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第42話 仔犬ちゃんの夢の終わり②

 ――逃げ出した翌日、希美に聞いた。  すごく言いにくそうだったけど、無理やり聞き出した。    ライさんとユキさんは、元バディで元恋人。育った街が同じで、軍に入ってもずっと一緒にいたと。    全部聞いて、納得した。  そうだったんだ。これでスッキリした。  ライさんが好きなのはユキさんなんだ。痴情の縺れってやつを感じたもん。  俺は空気を読める仔犬だからね。  何があったかはわからないけど、ユキさんは気付いていないのかもしれない。  希美をいじめるのも、ユキさんの今の恋人だからじゃないかな。  初めて会った時も、本当はユキさんを見てたんだと思う。  あの獲物だって、ユキさんの為のものだったんだろう。    ……俺じゃなかった。    最初から、俺じゃなかったんだ。  薄々気づいてたけどさ。  気付きたくなくて、蓋をしてただけだ。    俺は、ライさんにとって何だったんだろう。    やっぱり、ただの玩具だったんだろうか。口説いて抱いて、落としたら終わり。  それだけの玩具?  暇潰しの道具?    本当のことはわかんないけど、  もう、どうでもいいや。      ***      数日後、目の前に現れた猟犬は、ただ存在するだけで周囲を圧倒するほど、苛立っているようだった。   「……誰が帰っていいって言った?」    静かに、それでいて底冷えするような暗い眼差しと声が希望に向けられる。並の猟犬ならば尻尾巻いて出してしまうであろうそれを、慌てるでも怯えるでもなく、希望は他人事のように見つめ返した。    ――……あれから、何日経ったと思ってるんだ。気づいても追ってこなかったくせに。    逃げ出してから数日の間、希望はたくさん考えた。ライに身体を暴かれてからずっと、考える暇なんてないくらいに快楽と屈辱で塗り潰されたような日々だったが、この数日はいろいろなことを考えることができた。  そして、吹っ切れて冷静な頭で、一つの結論を出していた。    俺の気持ちなんて、本当にこの人はどうでもいいんだ。だって本当に欲しいのは、俺じゃないんだもん。  ……だったらきっと、俺じゃなくたっていいんだよね。    黙ってライを見上げていた希望は、顔を伏せると、そのままライの横を通り過ぎようと歩き出す。けれどその腕を、ライが掴んで逃さなかった。   「どこ行くんだよ」 「知らない、もうしない」 「は?」    ライが希望を睨むが、希望は顔を背けたままライを見ようとしない。   「……」    ライは希望をじっと見つめた。唇をぎゅっと固く結び、耐えるように眉を寄せる希望の横顔をしばらくの間じっと見つめて、首を傾げ、また見つめる。  観察するような眼差しで再度首を傾げた時、ライはようやく口を開いた。   「……何で怒ってんの?」 「怒ってない。もうしない。離して」    ライの手を強く払い退ける。が、できなかった。掴まれた腕は僅かに揺らいだだけで振り解くには至らなかった。  希望はライを睨むように見上げた。  強く、熱い手から、じんじんと熱が伝わってくる。鋭い眼差しは、自分だけを見つめて、捕らえて、離そうとしない。求められている。……と、錯覚してしまう。    ――……でももう、わかってるから。    熱さも執着も、俺に向けられているものではないんだってことは。    じわりと滲む視界から暗い眼差しを消し去るように、希望は俯いた。   「……俺じゃなくてもいいくせに」 「あ?」    激しく傾いだ心を無理矢理奮い立たせて、希望は再び顔を上げ、ライを睨みつけた。   「やりたいだけなら、他の子誘えば? いくらでも相手なんているんでしょ? ……俺じゃなくてもいいじゃん! 離して!」    ライの手を引き剥がそうと力を込める。爪を立てて全身で暴れても、ライの手は離れない。希望は動けず、ライは動かなかった。  けれど、不意にぐい、と引っ張られた。抱き寄せるような仕草に、体温さえ感じ取れる距離に、心臓が一段と高鳴る。悔しくて、希望はまたライを睨んだ。  けれど、ライの表情が視界に入る前に、大きな手に遮られる。   「……っ!!」    ライの手が迫って、希望はびくりと肩を震わせた。ギュッと目を閉じて身体を竦め、顔を背けた。       「っ……、……?」    けれど、いつまで経ってもライは触れてこなかった。掴まれたままの腕だけが彼の体温と気配を感じさせる。  心惑わす甘い言葉も耳を犯すような低く響く声もなく、それどころかじりじりと肌を焼くような彼の怒気もいつの間にか消えていた。    希望は恐る恐る目を開けた。パチパチ、と長い睫毛を揺らし、瞬きを繰り返す。  ライの手は希望に届くことなく止まっていた。その手の向こう側にあるはずの、ライの表情はよく見えない。  希望が疑問を抱いて覗き込む前に、その手はゆっくりと下がっていく。希望を掴んでいた腕も離れていた。    離れる手を目で追っていた希望は首を傾げ、もう一度ライを見上げた。  ライの瞳は暗く深く鋭く、何も変わっていない。ただじっと希望を見つめた後、静かに視線を逸らした。   「……そうだな」 「え?」    その言葉は希望への答えで間違いないだろう。けれど、自分向けられたものとは思えなくて、希望は一瞬遅れて目を見開いた。  希望がライの言葉の意味を理解する前に、ライは踵を返して去っていく。遠ざかっていく大きな背中と、垂れ下がってゆっくりと揺れる真っ黒な尻尾を、希望は呆然としたまま見つめていた。

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