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3枠目-“推し活”ってやつかもしれない

 帰宅後、海はベッドの上で正座したまま1時間ほど固まっていた。  目の前には、暗い画面のスマートフォンが丁寧に置かれている。正直に言うと、電車の中で空都さんと連絡先を交換した後の記憶がほとんどない。  あの後、KU-TOさん――もとい、空都さんは、二の句が継げない僕の手からスマホをするりと奪い去り、慣れた手つきでLIME(チャットアプリ)のQRコードを表示させると、水色の板チョコみたいなケースのスマートフォンを取り出してそれを読み取り、「じゃあ、オレここなんで! またね、海さん!」と、僕の右手にスマホを返して、軽やかな足取りでホームに降り立ち、人の波に消えていった。  僕はといえば、電車のドアが閉まり切るまで一言も発せないどころか、状況を上手く飲み込めないまま、危うく次の駅で降りる事さえ忘れかけるほど呆然としていたのだった。覚えている事と言えば、それぐらいだ。  無事にヘアサロンに辿り着き、普段通りの髪型に整えられていたのが唯一の救いかもしれない。 ――オレと友達になってください  脳内で再生される言葉は夢だったのではないかと、心のどこかではまだ疑っていて……。しかしながら、帰宅後に習慣で開いた動画配信サイトを遮るように、“クート”という名前と共に「これからよろしくお願いします!」と、書かれたメッセージ通知が届いたため、これが幻覚でなければ、本当に、本当に幻覚でなければ、彼とになってしまったのだろう。 「……繋がりって、こと?」  ここ数か月で妙に配信界隈に詳しくなってしまった海にとって、これがタブーであるという認識はあった。加えて、海は推しに認知される事を望んだことは無かったし、それ以前にそんな考えすら浮かんだことが無かった。  つまり、青天の霹靂。こういった場合の対処法など思いつくはずもないのだ。混乱、困惑、緊張と疑問。キャパシティーは既に限界を超えて、数周回って、むしろ冷静になってきてるような気さえする。 「なんで、あの時断れなかったんだ……」  断れるはずがない。推しからのお願いを断れるオタクはいない。それは言い過ぎかもしれないが、少なくとも海は、押しに弱いタイプであると自覚があった。物理的に頭を抱えてベッドに倒れこむと、さらりと、幾分か短くなった前髪が揺れた。 「なんて返そう……」  無難に、「こちらこそよろしくお願いします」で、いいのだろうか? ちょっと素っ気なさすぎる気もする。「空都さんとお友達になれるなんて、光栄です」……いや、硬すぎるし、オタクすぎる。スタンプで済ませるのは流石に失礼だし、推しにそんな事出来ない。というか、KU-TOさんが作ったスタンプしか持ってない。本人に送れるわけない。  堂々巡りする思考に唸りながら、そっとスマホの画面に触れる。すると、気が付かない内にメッセージ通知がもう一通来ていた。  慌てて飛び起き、内容を確認しようと、つい、通知をタップしてしまった。 「既読ついちゃった……!!」  後悔しても、取り消せるわけでもないので、メッセージに改めて目を通す。 『これからよろしくお願いします!』 『海さんは何ラーメンが好きですか?』 「ラーメン……」  予想外の追撃に、思わずクスっときてしまった。配信頻出単語が普段のやり取りでも出てくることが分かって、改めて本当にラーメンが好きなんだなぁ……と、過去配信に思いを巡らせる。たしか、塩ラーメンが一番好きなんだっけ。 「しょうゆラーメンが好きです」  思わずそう送ってから、挨拶を返していない事実に気が付き、 「こちらこそよろしくお願いします」 「空都さんとお友達になれるなんて、光栄です」 そして、添えるようにKU-TOさんが描いたらしい、笑顔の黒猫のスタンプを送った。  結局、送ろうか迷っていたもの全て送ってしまって、今度は恥ずかしさで頭を抱える事になったが、空都さん側から話題を提供してくれた優しさに、感謝の念が湧いてきて、じんわりと胸が暖かくなるのを感じた。やっぱり空都さんはKU-TOさんなんだな。  ちょっと、いや、かなり派手な見た目に面を食らっていたが、会話も文面も、いつも配信で聴いている彼の人柄そのままで、裏表ないであろう様子がより一層“推せる”。  そうだ、推しが友達になって欲しいと言ったからには、僕は彼の良き友人になろう。そう心に決めた。これも、世に聞く一種の“推し活”ってやつかもしれない。うんうんと、軽く頷き、満足気にメッセージ画面を眺めていた所に、またメッセージが届く。空都さんの画面では一瞬で既読が付いただろう。画面を開いたまま待っていたと思われるのではと思うと、なぜかソワソワと落ち着かない気持ちになった。 『オレは塩です!』 『スタンプ使ってくれてるんですね! ありがとうございます!』  跳ねるような文面に、微笑ましさすら感じる余裕が出てきた僕を見透かしていたかのように、とんでもない一文が続く。 『次の休み、一緒にラーメン食べに行きましょう! うまい店知ってるんで!』  ……もう一度、ベッドに倒れこみ、どう返信をすべきか考えなくてはいけないはずが、「あぁ……本当にKU-TOさんだ……」と、過去の配信で語られた友達とご飯を食べるエピソードが次から次へと現実逃避を手伝ってくるのだった。
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