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「仔猫の寝床」 4話

◇◇◇  目の前で泡立つクリーム色の海に、ときどきころんと小島が浮き上がる。握った木べらの先ですかさず潰すと、崩れた小麦粉の塊が甘い牛乳に溶けて消えた。 「どんな感じ?」  コンロ前を陣取る私の肩越しにフライパンをひょいとのぞき込み、ユキトが言う。 「いい感じかな。どう?」 「ん。いい感じ。焦がさないように」 「了解しました、シェフ」  コッコッとリズミカルな音を立てて滑らかなソースを作っていく。今日のメニューはユキトのリクエストで『先生の作ったグラタン』。バイト帰りに寄った書店で美味しそうなグラタンの表紙の料理雑誌に出会ったらしい。おかげで何年も食器棚の奥に眠っていたグラタン皿を、腰をかがめ棚板に頭を打ち付けて引っ張り出す羽目になった。  初めて作ったホワイトソースは玉を潰す合間に牛乳が端から蒸発して焦がしてしまって、実はこれが二度目のチャレンジだ。  もったいないと言いながらシンクの中で健気に水流と戦う焦げ茶色のソースを眺めていると、隣に立つシェフからのキツいお言葉が降ってきた。曰く、「供養のために二度目はもっと美味しく作るんだ」。これは本物のシェフの受け売りらしい。  必死の格闘が功を奏したのか、出来上がりつつあるソースからはほんのり香ばしく食欲をそそる香りが漂ってくる。ちょうどいい硬さまでもう少しというころで、インターフォンが軽快な音楽を鳴らした。 「ごめん、ちょっと出てくれるか。たぶん頼んでおいた荷物だから」 「はーい」  スリッパの足音も軽やかに玄関へ向かう。しばらく話し声が聞こえて、戻ってきたユキトがリビングにひょっこり顔を出した。 「なんか、すげぇデカい荷物きたけど」  やはり注文しておいた品が届いたらしい。時間どおりの配達で安心した。 「寝室まで運んでもらって。あとはやってくれるから」 「わかった」  怪訝な顔で頷くと、入ってくださーい、と大きな声が聞こえた。その口ぶりはまるで新居に引っ越し業者を迎え入れる新妻のようで、なにやら気恥ずかしいが、嬉しい。  出来上がったソースを炒めておいた具と合わせ、皿に移してチーズをたっぷりかける。少しチーズが多めに入ってしまったが、ユキトはチーズが好物なので問題ないことにした。 来週は隣のページにあったミートソースでトマトと茄子と……いろいろ考えながら作業を進めていくうちに、荷物は運び終わったらしい。バタバタと慌ただしい足音が帰ってくる。 「終わった?」 「あっ、お、終わった」  よほど急いだのか、ほんのり頬を紅潮させたユキトが声を弾ませながら答えた。 「ありがとう。こっちもあとは灼くだけだよ」 「ん……」  チラリ、とこちらを見て、何か言いたそうに口を開く。どうした、と訊いてやりたいのをぐっと我慢して、他のおかず探しに取りかかった。グラタンばかりに気を取られて他のメニューをまったく考えていない。さすがに食べ盛りのユキトにグラタンと米だけというのは酷だ。 「グラタンに、ところてん、は合わない? ちょっとさっぱりしたものが食べたいなぁ」  冷蔵庫を覗く背中に痛いほど視線を感じる。 普段はユキトの言葉を促す役目である私が、今日はなにも言わないのを不思議に思っているのだろう。だがこの件に関して、私から折れるつもりは一切なかった。  ユキトに話を切り出して欲しい。できれば、ユキトの口からあの言葉を聞きたい。そう願っていた。 「ところてんはないな。うーん。やっぱりサラダか」  わりと本気で提案すると、ぼんやりとこちらを見ていたユキトはまさしく心ここにあらず、という顔で頷いた。いつも軽口を叩く可愛らしい唇は、何かを考えるときのクセか、いまはツンと尖っている。  ――ちょっと許容量を超えた、か?  これ以上はなにも返ってこないだろうと諦めて、私は常備している野菜たちに手を伸ばす。ここぞとばかりにトマトをふんだんに使ったサラダを作ってやろうと思った。せっかくリクエストに沿おうとしている私を放置した、せめてもの意趣返しだ。  いいだろう。そこまで悩んでいるのなら、もっともっと悩むがいい。  あんな目で私を見つめて。あんなに淫らなキスをしておいて。  いつまでも子供でいられると思うなよ、ユキト。 「ご飯にするよ」 「……うん」  ぼうっとしたままこちらへ歩いてくる。  ぱっと見、人の目を引く容姿で危うい行動の多い彼が、実は意外と純情だということを一体何人の男たちが知っているのだろうか。

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