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第57話 最強の猟犬様から逃げられない②

 ライさんに救出された俺は、医療班に引き渡された。  このまま部屋にお持ち帰りされて、あんなことやこんなこと、そんなことまでされてしまうんじゃないかと思っていたけど、そんなことはなかった。    安心したら身体の色んなところが痛くて、疲れてて、俺はそのまま気を失った。  気付いた時には傷口は縫われて、包帯を巻かれていた。傷は痛むけど、まだ麻酔か痛み止めが効いているのか、少し起き上がることができた。  6つのベッドが置かれている、大部屋の一番端、窓の近くのベッドに俺は寝ていた。    ベッドの側には椅子に座ったまま眠っている希美と、反対側には俺のベッドに突っ伏して眠るユキさんがいた。  心配かけちゃって申し訳ない気持ちでいっぱいだった。  けれど。    ――ライさん……。    気が向いたら、来てくれるかなぁ。  窓の外の星空を眺めて、寂しくてちょっと泣いてしまった。   『……そうか、わかった。俺が甘かった』    ……あの言葉はどういう意味なのだろう、と考えながら、俺はいつの間にか眠っていた。      ***    次の日、ライさんは普通に来てくれた。  怪我をしている俺とはヤレないから、会ってくれないと思っていたのに、すぐ来た。 「俺の昨日の涙なんだったんだ」と思ったけど、すごく嬉しい。  すぐに会えるとは思っていなかったから、何だか恥ずかしくって、照れてしまって、ライさんの顔をちゃんと見れなかった。    ライさんは、すごい量の果物を持ってきてくれた。  だけど、それだけ俺に渡してすぐに行っちゃって、また寂しくなった。  寂しいから希美と一緒に果物を食べようと思ってたら「……いや……俺はやめとく……希望が食べた方がいいよ……希望だけが……」と目を逸らしてた。   「えー? 希美って果物嫌いだったっけ?」 「そんなことはないんだけど、怒られそうで……いや、うん。……早く元気になってね」 「うん!」    俺は美味しく頂いた。    でも、夜になるとやっぱり寂しくて泣いちゃった。  次はいつ会えるのかな……と、ちょっとだけ。        ***        ライさんは次の日も来た。  朝起きたら、いた。  ベッドの横で、長い脚を組んで、椅子に座ってた。  びっくりして飛び起きて、危なく傷口が開くところだった。  寝る前にはいなかったはずだ。  面会が始まる時間じゃないのに、なんで? いつから? と聞いてみようかと思ったけど、聞けなかった。  ライさんは俺をしばらく見てから、去っていった。    その日の夕食は、俺だけ豪華だった。ライさんが狩ってきた大鹿をフルコースにしたらしい。  そんなこと、一言も言ってなかったのに。    同じ病室のみんなと分けて食べようと思ったけど、みんな遠慮しちゃって、断られた。  仕方ないので一人で食べた。美味しかった。ちょっと多かった。    夜、苦しいお腹を擦りながら、星空を眺める。    ……流石に明日は来ないよね?        ***        ライさんは、来た。次の日も、その次の日も、さらにその次の日も。  ほぼ毎日来てくれた。    最初の一週間は、冷やかされたりからかわれたりした。 「ライのやつ、やたらご執心だな」 「お気に入り復活か?」 「次はいつまで続くのやら」 「捨てられたら慰めてやろうか仔犬ちゃん」  ……なんて言われたりもしたけど、一ヶ月続く頃には、誰も何も言わなくなってた。  からかう人なんてまずいないし、俺に声をかけてくれるのも友達だけ。  好奇の視線は、ぜんぶ恐れと憐れみに変わっていた。    ライさんは、ずっといる。俺のベッドの隣で、椅子に座ってずっと俺を見てる。  ライさんが俺のことずっと見てるから、気分転換にお庭に出て、……あわよくばそのまま逃げちゃおうかなと思ったりもした。  ベッドから抜け出てもライさんは動かなかったから、流石について来たりはしないのかな? と思った。    でも、いた。  病院の中庭のベンチに。  俺より先に。  なんで? どうして? どうやって? 心読んだ?    入院したばかりの頃、ライさんは本当に忙しいんだってことを、希美から聞いた。  それなのに、ずっといる。  基地で一番多忙の最強の猟犬、俺のとこにいるんだけど。 「だからそれは……そういうことだよ」  そう言って希美は、苦笑いなんだかなんなんだか、微妙な顔をしていた。    そういうことって何?  俺にはもう何が正解なのかわからない。    ライさんは、俺のとこにいる間、何も言わない。ただ、ゆっくり尻尾を振って俺を見てる。    怖いって。  何の時間なの? どういう意味なの?    怖がっているのは、もちろん俺だけじゃない。  同じ部屋のワンコたちも怖がってた。  だから、病院の偉い人に、すごく遠回しに、「個室に移動しない?」と言われた。  泣いて断った。  俺をライさんとふたりきりにするつもりなのか、と。  俺がどうなってもいいんですか? 見捨てるの? と。  一生懸命泣いて訴えたら移動はしなくてよくなった。  だけど、同室のわんこ達の方が耐えられなかったみたいだ。    最初は隣のわんこがいなくなっちゃった。  俺とその子の間に、ライさんが居座るからだ。  カーテン越しでも、背中を向けられてても、あのオーラに耐えられなくて、移動してしまった。    次はその隣のワンコ。  先にいなくなった俺の隣のわんこの空いたベッドにライさんが腰掛けるようになったからだ。  隣のわんこが間にいたからなんとか耐えられていたけど、直にあの威圧感浴びるのは無理だった、ごめんね、と、移動する前に言われた。    それから向かい側、次はその隣……と順番にみんないなくなってしまった。  気づけば、6人部屋なのに、俺の個室みたいになっていた。    それから一週間、静まり返った部屋で、ライさんがじっと見つめてくる。いや、見張ってるのかな。    ライさんは何も言わない。  だけど、美味しい獲物、美味しい果物、何でもくれた。  そして、俺が食べるの見てる。  俺は一生懸命食べる。お口の中ぱんぱんにして、必死に食べる。  早く治せという無言の圧力が俺の胃を苦しめるのだ。    綺麗なものもいっぱいくれた。  時々、偉い人たちが「それ……あ、あげちゃうの……? そっか……」と悲しそうに俺を見つめる。すごく貴重なものなんだろう。  偉い人たちが悲しい顔をするほど貴重で希少で大切な、綺麗なものが広い病室にどんどん増えていく。まるで宝物庫だ。それに伴い、警備が増えたような気がする。  でも誰も盗むはずはない。触れることさえしない。  だって、最強最悪の英雄、猟犬ライさんのものだから。  俺の存在よりもずっと貴重で希少で綺麗な宝物で埋まってしまった部屋は、広いはずなのに、肩身が狭い。   『……そうか、わかった。俺が甘かった』    あの言葉の意味を、俺は思い知った。    美味しい獲物を食べながら、「もしかしたら太らせてから食べるつもりなのかな」と考える。  あの大きなお口で頭からばっくんって。  いっそ一思いにやってくれればいいのに、ライさんはただただ俺を見てるだけだ。    だけど。       「あ、あのーライさん……そろそろ……」 「……」    今日も希美がライさんを呼ぶ。仕事の時間なんだろう。色々な猟犬が呼びに来るけど、一番年下の希美が一番多いと思う。    ライさんはゆっくり立ち上がった。ライさんの視線から解放されて、ほっとする。ほっとして、油断していた。  ライさんがいつの間にか触れられそうなほど近くにいて、俺の耳元に唇を寄せる。   「……あと24日」    囁くような声で告げて、静かに去っていく。  昨日は「あと25日」だった。  ある日突然始まったカウントダウンは、着実に減っていく。    ほんとにこわい。意味がわからない。  何のカウントダウンなの? 俺の命の灯火?        ***        カウントダウンが10日を切った日のことだった。    これまでの楽天的で楽しく過ごしてきた希望の人生では考えられないほどのストレスに、希望の精神は簡単に限界を迎えた。    ――逃げよう。    希望は自身の判断を肯定するかのように、力強く頷いた。  希望はストレスを感じると逃亡する癖があった。まさに、今がその時である。    逃げて酷い目にあったばかりだけど、今度は行けるかもしれない。  いつでも挑戦する気持ちは忘れてはいけないのだ。  何故なら俺は、誇り高き猟犬の血を引く、由緒正しき血統書付きのわんこだからだ!      ――奇しくも、ライの与えた栄養豊富な餌は、打ちのめされて落ち込んでいた希望の精神と体力をびっくりするくらい超回復させていたのだった。    ライさんから逃げるぞ! という、健全な精神を取り戻すほどに。        ***        カウントダウンが5日を迎えた日、希望は脱走計画を実行した。  こっそり集めておいたシーツを裂いて、紐状に結んだものは用意してある。それを、ベッドの手すりにしっかりと結びつけた。  一番重傷だった左足が心配だったが、何度か確認して、病室の窓からシーツを掴んで降りていく。  しっかりとシーツを掴んで、壁を歩くようにゆっくりと。    しかし、入院生活で弱まったのは足の力だけではなかった。シーツを掴む手の力も、希望の予想より弱まってしまっていた。  案の定、地上まであと半分というところで、ズルッ、と手が滑る。慌てた希望は、思わず足に力を込めて身体を支えてしまった。   「――ッあ……!」    完治はしていない足に力を入れたせいで、ずきり、と鋭い痛みが希望を襲う。足が滑り、ぐらり、と身体が揺れた。  落ちる、と思わず両目をぎゅっと瞑ったが、その背を何かが支えた。   「大丈夫か?」 「あ、ありが……と……」    低く落ち着いた声に、希望はほっとして顔を上げた。  隣でライが希望の背を支えて、顔を覗き込む。  希望の脳は、ゆっくりと目の前の光景を受け入れた。    ――……なんで??    何故ここにライがいるのか、はさておき。  ライは、窓の縁の僅かな凹凸に指の力だけで掴まり、壁に足をかけてバランスを取っていた。当然、反対の腕では希望の身体を支えている。    ――どういうこと? どういう力の法則使ってるの?    混乱した希望が呆然としていると、ライはじっと希望を見つめた。   「……手伝おうか?」 「け、結構です……」      ライの丁寧な指導を受けながら、希望は無事地面に降りることができた。  地面に着いた途端、ライに首根っこを掴まれて、病院の中へ連れ戻される。  消灯時間で暗く静かな病院内に、くぅーん……と仔犬の小さな鳴き声が響いた。    ライは一度も怒らなかった。  しかし、看護師長にはしこたま怒られた。

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