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4枠目-オタクは推しのお願いに弱い

 どんなに非現実的なイベントがあったとしても、月曜日は待ってくれない。  月曜日は2限からなので、ゆっくりと準備したっていいはずだけど、始業にちょうど間に合うような電車は基本満員気味だ。2本くらい早めに乗って、始業までKU-TOさんの配信アーカイブを聴きながら、優雅に読書するのがルーティンになって久しい。  今日もそうするつもりで、カバンを肩にかけ、スマートフォンを充電器から取り上げて、ぱっと画面を見て、ゆっくり膝から崩れ落ちる。 「一緒にラーメンかぁ……どうしよう……」  昨日は結局、返事を迷ったまま夕飯を食べ、お風呂に入り、課題を済ませ、いつも通りの時間に就寝して、朝になってしまった。でも、心なしかいつもより早起きだったほどには、悩んでいた。  ご飯に誘ってもらえた嬉しさよりも、昨日の比にならないくらい、顔を突き合わせて会話をすることになるという事実に、動悸が、すごい。落ち着いて話せる自信がない。というか、そもそも空都さんと一体何を話せばいいんだ。こちとら数か月、時間に隙があれば、ほぼ全てKU-TOさんの配信に身を捧げてきたというのに。空都さんにKU-TOさんの配信の話をしても、ただ感想を述べるだけのオタクが出来上がるだけで……それはもう、会話とは呼べないのでは?  座り込んだまま、数分、メッセージを見つめる。  ……友達って、どんな話をするものなのだろう。  ふと、高校時代の空虚な記憶が浮かんで、霧のように消える。思い出になるほど鮮やかでも、思い焦がれるほど褪せてもいない。そんな、教室。 「友達、か……」  もう何年も、“友達”なんて、作ってこなかったな…… 「海ー? 大学遅れないのー? 朝ごはんはー?」  階下から呼ぶ声に、ハッと意識が現実に帰ってくる。スマホのデジタル時計は、いつもならとっくに家を出ている時間を表示していた。慌てても、いつもの電車には間に合いそうにない。  電車に乗ってから、考えよう。遅刻だけは絶対に避けたい。いや、遅刻するような時間ではないのだけど、折角なら座れた方がいい。 「ごめん! 遅れちゃうから大学で食べるね!」 「珍しいねー、はい、サンドイッチにしたから持っていきなさい」 「ありがとう、行ってきます!」 「はーい、行ってらっしゃい」  くすくすと笑う母からサンドイッチを受け取り、バタバタと外へ出る。駅へと向かう足取りは、いつもより少し忙しない。なんだか、昨日からずっと、ペースを崩されている気がする。空都さんのせいだ。僕は、ただの彼のリスナーなのに。つい八つ当たりのようになってしまった思考を、頭を振って追い出す。今のはちょっと、良くなかった。すみません空都さん。  駅が近づくにつれ、大学生らしき人が増え始める。少しだけいつもと違う雰囲気に感じるのは、無意識に普段の顔ぶれを覚えているからだろうか。  ホームには、まばらに列ができ、そのほとんどがスマホを注視している。それに倣うように、比較的空いている列に並び、イヤホンを装着して、スマホを開く。流れで動画配信サイトを開き、数日前のアーカイブを選んで、聞きなじんだBGMに軽く息をつく。  そうだ、返事しなきゃ。  と、考え始めると同時に電車がホームに滑り込んできて、空いた席に無事に腰を下ろす。この時間でも、割と空いているんだなと、車両内を見渡すと、 ―― 目が合った。  座席を四つほど挟んだ扉前、差しこむ朝の陽ざしに照らされて、宝石のような青が煌めいている。風もないのに、ふわりと柔らかくそよいでいるようにも見えて、改めて、立っているだけで目を引く容姿だなと感心した。  二色の瞳は、軽く見開かれた後、柔らかく細められ、贔屓目で見て、とてもうれしそうに微笑んでくれた……と、思ってしまう。  こちらは、情けなく驚いた顔をしていただろう。なんでここに?いや、彼も大学生なのだから、登校に他ならないけれど。でも、そんな偶然あるだろうか?やはり、都合よく夢を見ているのかもしれない。  本当は、まだベッドの中で……起きてスマホを見たら連絡先なんてなくて……。  ほんの一瞬の間に、様々な事を考えて、その全てがほどけて消えていく。それくらい、目を奪われていた。  空都さんは、僕に向かって、ゆっくり、小さく口を動かす。  音にならないそれが、「おはよう」と告げている。  不思議な事に、脳内ではちゃんと、空都さんの声で再生されていた。今、聴いている配信のアーカイブから、聴こえる声と全く同じ声だろうから。  気が付かない間に走り出していた電車が、軽くガタンと揺れた。現実に引き戻されて、やっと空都さんと同じ車両に乗っている事実に思考が追い付いた。  空都さんはきょろきょろと辺りを見渡すと、ポールに片手を添え、もう一方の手で器用にスマホを取り出して、何か操作してから、こちらに向き直った。  手元にある端末が震え、見ると、空都さんからのメッセージが届いていた。 『おはようございます。次の駅についたら、隣に座っていいですか?』  バッと顔を上げ、空都さんを見る。  首をかしげて、返事を待っているような様子の彼に、次の駅まで、さほど時間がない事が分かっていて、こんな事を? と、迷う隙すら与える気がないんだと絶望する。でも、そう。オタクは推しのお願いに弱い。特に僕は。  空都さんに向かい、控えめに指でマルを作る。  意図が通じたのであろう彼は、パッと表情を綻ばせ、僕がしたのと同じように、マルを作った。
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