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第9話

◇◇◇ 「今日からココに住む」  巨大なスポーツバッグと旅行カバンを携えてユキトが我が家へやってきたのは、「もう遠慮はしない」と謎の言葉を残して去って行った、次の日だった。  もちろん私はパニックだ。  思わぬところで〝浅ましい欲〟が露呈してしまったいま、ユキトにとって私は彼に害なす人間以外の何者でもないと思っていた。その彼が私を避けるどころか、まさかウチに住むという選択をするなんて。そんなもの、誰だって夢にも思わないだろう。  戸惑う私の目の前で靴を脱ぎ捨て、ユキトはリビングの隅に持参した荷物を次々と広げていく。 「とりあえず荷物こっちでいい? あ、布団はいらない。寝袋持ってきたから、しばらくソレ使うわ」 「寝袋……?」  ずるり、とユキトがスポーツバッグから取り出したのはダウンのシュラフ。彼は封筒型のそれを慣れた手つきで広げると、ファスナーの閉まりを何度かチェックした。  どういうことだ。彼はウチにキャンプにでも来たのか?  ここで宿泊学習でもするつもりだろうか。いやこの場合、勉強合宿、になるのか?  しばらくコレを使う、の『しばらく』とはどういう意味だ?  訊きたいことは山ほどあるのだが、目の前で繰り広げられる予想外の行動が私の舌を完全に麻痺させていた。 「歯ブラシ、は洗面所。ジャージに……あ、パンツ」  ――パンツ!? 「あったあった。忘れた気がしてたんだよなぁ。まぁ別になくてもよかったけど」  カバンからぽろりと飛び出したのは薄いグレーのボクサーパンツ。小ぶりなユキトの臀部を普段あの薄布一枚が覆っているのだと思うと、いろんな意味でゾッとする。だがソレを忘れてくれなくて本当によかった。  露店よろしく一通り荷物を並べ終わったあと、彼はせっせと自分の私物を家のあちこちに配置し始めた。それはもう、見事に口を挟むヒマもない早業で。 「こんなもんかなぁ。どう? 寝るのはとりあえずこの隅っこ」  ソファの隣。普段は通らない壁際にシュラフが広がっている。生活していくうえでたしかに邪魔にはならないが、フローリング直置きの黒い化繊の布団はとてつもなくその場から浮いていた。 「どう、と、言われても」  いつもユキトが寝転んでいるソファには、いつの間にか起毛の感触が温かそうなクッションが置いてある。真夏のこの時期にそのクッションは必要なのか。食器棚にさりげなく置かれたマグカップはわざわざ家から持ってきたのか。コップならいつもウチのを使っているじゃないか。そこに何かこだわりはあるのか。テーブルの下に積まれたマンガは。週刊のマンガ雑誌ということは、来週また一冊増えるのか。  ――ここは、本当に私の家か? 「っていうことで、お世話になりまーす」 「お世話にはなりません」

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