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第47話 猟犬様の譲歩

「俺じゃなくてもいいくせに」    ライには希望が自分を拒む理由がわからなかった。        数ヶ月前のあの日、目の前に飛び込んできた仔犬は、ライの好みそのものだった。    長い睫毛に縁取られ、くっきりと印象に残るようなつり上がった瞳は気の強さと誇り高さを象徴している。  それに対して、蜂蜜色の瞳はたっぷりと潤んで揺らめき、煌めき、蕩けるような甘さで、多くの者を惑わせてきたことだろう。  幼さが薄れた凛々しく整った顔立ちに、ぷっくりと厚めの唇が妙に艶かしいが、上唇がツンと尖っているのはあざとくて生意気だ。  髪はアッシュグレーの柔らかな色だが、耳や尻尾は瞳と同じく、艶々と輝く金色。多くの者は髪、耳、尻尾の色は揃うものだが、変わった毛並みだ。どこにいても見つけ出せる。    惜しいのは、体躯は成犬に近いのに、内面の幼さが時折滲むところだ。喜怒哀楽の表現は豊かで、激しく、表情も尻尾の動きもころころと変わる。本人は猟犬の血を誇っているようだが、これほど好奇心が強いと猟犬にはなれないだろう。    ライは幼い者に興味がない。しかし、ソレはあまりにも好みだったので、獲物をたらふく与えて、もう二、三年育ててから喰うつもりだった。    しかし、早々に喰ってしまった。  喰えるようになるまで躾けておこうと弄んでいたら、必死に求めてくるものだから、つい。    柔軟な筋肉を纏った肢体は頑丈で、一晩中抱き潰しても壊れない。胸はやや育ちすぎている気もするが、弄ぶと悦ぶから良しとした。臀部は丸みを帯びていて、その奥に雄をあてがうと、健気に受け入れ、締め付けたら離さない。肌は柔らかく、白くて、跡が残りやすいのもライを楽しませた。    気が強く、すぐに拒むくせに、満更でもなさそうな顔で見つめてくるというやや面倒なところもあったが、ライにとって希望は顔も身体も極上の獲物であった。   「俺じゃなくてもいいくせに」    だから希望が自分を拒む理由が、ライにはわからなかった。  何を言ってるんだろう、こいつは。と、首を傾げるしかない。  お前だけだろうが。そんな派手な顔と身体、ちょろいくせにプライドは高い面倒な性格。何匹もいてたまるか。    上に乗せたら自分から腰振っていたし、咥えたいって言えば咥えさせてやった。発情していれば満足するまで相手をした。何をしてもあんなに悦んでいた希望が「もうしない! あっちいけ!」と怒り出すような心当たりはない。    ただ、「ああ、正気に戻ったのか」と。    元々、大人しく陵辱を受け入れるような男じゃない。愛していない者に身体を暴かれ、組み敷かれる屈辱に、すべて塗り替えるような快楽に、屈する程度の男だったら、ライもとっくに飽きて解放していただろう。    ならば、正気に戻れなくなるまで、何度でも抱き潰してやればいい。    今はこうして自分を拒んでいる希望でも、どこかに連れ込んで、触れて解かせば、丹念に躾けた身体は容易く乱れ、快楽に飲まれていくだろう。以前も、しばらく留守にして触れなかっただけで、美味そうに熟れていた。希望自身は認めないだろうが、淫乱の素質は十分にある。  ライとしては、その方が面倒がなくていい。もともと、心まで手に入れようとは思っていない。身体が落ちれば心も従うものだ。    そうなれば、夜中に魘され泣くこともなくなるだろう。  誰を想って泣いているのか知らないが、そんなもの忘れさせてしまえばいい。  他の誰かのことなど、思い出せなくなるくらい、染めてしまえばいい。       ライが手を伸ばす。   希望は怯えたように身体を強張らせる。   ぎゅっと目を瞑り、尻尾が丸まる。    「……」     ライは、その手を止めた。      希望がユキと希美を羨ましそうに見つめていたのは知っている。希望にとって、自分の隣にいるよりもずっと居心地がいい場所なのだろう。  愛されたがりで愛したがり、暖かく満たされ、優しく大事にされたいと望んでいるのも知っていた。   『たまには優しくしてほしいなーって……』        希望がライに望むのは、ライには到底与えられないものだった。        最近の希望は少し静かだった。  情事の最中は乱れ悦んでいても、ふとした時に何か言いたげな眼差しで、じっとライを見つめていた。  何を期待しているのか、知っている。  けれど、何も与えることはできない。希望が望むものはライの持っていないものだからだ。      「……そうだな」  「え?」     ライは踵を返し、希望を解放した。      不本意だが、致し方ない。  希望の言うとおり、性欲処理だけなら、希望でなくとも構わなかった。    けれど、ライは本来、誰でも喰らうような雑食ではなく、気に入っている極上の獲物だけを何度も味わいたい猟犬だ。    ライは希望の顔と身体、声と反応の良さ、そして何よりも、気丈さを気に入っていた。  どれほど辱めても、ねじ伏せて抑え込んで、プライドをすり潰しても、立ち上がって反抗してくるその精神の強さ。それがたまらなく愛しい。    犯された夜に、希望が魘されながら、他の誰を想って泣いているのかなんて、知ろうと思わない。希望が何を考えていても、ライには関係ないことだ。  手放すつもりは毛頭なかった。  零れ落ちる涙さえ、誰にも渡したくない。    だが、そんな極上の獲物である希望が望むのなら。     些か不本意だが、致し方ない。  希望の気が済むまで、しばらくは好きにさせてやってもいい。    ライはそれくらいの譲歩ならしても構わないくらい、希望を気に入っていた。  希望が望むもので、ライが与えられるものは多くない。  今回のわがままは、少しくらいなら聞いてやってもいいと思った。      ***     「ライ? どうかした?」 「……別に」    ライの耳と眼は、逃げ去っていく希望を捉えていた。  隠れるのも逃げるのも得意ではないだろう。そもそもあの派手な顔に派手な身体で、バレないと思っているのが不思議だった。  ライは腕に絡みつく赤毛の猟犬を払い除けた。   「え?! なに?」 「もう帰れば?」 「……は? ……はぁ?! どういうこと?!」    毛並みの赤毛より一層鮮やかに、顔が真っ赤に染まる。もともとつり上がった眼をさらに吊り上げて、赤毛の猟犬は、突然の屈辱に対して怒りを露わにしていた。  けれどライが暗い眼差しを向けると、ビクッと震えて青褪める。  怒りや苛立ちなどは感じさせない。けれど、ただただ暗くて底知れない深い色の瞳に、赤毛の猟犬は飲まれてしまっていた。   「……用済みだって言ってんだよ。消えろ」        それからもライは、あえて希望が気配に気づくように近づいた。希望は勘だけはいいようだ。ライの気配を察知すると、ビビビッと尻尾と耳を逆立てて、慌ててその場から逃げ出し、そっと隠れるようになった。  物陰からこっそりと覗いて息を潜めている。ライが気づかないふりをして去っていくとほっとして息をつく。ライには、その様子が見なくてもわかる。  けれどその後、しばらくライを見つめて、少し落ち込んだように肩を落とし、とぼとぼと去って行った。    ライは、希望のことがわからなくなっていた。   (……なんだ、あいつ)    見つかりたくないのか見つかりたいのかどっちだ。  お前の望む通りにしてやってるだろうが。  いったいどういう了見だ?    ライが〝希望の望み通り〟、希望以外の者で暇潰しをし続けて、一ヶ月が経とうとしていた。  ライの心は狭いが、底なし沼のように深い。  どれほど希望の行動に苛立っていても、奥底に仕舞い込んで、希望の気が済むまで待っていた。    しかし、その日ライが見たものは――    希望が、いつかライが贈った物を大事に抱え、愛おしそうに、哀しそうに見つめて撫でている姿だった。        ――……はあ?        ライにはもう意味がわからなかった。      ……再三申し上げている通り、ライ・ガーランドは軍屈指の猟犬である。  お気に入りの獲物の機嫌が治るまで、一週間でも一ヶ月でも待つ程度の、強靭な忍耐力は当然のごとく備わっていた。  だが、『獲物の行動が支離滅裂で、何をしたいのか何を考えているのかまったくわからない』という曖昧かつ不気味、そして不可解な状況は、全くの不慣れであり、故に死ぬほど耐え難いものだった。    〝その愛おしそうに撫でている物を贈った本人の誘いを断って、逃げ出しておきながら、一体どういうつもりなのか〟と。      〝死んだ獲物の爪や鱗に泣きついてるくらいなら、俺でもいいだろうが〟と。      ライの狭くて深い懐は、ついに限界を超えてしまい、少しも躊躇することなく、建物の最上階から、獲物目掛けて飛び降りた。

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