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第18話

 花見のあと、瀬戸がひとり遅くまで残って仕事をしているところに、偶然犬飼は出くわした。そのときはたまたま急ぎの仕事があったのだろうと思ったが、何度か同じような場面を目撃し、それからは注意して見るようになった。気がつけば瀬戸は職場の誰よりも早くきて、遅くまで残って仕事をしている。誰かに認められることや、褒められることなど最初から頭にないように、淡々と自分の仕事をこなしている。  それまで犬飼は瀬戸に対して、こいつは才能があるのだからきっと何の苦労もしていないのだろうと、心のどこかで決めつけていたような気がする。それが、ひとり真摯に仕事に向き直っている瀬戸の姿を見て、彼に対する認識を改めざるをえなくなった。  こいつは、これまで誰の目も届かないところで、誰よりも努力をしていたのか。  瀬戸が仕事ができるのは、もちろんその才能があるからだ。ただ、それだけではなく、瀬戸がひと一倍、ひょっとしたらこの職場の誰よりも仕事に真摯に向き合っているからだろう。そのことに気がついたとき、犬飼は自分が恥ずかしくなった。瀬戸に周りとの和を考えろなどと偉そうなことを言っていたくせに、そんな自分が何より瀬戸のことをわかっていなかった。それどころか、瀬戸の才能の前に、自分はどうしたってこいつには適わないと勝手な劣等感を抱きながら、心のどこかで瀬戸のことを見下していたのだと思う。そんな自分を、犬飼は恥じた。  邪魔しては悪いと思い声をかけなかったので、瀬戸はおそらく犬飼に見られたとは気づいてはいない。犬飼も言うつもりはなかった。  顧客と外での打ち合わせを終えて職場に戻ると、何やら揉めるような声が扉の外まで聞こえてきた。ぎょっとして、いったい何事かと事務所に飛び込むと、睨むような格好で瀬戸と向かい合う向井の姿があった。  向井のデスクは書類の山や、書きかけのメモ用紙などが散らばっている。いまにもつかみかからん勢いの向井とは反対に、瀬戸は冷めた目で立っていた。そのようすを職場のひとたちが遠巻きにして眺めている。 「桜井さん、何事ですか?」  その場にいた桜井さんをつかまえ、事情を訊ねる。 「ああ、犬飼さん! それが、向井さんのデザイン画がなくなったらしくて、向井さんはそれを瀬戸さんが盗ったって言っていて……」 「はあ? 何ですか、それは……」  あまりにバカバカしい答えに、犬飼は呆然となった。  瀬戸が向井のデザイン画を盗んだ? 何だそれは?

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