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「仔猫の寝床」 3話
ユキトの言葉をとっさに受け取り損ねた私は、あっという間に見えなくなったその言葉を見失ってしまう。
彼は本心を隠す。彼の口から放たれる言葉には本音と遠慮が複雑に絡み合っていて、ほんの少し目を離すとすぐに姿を消す。それでいて、いつも物陰からこちらを覗いているのだ。まるで誰かが自分を探し出してくれるのを待つかのように。
たいそう面倒で、それでもなお彼の魅力は私の興味を惹きつけて止まない。子供が苦心の末やっと手に入れた宝物を矯めつ眇めつ眺め回すように、私は彼をじっと観察して、なんとか正解を導き出せないものかと考え続けている。
きっと残りの一生をかけても、彼のすべてを理解することなどできないとわかっていながら。
「わかった。どうしても寒かったら、今日は暖房つけてもいいよ」
「冬じゃないなのに?」
「キミが寒い思いをするよりはマシだ」
「……ふぅん」
何気なく袖を弄っていたユキトだったが、きゅっと嬉しそうに眉根を寄せたのは見逃さない。どうやら機嫌はなおったらしいとホッとして、今日最後の一杯を淹れるためにリビングへ向かった。
狭いマンションだ。数歩歩けば終わる廊下に、後ろからついてくるユキトの気配がある。
「ああ、そうだ。そういえばクローゼットに何かの景品でもらった膝掛けが、」
ひんやりとしたドアノブに手をかけたところで、突然暗闇のなかから温かい何かが手に被さってきた。驚いて思わず身をすくめると、ぼんやり浮かんだ温かいものの正体はユキトの細い指だった。
今度は別の意味で心臓が跳ねた。
「どうした?」
「待って」
リビングのドアからガラス越しに灯りが漏れている。お互いの顔がやっと見えるほどの暗さで、気づけばユキトの顔が近い。
指は私の手をゆっくりとドアノブから引き剥がす。熱を帯びた黒々とした大きな両目が、頭ひとつぶん背の高い私を上目遣いに見上げている。
「せんせ」
たどたどしい喋り方。
石鹸と、もっと甘い噎せ返るようなユキトの匂い。
視線が目の前の少年に釘付けになる。張り詰めていた全身が徐々に麻痺して、心臓が鼓動をひとつ打つたび私の感覚は冷たい夜気から切り離されていく。いまや身体の芯から這い上がってきた熱が私の手足を支配していた。
「……ユキト」
額にかかる前髪にそっと手を伸ばすと、彼はくすぐったそうに首をすくめた。まっすぐな視線が途切れた、ほんの一瞬。
「っ、」
初めてのキスは、あまりにも自然に行われた。私は吸い込まれるように、柔らかく震える甘い果実に口づけた。
顎をすくい上げ、舌を差し込む。上向いた頬を撫で、すべらせた両手を髪に絡めて引き寄せる。吸い込む空気がユキトでいっぱいになる。
ついさっき『押し倒すほどの性欲はない』と言った自分を嘲笑うかのように、一度侵入を許されれば、私の欲望は容赦なくユキトの深くへ深くへと入り込んでいく。
私たち以外誰もいない廊下で何度もキスをした。おずおずと差し出される舌を歯で扱き、敏感な先端に吸いついて、熱い唇の内側を執拗に撫でた。すすり泣きに似た可愛らしい喘ぎ声を逃さないよう、全身を耳にして彼の反応すべてをつぶさに堪能した。
それから、どれだけの時間が経っただろう。
細い腰にすべらせた手がしっとりとした生肌に触れたとき、乾ききった私の身体に怒濤のように押し寄せていた欲がようやく静かに引いていくのを感じた。
私の手が止まったことに気づいた腕の中の熱い塊が、少しだけ不満そうに頭を擦りつけてくる。薄い背中を撫で、これ以上なにもしてやれない歯がゆさに身を焦がしながら深く息をする。
怖いのは手に入れることじゃない。奪うことだ。
「もう寝よう。行って」
ぴく、とユキトの肩が震える。
「コーヒー、は」
襟元から入り込んでくる熱い吐息と振動がくすぐったい。
「明日の朝、ユキト君に淹れてもらおうかな」
「インスタントだけど」
「それでも美味しいよ」
「……わかった」
離れた場所から体温が奪われていく。寂しさにもう一度抱き寄せようとした手を、残りカスのような理性で押し止めた。
「おやすみ」
静かにドアが開く。光に照らされたユキトの、一瞬だけ迷った足元に、
「あ」
さっき私が見失った、彼の願いがぽつんと転がっていた。
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