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番外編「仔猫の寝床」1話

 最後に一口残しておいた鯖のパン粉焼きを頬張って、よく味わってから飲み込む。少し時期が早いとユキトは言っていたが、脂の乗った秋鯖は香ばしいパン粉にも負けずしっとりとしていて美味しかった。  両手を合わせ、目の前に座る今日の料理人に、 「ごちそうさま。ずいぶん腕を上げたね、ユキト君」  お世辞でもなんでもなくそう言うと、彼は湯飲みに温かい茶を淹れてくれた。 「まかないは失敗したけど、本番は成功したからオッケー」  大きな目を細め、得意げに笑う。  夏ごろから彼が通っているアルバイト先は個人経営のイタリアンレストランで、料理に興味があるならと、店長がシフトの早い土日はまかないを作らせてくれるらしい。それはそれは厳しい指導を受けながらなのだそうだが、いつも、その日に教えてもらったメニューがそっくりそのまま我が家の夕飯になる。バイト帰りにスーパーへ寄り、同じ食材を買ってユキトはウチにやってくる。  お世話になっている店の人に振る舞う料理こそまさに本番であるべきと思う反面、それ以上に私へ振る舞う料理の方が大切だと言ってくれるのは、やはり嬉しい。  一応、彼の〝先生〟を名乗っている者としては、褒められたことでないとわかっていても。 「片付けとくから、風呂入っておいで」    彼が夕飯を作ってくれる日、皿洗いは私の担当だ。立ち上がり、片付けをはじめたユキトから私は慌てて皿を取り上げた。 「いいよ。疲れてるんだろう」  触れた指先が小さく震えると、重く被さったユキトの瞼がはっと開く。夕食を食べはじめたころから彼が眠そうにしているのはわかっていた。案の定、いまも小ぶりな頭が心なしかふわふわと左右に揺れている。食事の始まりがいつもより早かったのも、バイトで疲れた身体を早く休めたかったからだろう。 「……やば。いまちょっと寝てた」 「じゃあはい、ほら。行っておいで。風呂で溺れないように」 「ん」  とぼとぼと着替えをもって風呂場へ歩く彼の背中を見送り、私はリビングへと戻る。向かうのはソファ横に置かれた収納棚だ。  どこで買ったか、もう遠い昔で忘れてしまったが、よくある合板の収納棚に、端の白茶けた元はピンク色のかぎ針編みのレースがかけられている。上に写真立てが飾ってあって、その白いフレームに収まって微笑んでいる髪の短い女は、数年前に亡くなった私の妻だ。  写真の前には小さな盆がひとつ置かれている。中身は今日の夕飯と同じ、鯖のパン粉焼き。一切れを丁寧に2つに切って、箸と、スープも添えてある。ユキトがやったのだ。  料理が美味しくできたとき。私の好物を作ったとき。彼はときどきこうして私の妻に料理を供える。初めてそれに気づいたとき、驚いてじっと皿を見ていた私に彼は、〝上手くいったから奥さんに自慢してただけ〟と言って、そそくさと皿を下げてしまった。礼を言うと、次からは写真に向かって手を合わせるようになった。  決まっていつも5秒。何を真剣に語りかけているのかは絶対に教えてくれないが、だいたいの想像はつく。その姿を見るたび、彼を好きになって良かったという想いが私の胸を甘く締めつける。 「メシ、すごくよく出来てたな」  話しかけると写真の妻が微笑んだ気がした。  きっとそうに違いないと、私はいつも自分に言い聞かせていた。

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