10 / 25

第10話

 口を突いて出たのは、意外と冷静な返答だった。このとき、まだ理性を保っていた自分を今でも褒めてやりたい。 「え、なんで?」  まるで心外だ、とでも言いたげにユキトが眉を跳ね上げる。どうやら、この子の『遠慮はしない』の定義は、私の想像のはるか斜め上を行っていたようだ。  ――本当に、頭が痛い。  さっきから眉間のあたりをもやもやと霞のようなものが漂っている。すぐ近くに答えがあるのに、何かに邪魔をされてその正体を掴めない。そんな不快感がずっと視界にこびりついている。 「なんでもなにも。普通に考えたらそうだろう」 「普通って?」 「キミは未成年なんだ。保護者でも血縁者でもない私の家に住めるわけがない」 「保護者じゃなくたって住んでいいじゃん」 「そうはいかない。法律がある」  頭のなかでは〝略取〟〝誘拐〟などという物騒な単語が飛び交っていた。捕まって迷惑をかけるような親類がいるわけではないが、前科者になるのだけは遠慮願いたい。  なにより、ユキトの人生に傷をつけるようなことはできない。本来なら、こうして下心を持って彼に接しているだけでも、世間的には充分受け入れられない行為だ。  私はこれからも彼に手を出すつもりなどないし、彼も私に身体を差し出しているわけではない。  だが、大人と子供の間には、それだけでは絶対に越えられない壁がある。 「前は『ウチに来い』って言った」  公園での件を言っているのだろう。一年前、ユキトに声をかけた日のことだ。 「あれは……一晩、泊まるところがないならウチで休むといいって言ったんだ。現に、次の日にはキミも家に帰ったし」  あの夜、私はユキトを一晩家に泊めた。顔と身体の傷を簡単に治療して、私のベッドへ寝かせて。ソファで眠った私は彼に指一本触れていない。だからといって今、この状況で彼をこの家に置くわけにはいかない。  あのときとは、私の気持ちが違う。 「俺が住みたいって言ってるんだから大丈夫」 「ダメだ。そんな理屈は通用しないんだ」 「は!? だって先生が……っ!」  にわかに声を荒げたユキトが、私の目を見てきゅっと口を結んだ。いくら感情をぶつけたところで、私が意見を曲げることなどないと悟ったのだろう。床に視線を落とし、何かを耐えるようにきつく拳を握る。痩せた手の甲に痛々しく筋が浮かんでいた。 「ユキト君。キミがこうしてやってきてくれたことは素直に嬉しいよ。もう嫌われたかと思ってたから」 「……嫌いになんか」 「じゃあ、わかってくれるね。もしキミがまた家に戻りたくない理由があるのなら、できるだけ力になるから」  ユキトは答えない。拳を握ったまま、ふい、と窓の外を見た。どうやらまだ納得はいっていないようだ。  いま家に戻れと言ったところで、まっすぐ帰るとも思えない。また衝動的に街をふらつくようにでもなったら、これまで私がしてきたことはまったくの無駄になる。彼を危険な生活から、安全で年相応な生活へと引き戻すこと。その役目はまだ終わっていない。  深くため息を吐く私を、ユキトの大きな目がチラリと見た。  ――その顔は卑怯だぞ。 

ともだちにシェアしよう!