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第16話

「私たちはすっかり動揺してしまって、有季斗になにも言ってやられなかった。とくに驚いていたのは美菜さん……息子の嫁です。口や態度には出しませんが、あの子だけやはり血の繋がりがないからでしょう。同居する孫のことを思えば、彼女が今後のことを考えてしまうのはしょうがない。有季斗もそれをわかっていました。ふたりの関係はその日からどことなくギクシャクしていきました」  家族の反応はユキトの想像の範囲内だったのかもしれない。だからこそ誰にも相談できず、黙って家を出ようとしていた。そしてそれが叶わないうちに、彼の心が先に限界を迎えた。  頬を伝う涙はすでに冷たくなっていたが、私の心は静かな炎を燃やし続けていた。  きっと誰も悪くない。歯車が少しだけずれて、家族が向き合う時間が少しだけ足りなかっただけなのだ。  そのこと誰よりも早く気がついて、誰よりも早く諦めたのがユキト。そして彼にとっては、それが心を壊さないための唯一最善の策だった。 「有季斗が家に戻らなくなったのはそれからです。顔を合わせれば話はしますが、どこにいるのか訊いても友人の家を転々としていると言うだけで……それも、どんな友人かわかりませんでした。しかし、出て行くのも突然なら帰ってくるのも突然でした。毎日家にいるようになったのはちょうど一年くらい前です。たぶん、そのころ先生に出会ったんだと思います」  ユキトは誰かに話を聞いて欲しかったわけではない。現に、私には悩み事ひとつ相談してこなかった。ただ、なにかひとつ変わらないものが欲しかったのだろう。毎日変わらずそこにあって、黙って自分を受け入れてくれるなにかが。 「家族はみんなあの子が戻ってきて喜んでいるんですが、あの子は私にバイトして貯めた金で家を出て行くと言いました。働いたことなんて一度もないあの子がですよ。ずいぶんと口も悪くなりました。付き合っていた友達の影響なんでしょうけど、不思議なことにあまり腹も立たないんです。話しかけてくれるだけで嬉しかった。それにもしかすると、いまの有季斗が本当の有季斗なのかもしれません。なんだか少し見ない間にずいぶんと大人になった気がして、そこまでされちゃあ、親として私もあの子を信用しないわけにはいかないな、と」  最近は、そう思い始めたんです。俯いたまま河々谷氏は静かに笑った。  椅子に座ったまま眠り込んでいたユキトを思い出す。慣れないアルバイトに疲労困憊で、ペンを握りしめたまま無防備な寝顔を晒すユキト。家を出ることが唯一、心の平穏を取り戻すことだったのだとしたら、彼はどんな想いで疲れた身体を引きずってまで私の元へ来てくれたのだろう。  この家でユキトは藻掻いて足掻いて、たったひとり闘った。自由を勝ち取るために、良い子の〝仮面〟をかなぐり捨て、ただひとりがむしゃらに。  他人からすればそれは贅沢な悩みかもしれない。だが彼にとっては人生を賭けた、一世一代の大勝負だった。  ――いいね。なんとも格好いいじゃないか、ユキト。 「本当に、これじゃあ惚れてもしかたない」  グラスの中身を一気に飲み干し、喉を充分に潤す。  生涯二度目の、そして人生最後のプロポーズのつもりだ。  扉の向こうに感じる気配へ格好悪いところは見せられないだろう。そう自分に言い聞かせた。 「先生?」  突然立ち上がった私に、目を丸くしてこちらを見上げる河々谷氏。  彼に向かって、大きく胸を張って私は言った。 「お父さん。私は同性愛者ではありませんが、ユキト君が好きです。私を信じるユキト君を信じて、今夜一晩、彼を私にいただけないでしょうか」  

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