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第35話 仔犬ちゃんは夢を見る②

「……希望、大丈夫?」 「え?!」 希望は窓辺の広い枠に腰掛け、ぼんやりと外を眺めていた。希望がぱっと振り向くと、出かける準備をしていたはずの希美が心配そうな顔で見つめている。 「なんか疲れてない?……まさかライさんにこき使われて……!?」 「だっだいじょうぶ!大丈夫だよ!」 希望が慌てて首と両手をブンブンと横に振る。希美は眉を寄せてじっと見つめていたが、やがて「ならいいんだけど」と続けた。 「最近仕事忙しくて希望と会えなかったから心配で…なんか毎日のように呼び出されてるとか聞いたし……」 「うっ……うん…まあ……」 「やたらスキンシップが激しいとか、友達と一緒にいても連れて行っちゃうとか……まあ、あの人元々結構馴れ馴れしいし、強引だけどさぁ」 「う、うん……」 希美の言葉に希望は視線を逸らし、誤魔化すように紅茶をちびちび飲んだ。 ーー言えない……。 何度も「あいつには気を付けろ」「油断するな」と散々忠告されながら、とても口には出せないような淫らで破廉恥な行為を強要されているなどとは。 ライがシャワー浴びる時に側にいると「一緒に入ろ」と引きずり込まれ、弱いところを執拗に洗われ責められ、 ベッドのシーツを洗濯場に運ぼうとすると「どうせお前が洗うんだろ」と身体を弄ばれた挙げ句、自身のはしたない欲望で汚してしまったシーツを持たされ、 掃除をしていれば「どうせお前が」と、手が伸びてきて、押し倒され、そのまま 「うぐぁッ」 「希望!?何?!どうした!?」 「な、なんでもない……」 陵辱と快楽に乱される日々の記憶がぶわりと脳裏を駆け巡って、希望は思わず机に突っ伏した。勢いが良すぎて額をぶつけて呻いていると、希美が駆け寄ってきて覗き込む。 「希望……」 希美は何か言いたそうな顔でじっと希望を見つめていたが、あえてそれをぐっと飲み込んだようだった。 代わりに俯いたまま黙秘を続けていた希望の両手をぎゅっと握る。希望が顔を上げると、希美の真剣な眼差しとぶつかった。 希望のものより淡い金色が、覚悟を宿している。 「もし何かされそうだったり……耐えられなさそうのなったら言ってね!その時は俺が刺し違えてでも……!!」 「……」 二人は見つめ合ったまま考えた。 ーー……あのライさんと刺し違える……? 考えた結果、二人の脳裏には同じ映像が浮かんでいた。 「……うん……、いや、俺じゃ刺し違えるのも無理かもしれないけど……」 「……う、うん……」 「で、でもっ!きっと一矢報いるから!希望だけでも逃げてね!」 ーー……言えねぇ……。 あんなこともそんなことも、むしろ身体で何かされてないところを探す方が難しいくらい、何もかもされ尽くしているなどとは、決して。 「……ありがとう、希美……」 先程、希美が他に言いたいことを飲み込んだように、希望も一度ぐっと飲み込んで、ただそれだけ伝えた。 「……そ、それより今日はユキさんとデートでしょ?お土産楽しみにしてるね!」 「あ、ああ、うん……」 これ以上希美の優しさと覚悟に触れたら洗いざらい話してしまいそうで、希望は話題を変えた。 希美が出掛ける準備をしていたのはその為だった。希美とユキの二人は仕事で常に行動を共にしているが、仕事を抜きで出かけるのは久しぶりだったはずだ。 希美も楽しみにしていたことだろう。眉を寄せて深刻そうだった表情が少しだけふにゃりと緩んだ。 二人が出掛けるのは、『硝子の森』と呼ばれる神秘的な場所だ。 入り口はよそ者の侵入を拒むかのように暗く深い森のように見える。しかし、その奥へ、森の中心へと進んでいくと景色が一変する。暗い森に守られた中心の泉とその周辺は美しく神秘的な光景広がっている。 草や木、花、それらすべてが硝子で出来ているというのだ。 本当は硝子ではなく、正確に言うと、無色透明で砕けやすく、透過率が以上に高い鉱物らしい。 それが最近流行りの隠れ家的デートスポット『硝子の森』だった。 暗い森の奥にあるから挑むカップルを選ぶが、優秀な猟犬である希美とユキなら大丈夫だろう。 「……いいなぁ」 話でしか聞いたことのない光景を想像して、希望はため息をついた。 木漏れ日でキラキラ煌めいて、鉱物の内部に入った光が反射を繰り返し、虹色の光を降り注ぐ。 それはまるで、妖精の祝福のような美しさだとか。 訪れた恋人達は、そこで愛を語らい、永遠の愛を誓うのだ。 ーーいいなぁ。 俺も見てみたい。 もちろん、大好きな誰かと一緒に見に行くんだ。 好きな人はいっぱいいるけど、それほどまで素敵な場所に行くなら、唯一無二の特別な人とがいい。 他に替えようもないくらい、特別なーー どこにいても見つけてくれる大きな耳に、影よりも黒く艷やかな尻尾。 力強く抱き締めて離さない逞しく強靭な肉体。 低くて落ち着いた声。 けれど一番印象的なのは、深い緑の奥に冷たい青が揺らめく瞳の、暗くて鋭い眼差し……、 ーー……んん? いや? いやいやいやいやいやいや?! 不意に脳裏に浮かんだ存在を、希望は必死に掻き消した。

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