12 / 25

第12話

「ここ。俺んち」  指差す先に一件の家がある。白壁が眩しい新築で、道路に面した小さな庭に背の高い鉢植えのミニトマトと、ポールに巻き付いた朝顔、そして子供用の黄色いビニールプールが見えた。 「俺んちっつっても、兄貴が建て替えた家なんだけど」 「お兄さんがいるのか」 「10歳上。その下にも兄貴がいて、三人兄弟」 末っ子気質なのは元々の性格ではなく、実際に彼が末っ子だったからか。妙に納得がいって、今度はユキトの家族に興味が湧いた。 「ご両親もこの家に?」 「そ。親父は今日休みだから、たぶん家にいると思う」  ガチャリ、と軽い音をたててドアが開く。鍵がかかっていないところをみると、ユキトの言うとおり誰かが家にいるのだろう。  両親と兄夫婦。そしておそらく、その子供。ユキトの口調からは、家族を遠くの方から眺めているような、どこかよそよそしい印象を受ける。 「入って」  広めの玄関には所狭しと大小様々の靴が置いてある。小さなサンダルが大人のサンダルと互い違いに並んで、そこに確かな日々の営みがあることを教えてくれる。  ふと、ユキトが玄関の一番隅に靴を脱いだ。何気ないその行動が私の胸をかすかに撫で上げた。それはまるで小さく尖った棘が目に見えない場所にひっかかっているような、ほんのわずかな不快さだった。  玄関からむこうは廊下が続いている。引き戸で仕切られた部屋がいくつか並んで、一番奥の曲がり角を曲がった先がリビングらしい。迷わず進んでいったユキトの声が廊下の奥から聞こえてきた。 「親父ぃ。先生つれてきたけど」 「あっ、ユキト君」  まだ心の準備もできていないうちに父親を呼ばれ、私はその場にしゃちほこばって姿勢を正す。緊張と暑さで背中にはいつしかじんわりと汗が滲んでいる。ハンカチを持ってくればよかったと後悔しても、もう遅い。せめて額に浮かんだ汗だけは隠そうと、前髪を指先で少し垂らしてみた。  そうこうしているうち、廊下の向こうから急ぐ足音が聞こえてくる。足音はふたりぶんで、ひとつはユキト、もうひとつは父親のものだろう。 「連れてくるなら先に知らせておけよ。母さんも美菜さんもいないのに」 「しょうがないじゃん。急に決まったんだって」 「冷たいお茶でも買っておけばよかった。お前、ちょっとコンビニ行って買ってこい」 「はぁ? 暑いわ」 「誰のせいでこんなに慌ててるんだ。いいから行け」  言い争う声は徐々に近づいて、やがて曲がり角の先から壮年も後半に差しかかろうという年頃の男性が姿を現した。玄関に立ち尽くす私の姿を一目見た瞬間、彼はユキトによく似た大きな目をぎょっと見開き、口元にぎこちない笑みを浮かべた。 「あの、突然お邪魔いたしまして申し訳ありません。わたくし――」 「あ、ああ。どうも。あなたが〝先生〟でいらっしゃいますか。いつも有季斗(ユキト)がお世話になってます。私、有季斗の父の河々谷(かがや)と申します」  頭を下げしな、名乗ろうとする私を遮って少し上擦った声が言った。  上から失礼します、どうぞお上がりください――促されるまま小上がりの和室スペースへ通される。小さい子供がいるからだろう、部屋を区切る障子は破れにくい固い障子紙が張られている。リビングには大量のミニカーが入った箱や、使い込まれたアップライトピアノ。大画面テレビの前には子供用のDVDが堆く積まれている。そこには、どう見ても幸せな、愛情溢れる家族の風景が広がっていた。  ユキトはといえば、父親に促されしぶしぶコンビニへと出かけている。玄関ですれ違い様、すまないという気持ちを込めて目で詫びると、しょうがないなとでも言いたげにひとつ鼻を鳴らした。 「奥様がお留守のときに突然押しかけてしまって、申し訳ありませんでした」 「いいえ、お気になさらず。こちらこそ、いつかご挨拶にと思ってはいたんですが、先生に足を運んでいただいて申し訳ないです」

ともだちにシェアしよう!