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第3話
「せんせーあつーい」
日曜日。
珍しく朝から私の部屋へやってきたユキトが、リビングのソファに沈んでいる。キッチンスペースでサラダにトッピングする鶏ささみを茹でている私からは、くるぶしまでの靴下を履いた細い足首がぷらぷらしているのが見えるだけだ。
湯気の立ち上るキッチンは相当の暑さになっている。しかし、そうでなくても今日はとにかく暑い。全国的に真夏日となるでしょうと、若い女性タレントが、大きく開いたワンピースの胸元を主張しながら言う声が聞こえる気がした。
そういえば朝、玄関先で迎えたユキトも首筋に汗を滲ませていた。代謝が悪く、普段ほとんど汗をかくことのない彼が、珍しく。
「冷房つけていいよ」
カウンター越しに声を話かけると、ユキトが寝返りをうった気配がする。しばらくして背もたれの向こうから、にゅっ、と現れた手が、リモコンのボタンをすさまじい勢いで連打した。
ピ、ピ、ピ、と一体何度に設定しているのか、こちらにまで一気に冷気が押し寄せる。去年買い換えたばかりのエアコンは最新式の、ずいぶん仕事のできるヤツで、室温の高い場所から真っ先に冷やしてくれる。日ごと体温の調節機能が低下しつつある私は、あの極寒のリビングに耐えられる自信がない。
「せんせー。それまだかかんのー?」
気怠げな声が聞こえる。時刻はもうすぐ正午になろうとしていた。
「もう少しかな」
鍋の鶏ささみに箸を突き刺し、茹で具合をたしかめて、
「すぐご飯にするよ」
冷蔵庫から、ちぎっておいたレタスとトマトを取り出した。食器棚からボウルを出してそれを敷き詰め、若いユキトの好みに合わせてさらに特売品のロースハムも添えることにする。たしかハムは野菜室に、と思ったところで、パスタが茹で上がったことをタイマーが知らせてくれた。
「ユキト君、ちょっと手伝ってくれないかな」
「ほーい」
勢いをつけてソファから飛び起き、ユキトがこちらへやってくる。たくし上げたジーンズの裾から覗くふくらはぎは、白い足首とは対照的に真っ赤に日焼けしていた。
「ずいぶん焼けたね」
「ん? ああ、これ。体育。このあっちーのにサッカーとかふざけてんよな」
「サッカーか。学生は大変だなぁ」
重なったハムを一枚ずつ剥がしながら、半袖半ズボン姿のユキトを想像してみる。炎天下でボールを追いかける……ことはしないだろうから、味方のパスの通らない場所で適当に時間を潰すのだろう。夏になって目にすることの多くなったまっすぐな太腿は、筋肉とは到底縁がなさそうだ。
そのとき、ふと指でつまんだハムの感触にユキトの肌の質感を重ねた。彼の素肌に触れたことはないが、きっとこういう感じだろうと思った。肌理が細かくつるりとして、舌にのせると柔らかく蕩けそうな……
「先生。ハム、ボロボロ」
「あっ」
気づけば、レタスの上に並べるはずだったハムが無残に引きちぎられていた。
「ご、ごめん」
「いや、いいけどさ。どうしたのボーッとして」
らしくない、と笑う彼に、苦笑しか返せない。
「パスタ上げまーす」
両手に灰色のミトンをはめ、わきわきとおちゃらけて指を蠢かせるユキトは何かに似ている。しばらく考えて、銀色のザリガニに似たあの異星人かと思わず声を上げたが、鍋を持ったまま振り向いたユキトには伝わらないな、と思って諦めた。
一日一度は感じるジェネレーションギャップ。今日は、宇宙忍者だった。
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