちゃくちゃかっこいい。かっこよすぎて、目が合うと目眩がする。
戸惑いながら、仔犬達は希望を見た。
希望はライの腕を掴んで引き剥がそうとしている。瞳は潤んで、頬も紅潮している。じっと見つめている仔犬達に気づくと、『助けて!』とでも言いたそうな顔をしていた。
でも、と仔犬達は考える。
希望くんは、人懐っこくて愛嬌たっぷりの愛されわんこだ。けれど、猟犬の血を引く家系に生まれた誇り高きわんこでもある。
今までも猟犬の先輩に声をかけられたり言い寄られたりしたこともあったが、希望自身がその猟犬を気に入らなければ全部断ってきた。しつこく言い寄られようが、贈り物を差し出されようが、脅しまがいのことをされようが、跳ね除けてきたのだ。
可愛らしさと人懐っこさの中に、強くて凛々しい面も持ち合わせている血統書付きの希望を、友達である仔犬達は尊敬していた。
ここ数ヶ月の間、希望が猟犬ライの話ばかりしていたことを彼らは知っている。
最初は、兄弟の希美をいじめる悪い奴がいるんだとぷんぷん怒っていたはずだ。絶対許さない、希美は俺が守る! と宣言し、瞳には決意の炎を宿していた。
そんな希望が、ライのことを話す時に頬を高揚させて、ただでさえ輝く瞳を更に煌めかせるようになったのはいつからだっただろうか。
そんな姿を見れば、「ははーん、”そういうこと”ね」と察せざるをえない。
ここ数日は様子が違った気がしたが、現状を見ているとやはり”そういうこと”だと仔犬達は確信する。
ましてや、”あの”最強の座を不動のものにしているライが、わざわざ任務からの帰還早々に希望のもとにやって来ているのだ。希望がライのお気に入りという噂も嘘ではないらしい。
今の希望は、まるで悪魔に連れ去られそうな顔をしているが、二人は”そういう”関係であることはもはや疑いようがない。
つまり希望は
照れているのだ。
あんなに敵視していたのに、メロメロにされて、可愛がられているということを知られるのが嫌なのだ。照れているんだ。間違いない。
噂のNo.1の最強の猟犬様は仔犬達にとって刺激が強すぎたのだろう。か弱い判断力を著しく低下させてしまっていた。
しかし、仔犬達なりに納得のいく結論にたどり着き、彼らは顔を見合わせて、深く頷きあった。
「大丈夫です!」
「どうぞ、ごゆっくり!」
「希望くん、またあとでね!」
僕らのことは気にしないで! と仔犬達ははきはきとした口調で、しっかりと答えた。
「な、なんでみんなぁ?! そんなぁ!」
「じゃあいくか」
「い、いかない、いかな……っい、いや、はなして! みんなぁ!」
希望が顔を真っ赤にして、瞳を潤ませている。じっと縋るような眼差しに、仔犬達は優しく微笑んだ。
『大丈夫、僕らはぜんぶわかっているからね』
……とでもいう顔で微笑んで、優しい眼差しで手を振っている。
「待ってぇ?! 違うよ! なんか誤解がっ……い、いやああぁぁー」
希望の悲鳴が虚しく響く中、仔犬達は、ライが手を振り返してくれたので頬を赤らめていた。
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