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「仔猫の寝床」 5話

「あっ、すげぇ美味そう!」 テーブルに並んだ熱々のグラタンを目にしたユキトが、やっといつもの調子を取り戻して席についた。 「取り分けようか」 「うん」  木製の取り分け用スプーンで黄金色のチーズの荒野を割り開くと、中からホワイトソースとたくさんのマカロニが顔を出す。身を乗り出して覗き込んだ彼が、急かすように小皿を引き寄せる。 「マカロニのさぁ、端っこの焦げたとこって美味いよね」  皿の縁に貼りついた、マカロニの少し固くなった箇所を指差して言った。 「じゃあ端はユキトくんに」 「やった」 「そんなに好き? グラタン」 「だい好き」  チーズと、スプーンの先から滴るタマネギの細い糸を嬉しそうに眺めながら、うっとりと呟く。  食べ物と動物はずるい。私の好きな人から、いとも簡単に〝好き〟を引き出してしまう。街中を歩いていても「ねぇ、キミ。グラタン食べにいかない?」と声をかけられれば、ホイホイ誰にでもついて行ってしまいそうな勢いだ。そんなセリフでナンパしてくる者がいるとは思えないが。 すべての配膳が終わって、私たちはきちんと手を合わせて一緒に「いただきます」をした。真っ先にグラタンへ飛びついたユキトは、いつまでも冷めないチーズに苦戦しながらも、あっという間に一皿たいらげてしまう。  火傷したという舌先をこちらへ見せて嬉しそうに笑って、少しだけおかわりしようとしているのを「全部食べてもいいよ」と言うと、最初は遠慮していたのが、結局、食事が終わる頃には残ったグラタンのほとんどがユキトの腹のなかに収まってしまった。もちろん、トマトだらけのサラダもすべて食べきった。見ているこちらが気持ちいいほどの食べっぷりだ。 「食べ過ぎたー」  早々に片付けを終え、ユキトが我先にとソファへ倒れ込む。カーテンを開け放したままの黒く光るガラス窓に、その薄い腹を撫で、苦しそうに息をしている姿が映っている。  私は食後にお茶をするつもりで持っていた急須をテーブルに戻した。寝転ぶ彼の足元に腰掛け、 「大丈夫?」  訊ねると、視線だけを向けたユキトが微笑んだ。 「うん。苦しいけど、すげぇ美味かった。また作ろうね」 「さすがは現役男子高校生。どこにあの量が入った?」 「ここ。でもほら、ちょっと腹が出た」  眠そうな目を瞬かせ、Tシャツの裾を捲ってみせる。真っ平らな腹部が若干膨らんでいるのが見えたが、それよりも両目に飛び込んできた眩しすぎるほどの肌の白さにぎくりとした。  無邪気な表情が、私の気まずい視線に気づいてはっと固くなる。持ち上げた裾をいそいそと下ろし、フローリングに投げ出された脚がそろりと閉じられた。  一瞬の沈黙が、私たちの間に流れる空気を濃く、厚く変えていく。  左右に忙しなく揺れる瞳が自分の迂闊な行動を後悔しているのだとしても、一度箍を外してしまった私たちには、自分たちの行為を止めてくれるものは存在しないように思えた。  このまま顔を近づければキスできる。遠い昔の甘酸っぱい初恋の感覚が、当時とは比べ物にならないほど確信的な衝動を伴って身体中を駆け巡る。  試験はどうだった? お家の人は快く送り出してくれた?  他愛もない会話はすでに邪魔者となっていて、いますぐユキトに触れたいという刹那的な感傷に理性が押し流されようとしていた。 「先生」  唇が重なるほんの数センチ手前で、ユキトの声が私の時間を大人へと一気に巻き戻した。口元に感じる生暖かな呼気は彼の手で塞がれた己の唇から放たれたもので、そのあまりの荒々しさに自分でも驚きを隠せない。  ユキトは私の胸を押し返し、赤くなったうなじを隠すように顔を逸らした。  ――拒絶された。  部屋の空気は、しん、と冷えて鼻の奥が痛いほどなのに、額と頬だけが燃えてしまいそうに熱かった。肺を押し上げる心臓の鼓動が吐き気を覚えるほどに、強い。 「ごめん」  羞恥からくる目眩を堪えながら、覆い被さっていた身体を起こす。 「ああ。穴があったら……」  入りたい、と口に出そうとしたところで、〝穴〟という単語がユキトによからぬ誤解を与えてしまうのではないかと、ありもしない恐怖に駆られた。そんなくだらないことで、自分の脳が正常な判断を失っているのだと知る。

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