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第29話 猟犬様の帰還①

 ようやく辿り着いた医務室を前にして、希望は立ち尽くしていた。中は暗くて、人の気配がしない。思わず引き戸に手を掛けたが、案の定開くことはなかった。  扉の利用状況の表示も、医師の不在を示している。  理解はしたが、がちがち、と数回扉を動かして、希望はがっくりと項垂れた。    ーー……他の医務室……いや、もう寮に帰ろう……。    熱を持て余した身体で動き回る気にはならず、希望は熱く切ない吐息を零した。    けれど次の瞬間、びんっと耳と尻尾、背筋も伸びる。微かに血の匂いが掠めた気がして、身体が硬直した。  希望の視界では、背後の窓から差し込む光が自分の影を映し出している。それを、更に大きな影が覆った。  振り返る間もなく、背後から伸びてきた腕が希望の顔のすぐ横を通って、医務室の扉に手をついた。  静かだった。  匂い以外、わからなかった。誰もいないはずだった。  けれど、この逞しい腕には見覚えがある。背後から伸びて、自分を囚える檻のような腕を希望は知っていた。  重い気配とじわりと蝕む視線を感じて、希望は恐る恐る振り向く。  暗くて鋭い眼差しがじっと自分を見下ろしていた。    ――……あ、やばい。    ライの姿を見て、眼差しに晒されていると教え込まれた自分の淫らさがぶわりと蘇った。  熱く乱れる呼吸を無理矢理整えて、希望はゆっくりと笑みを作ってみせた。 「お、……おかえりなさい」  熱を持て余した身体に気づかれたら何をされるか、考えなくても分かる。  じくり、と腹の奥が疼いて、思わず喉が鳴る。  くらりと頭が揺れた。    ーーはっ!違う違う!逃げなきゃ!バレたらやばい!    ライは鋭く冷たい眼差しでじいっと希望を見つめている。視線の重さと鋭さに希望が耐えきれなくなる直前に、ライはようやく笑みを浮かべた。   「……どうした? 息が荒いな」 「っ…ん、うん…ちょっと体調悪くて…ひっ…」    ライが希望の腰に手を添えて、顔を覗き込む。   「看病してやろうか」 「えっ!? け、結構ですっ……!」 「遠慮すんなよ」 「まっまって! まっ…あっ……!!」    希望は逃げ出そうと咄嗟に一歩踏み出したが、ライの腕が腰に回ってぐいっと抱き寄せられる。しっかりと抱き抱えられて、ジタバタと藻掻いてもライの腕の枷は外せなかった。   「なんでもない! なんでもないからっ……」 「なんでもないわけねぇだろ」    ライは希望の震える垂れ耳を親指の腹で内側を撫でて、唇を寄せた。   「こんなに美味そうな匂いさせて」    甘く低く、それでいて抑えられない加虐心を滲ませる声音に、希望の背筋から全身が痺れて動きが止まる。  ライの声に、細めた目の奥に、情欲の炎が揺らめいている。それを見て、期待と悦びに身体が震えたことに気づいてしまった。   「……っ!! ち、ちがう! ちがう! 離して!!」    ライの言葉も自分の反応も否定したくて、ライの身体を押し返す。けれど、がっしりと腰に腕が回って抱えられ、びくともしなかった。  ライは「わかったわかった」と希望を宥める言葉を吐きながら、扉の手をかけた。    バキンッ   (……バキン?)    必死に抵抗していた希望が、音の方へ目を向ける。  おそらく鍵がかかって開かなかったはずの扉が開いていた。    ――こっこわした!?    思わず呆然とした抵抗を忘れた数秒で、希望は部屋の中へ引きずり込まれた。  はっと気づいて、薄暗い室内から日の当たる扉の向こう側へ、助けを求めるように手を伸ばす。   「あぁっ! まって! 離してっ! やだ! やっ……!!」    希望の叫びを遮るように、ガシャンッ、と音を立てて扉は閉ざされてしまった。

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