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第41話 仔犬ちゃんの夢の終わり①

 希望は胸を満たす甘いときめきに気を取られていたが、ライに連れていかれた先は当然のようにライの部屋だった。  はっと気づいた時にはライはシャワーから出てくるところで、希望は大人しくベッドに座っていた。ライも隣に座ったが、何も言わない。乱暴に濡れた髪を拭いている。    広場に姿を現した時の、空気が軋むような怒気は感じられなかった。けれど、静かで重い雰囲気はシャワーでは洗い流せないみたいだ。  なんだったんだろう、と希望が見上げていると、タオルと垂れた黒髪の隙間から視線だけが希望に向けられた。  感情の読めない鋭い眼差しに、びくりと、肩が震えてしまう。    ――……この人、ほんとに俺のこと好きなのか?    好きな相手に、こんなにも冷たく、暗い瞳を向けるだろうか? と疑問が過ぎって、希望は俯いた。  ユキに『君は特別』と言われて嬉しかったし、そうかもしれない、と少しだけ期待を膨らませたのは事実だ。  けれど今、愛情の暖かさも柔らかさも何も感じられない眼差しに晒されて、みるみるうちに萎んでいく。    ――でも、抱き着いても怒らなかった、よね……?    どうして抱き着いてしまったのかわからないけれど、気付いた時には叩き潰される覚悟をした。身体が震えて、固まって、離れられなくなって、「もうだめだ」と思った。  けれど、ライは怒らなかった。それどころか、優しく撫でてくれた。    ――……そうだ。だから、もしかしたら。    高鳴る心臓に合わせて、再び甘いときめきが胸を満たしていく。   「……えっ……あっ」    ライが動く気配に、希望は顔を上げた。肩に大きな力と熱を感じながら、ゆっくりと視界が傾く。背中を柔らかなベッドが受け止めて、逞しい身体が覆い被さった。  首筋に僅かに牙があたって、大きく胸が跳ねる。覚えのいい身体は、腹の奥を疼かせて、思わず吐息を溢した。  何度も覚えこまされた、それが始まりの合図だ。   「あっあの! ライさんっ!」    何もかも奪い去られる前に、希望は大きな体を押し返した。  見上げると、戯れを邪魔されたせいか、ライは鋭く希望を睨み付けている。暗い影の中で緑の瞳がギラリと光っていて、希望は身体を強張らせた。    ――……でも、    広場で抱き着いてしまって、動けなくなった時。  そして、初めて最後まで暴かれ、犯された時も。    強張る身体を、大きな手のひらが丁寧に触れてくれた。熱が伝わって、体は解けていくまで、じっと待ってくれた。その熱さを忘れられない。  だから。   「あ、あの……」    〝ライさんは、俺のこと好きなんですか? 〟   「……っ」  じっと見下ろす眼差しの重さに耐えきれず、希望は一度視線を逸らし、唇をぎゅっと閉ざした。   「……たっ、たまには、優しくしてほしいなー……って」    希望は沈黙を誤魔化すように、笑ってみせた。  けれど、ライから答えはなく、先ほどよりも長く、重い沈黙が希望に圧し掛かる。  ライは僅かに目を細め、希望をじっと見下ろしていた。希望は、ぎこちない笑顔を向けている。   「……」    少ししてライは希望から視線を逸らした。  それから、ゆっくりと、静かに、息をついた。    「……無理だ」 「……あっ……そ、そっか……」    視線を逸らしたまま、降ってきた答えはすとん、と希望の胸に落ちる。深く沈んで、暗く落ちていく。    ――……いや、わかってた。わかってたもん。だから、大丈夫。    深く沈みながら、僅かに胸を撫で下ろす。    ――……よかった。『俺のこと好きなんですか?』なんて、馬鹿なこと聞かなくて。   「……何を考えてる?」 「え?」    希望が顔を上げると、ライがじっと見下ろしていた。頭の中まで覗き込むような眼差しに希望は首を傾げた。   「あいつと何を話してた?」 「…? …え、えっと……?」    空気が軋み、肌がビリビリ痺れる。苛立ちを押し殺しているが、滲み出ている。    ――なんで? 変なこと言っちゃったから?   「……近況報告……? とか……ライさんのこと、とか?」 「……」    観察するような眼差しが、不服そうに細められた。  希望には今の答えの何が間違っていたのかわからなくて、首を傾げる。   「な、なに?」 「余計なことを言うんじゃねぇよ」 「……は……?」 「あいつに近づくな」    苛立たしげに吐き捨てられて、希望は一瞬ぽかん、としてしまった。けれど、あまりに理不尽な言葉に、沸々と反抗心がこみ上げてくる。    ――……なんでこの人怒ってんの?    好きだったら普通、優しくする。大事にしてくれる。それが無理ってことは、好きじゃないってことじゃん。  なのに、なんで怒るんだ。  俺のこと好きじゃないなら、ライさんが俺を好きにしていい理由なんかないのに。    悲しみに落ち込んでいた心は怒りで燃え上がった。  怯えていたはずの希望が、ライを睨み返して、顔を背ける。   「……知らないっ」 「あ?」 「ユキさんと俺が何を話そうが、ライさんには関係ないじゃん! プライベートなんだから! 命令しないでよ!」    ――俺のこと、好きでも何でもないくせに!    傷付いた心のままに叫び、大きな身体を押し返す。びくともしないと思っていたライの身体が揺らいだ。けれど、それもほんの僅かなものだった。  希望の両手首を掴むと、ライはベッドに叩きつけるようにして、抑え込む。   「ッ……!」    強い力に希望が顔を顰めたが、ライの顔を見る前に、逞しい身体に覆い被さられてしまった。    ***   「あっ! アアッ! …うぅっ、んっ…あ、アァッ……!」    四つん這いで身体を支えるのが精一杯だった。激しく腰を打ちつけられ、ガクガク身体が揺れる。  いつもなら頭も身体も、どろどろに溶かされてから雄を穿たれるのに、今日は違った。  ローションを注がれて、乱暴に押し広げられ、それでも日々辱められてきた秘部は固く大きい雄を受け入れた。  逞しい身体が後ろから伸しかかり、覆い被さる。服従と支配を受け入れるしかないまま、ただ揺さぶられる。体はビクビクと震えて雄を締め付け、決して苦痛のうめき声だけではない甘い嬌声も口から零れ落ちる。    それでも、いつものように縋りつき、求めるような惨めなことはしたくなくて、希望は大きい枕に顔を埋めていた。逞しく熱い身体を背に感じるたびに、耐えるように必死にしがみつく。    ――悔しい。    好き勝手犯して、辱めて。優しくしてくれない。  好きじゃないくせに、こんなことばかりして、酷い。  俺はこんなにライさんのこと    ――……? ライさんが何?     「…ッあ……!」    自分の中に湧いた疑問に気を取られた瞬間、肩を掴まれ仰向けにされた。枕だけは離してなるものか、と力を込めたが遅く、ライに剥ぎ取られてしまった。腕を掴まれてベッドに縫い留められて、逃げ場がない。  それでもライの顔を見ないように必死に顔を背けた。   「……」    ライの視線に晒された横顔に、首筋に、じりじりと眼差しを感じた。希望が断固として顔を背け続けていると、ライがその無防備な首筋に顔を埋めた。  貫かれたままの身体は敏感に反応して震えて、固く結んだはずの唇から甘い吐息が零れてしまう。   「……んっ、はぁっ…、……?」    ライは頰を擦り寄せ、唇を這わせて、啄み、噛みつく。執拗に擦り寄り、じっくりと味わう。希望は身体を震わせながら、首を傾げていた。   (な、なに……? マーキングみたいな……なんで……?)    ――あっ……?    そして、ふと気づいた。  ユキと会った時に、頰を擦り寄せた場所は、今ライが顔を埋めているところではなかったか、と。    ――もしかしてユキさんの匂いするから? ユキさんといたから怒ってんの?    頭や耳、尻尾も、ユキが触れたところだ。それをなぞるように、ライが触れている。取り零さないように、丹念に、丁寧に、執拗に。   (なんで? 今まで、そんなこと一度も……、友達といても、こんなこと……)    ――……ユキさんは、特別?    ハッとして、希望は身体を強張らせた。    ――もしかして、ライさんは俺じゃなくて、希美でもなくて、ユキさんのこと……?    希望は初めて出会った時の光景を思い出した。  あの時、ライの前には希美がいた。だから希望は前に出た。だけど、希美の後ろにいたのは、美しい白銀を纏うユキだった。   (特別だったのは、俺じゃなくて、ユキさんだったってこと? ……あれ? じゃあ……)      ――……俺は何?      ぐしゃり、と心臓が握り潰れる。必死に縋り付いていた糸が、ぷつりと切れる音がした。  足場が崩れて真っ暗なところに落ちていく。視界がじわりと滲んで歪んでいく。    ――……ああ、もうだめだ。    勘違いしてたかったけどもうわかった。気づいてしまった。  あまりにも熱く求めてくるから、勘違いしちゃった。何度も期待を踏み躙られても、砕かれても、それでもどこかで諦めきれなかった。  ライさんは俺のこと好きなのかもって。    ――そんなこと、一度も言われてないのに。    ただ、俺が、ライさんは俺のこと好きなのかもって思いたかっただけだった。  ずっと。    丁寧に触れられて、何度も口説かれて、求められて、嬉しかった。  熱くて逞しい身体が、暗くて怖い眼差しが、俺にすべて向けられていると思っていた。それが怖かった。怖いのに、ドキドキしていた。どうしようもなく、胸が高鳴って、満たされていた。  だから、今は辛いこともあるけど、側にいれば、またいつか丁寧に触れて、甘く口説いて、特別な存在のように扱ってくれるかもしれないと夢見てた。    だけど、きっと、そんな日は来ないんだ。  特別にはなれない。愛してもらえることはない。    じわりと滲む視界をぎゅっと細めて、ゆっくり息を吸い込んだ。   「……ライさん」    絞り出した声は、震えてしまった。けれどライには聞こえたようで、大きな耳がピクリと動き、顔を上げた。訝しげな眼差しの奥で光る暗い光に、希望は少しほっとした。  少なくとも今だけは、自分を見てくれている。  例え、ここに心がなくても。   「……キス、して」    訝しげな表情のまま、それでも応えてくれた。  ゆっくり深く重なって、溶けていく。  食べられてしまいそう。  もういっそのこと、全部食べ尽くしてくれればいいのに。        意地になってたのが馬鹿みたいだ。  ここには何一つ、俺のものなんてなかったのに。        これで最後にするからと、自分を宥めて、必死に縋りついて、甘えて、しがみついた。     「……素直になったな。どうした?」    見下ろすライさんが、やっと笑った。    大きくて逞しい身体。  低く響く声。  重そうな拳。  暗くて深い眼差し。  理性を溶かす熱。  意地悪な笑い方。    好き。好き。  ぜんぶ好き。  取り返しがつかないくらい、好きになってた。  だから、好きになってほしかった。    でも、もう、いいんだ。  ぜんぶ、俺のじゃなかった。  やっと、わかった。  手に入らないものだとしても、俺なんか見てなかったんだとしても、好きだ。  それは変わらない。変えられそうにない。      でも、ライさんが俺のこと好きじゃないなら  もう何もいらない。      ***      食い尽くされた夜は、いつも夢を見る。  疲れ果てて微睡み、夢と現の境で、同じ夢を繰り返す。    俺は、小さい仔犬みたいに、くぅーんくぅーんと鼻を鳴らして泣いている。真っ暗な部屋で、ひとりベッドの上で小さく丸まって、泣いている。    俺が泣いてるとライさんが現れる。  ゆっくりと静かに、近づいてくる。    抵抗を全て捻じ伏せる逞しい身体。  何処に逃げても見つける大きな耳。  悪魔みたいな真っ黒い尻尾。  真っ黒い影みたいで、顔はよく見えない。    身体は疲れ果てて動かないし、周りには誰もいない。  だけど、助けて助けて、ってくぅーんくぅーんと情けないくらいか細い声で必死に泣いた。    だけど、ライさんは大きな身体で覆い被さっって、ぎゅっと抱きしめてくれる。ゆっくりと丁寧に触れて、何度もキスして、擦り寄って、髪を梳いて、目尻に零れた涙を舐め取って、またキスしてくれる。    大きくて逞しくて熱い身体に触れると、何故か安心してしまう。大きなものに包まれる暖かさに微睡んで、安寧の中へ沈んでいく。    ライさんは、俺のこと好きなのかなぁ。  ……そうだといいなぁ。    そうして微睡みより深く、落ちていく。    ――そんな夢を、見てた。       「――……?」    暗い天井に瞬きを繰り返す。  はっとして、飛び起きた。    暗い部屋を見回した。ライはどこにもいない。  ベッドは冷えて、ぬくもりを感じない。情欲にまみれた身体の重さと怠さだけが残っている。  寂しい、悲しい、夜明け前。    これが現実だ、と突きつけてくる。    ――やっぱり、全部夢だったんだ。   「……ははっ……」    笑いがこみ上げて、零れ落ちる。  ライに確認するまでもない。否定されて打ち砕かれる前に、気付いてよかった、とほっとした。  しがみつく理由がなくなって、視界が滲む。    涙が零れ落ちる前に、希望は部屋を抜け出した。        消灯時間を超えて、居住地区は真っ暗だ。  空はまだ仄暗く、夜明けの気配は遠い。    けれど、視線を感じて、希望は自分が抜け出した建物を見上げた。  高い建物の一部屋だけ灯りが灯っている。  くっきりと大きく黒い影が見つめているのに気付いて、顔を背けて、走り出す。  やがて視線を感じなくなるまで、逃げるように、ただ、走った。

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