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第54話 猟犬様と追いかけっこ(2)④
――痛い。
希望は、痛みで目を覚ました。
――暗い。
暗闇の中、歪な隙間から僅かに淡い光が差し込んでいる。けれど、目が霞んでよく見えない。
痛みで目が覚めたはずなのに、身体のどこが痛いのか、よくわからなかった。
――身体、動かない。
身体のどこかを動かすと全身に痛みが走る。身体が重い。何かが重くのしかかり、動きを阻んでいる。
しかし、不意に解放された。
隙間からの光が広がっていく。希望の上に乗っていた瓦礫を、黒い影が持ち上げていた。
希望はそこで初めて、自分の上に、そして下にも、瓦礫が重なっていることに気付いた。重さこそ感じたが、潰されずに済んだのは、瓦礫の隙間に落ちたおかげらしい。
黒い大きな影は瓦礫を放ると、希望の側で膝をついた。
背後からの淡く微かな光が背後から黒い影を――ライを、照らしていた。
すべてが真っ黒の影の中で、鋭く光を放つ2つの瞳。
深い緑の奥に青が揺らめく。炎みたいに。
――宝石みたい。
暗い眼差しは冷たくて、深い。奥がよく見えない。
表情もわからない。
けど。
――あぁ、好き。
変わらない眼差しに、暗く深い色の瞳に、何故かほっとした。
久しぶりだなぁ。
さっきは怖くて逃げちゃったからちゃんと見てなかった。
やっぱり、ライさんはかっこいい。
真っ黒い毛並みは艶があって、影よりも濃くて、闇よりも深い。
大きな耳も長い尻尾も、漆黒を纏っている。
逞しく美しい身体は、大きくて固くて、強くて、熱いんだ。
ぜんぶ、
全部、好き。
ライさんよりかっこいい猟犬なんて、どこにもいなかった。
本当は、ずっと会いたかった。
もっと見てたいのに、瞼が重い。
――俺、死ぬのかな。死んじゃうなら最後に、好きって言ってもいいかな。
「……っ…ライ、さ……」
痛みに、声が掠れる。
霞む視界で、ライの黒い影だけがやけにはっきりと映っていた。
けれど、さらに何倍も大きな影がゆらりと揺れた。ライの背後に。
――……え? なに?
黒い塊から、バチバチ、と雷の火花が走って、希望は目を見開いた。
「ライさん後ろッ――……!!」
希望が起き上がるのと、ぐわり、と雷を纏った化け物が、ライに襲い掛かるのは同時だった。
しかし、次の瞬間、化け物は後方に吹き飛んで、壁に激突していた。
化け物の――雷獣の悲鳴が響き渡る。
鼓膜だけではなく、地面も震え、心臓にまで響くような絶叫だった。
希望には何も見えなかったが、ライはすでに立ち上がっている。
(えっ? まさか……ライさんが?)
この建物で破壊された扉の無残な姿と、今ここで壁に叩き付けられた雷獣が重なった。
戸惑う希望を置いて、ライは雷獣のもとへ歩き出す。
「ッ! ライさっ…うわっ?!」
ハッとして顔を上げると、ばさりと何かが身体を覆った。とっさに掴んで剥ぎ取ったそれは、軍服だった。
ライが羽織っていた軍服の上着だ。
「持ってろ」
「……っ……!」
かつてときめいた光景と似た状況に懐かしさを感じて、希望は思わず預かった軍服を抱き締めていた。
壁に激突した雷獣はよろめきながら、立ち上がった。
ライを敵と見なし、鋭い眼差しを向け、怒りを露わにして咆哮する。
雷鳴にも似た咆哮は、ビリビリと空気と地面を震わせた。ガラス張りの研究室の壁は砕け散って、キラキラと輝いている。
振動と音の迫力に、希望は「ひっ」と悲鳴を上げ、咄嗟にライの軍服を頭から被った。
こっそりと顔を覗かせると、ライの大きな背中が見える。
雷獣の咆哮を物ともしない。少しの躊躇いも恐れも見えない。耳も尻尾も雄々しく、ゆらりと揺れていた。
――か、かっこいい……!
そんな希望のときめきを、一瞬でかき消したのは化け物の悲鳴だった。
狩りでは本来、速やかに正確に獲物の息の根を止めることが望ましい。
しかし、その化け物は――決してそんなつもりではなかっただろうけど――ライの逆鱗に触れてしまった。
雷獣の暗雲を纏ったような身体の中で、雷の火花が何度も轟き、蓄積されたエネルギーはすべて解き放たれて、降り注いだ。雷獣の抵抗は最期まで激しく、周囲を破壊し尽くした。
それでも、命を守ることはできなかった。
不運なその雷獣は、最強の猟犬の逆鱗に触れ、ほとんど原型を留めないほど嬲り殺しにされてしまった。
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