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第36話
それからしばらくの間は何事もなかったかのように、淡々と日々が過ぎていった。毎朝職場へ行き、仕事をして、休憩時間はスタッフとたわいもない雑談を交わす。家に帰ってクロと遊び、食事をとって、風呂に入って寝る。また、時折ふらりとやってくる野良猫のように、瀬戸が犬飼の家を訪れるのも相変わらずだった。幸いにもその後瀬戸が告白について何かを言ってくることはなかったし、もちろん犬飼から触れることもなかった。瀬戸の告白など最初からなかったかのように当たり前の日々が過ぎてゆき、――いや、そもそもあれは本当に告白だったのだろうか――、この先も同じように続くと信じていた。
ただほんのときたま、瀬戸が何か物言いたげにこちらをじっと見ていることがあった。犬飼が何も気づかないふりをすると、瀬戸はそんな犬飼に呆れたのか、ひとつため息を吐いて、あの冷めたような眼差しを浮かべていた。そんなとき、犬飼の胸は決まってちくりと痛んだ。この胸の痛みの意味を、犬飼は知ることを恐れた。
それは、いつものように犬飼の家で瀬戸と飲んでいたときだった。犬飼の向かいで静かに酒を飲んでいる瀬戸の端正な顔に、途中寄ったスーパーの店員の女の子が見とれていたことを思い出した。
「そういえばお前、気づいたか? さっき寄ったスーパーの店員の女の子がお前に話しかけたそうにしていたの。その取っつきづらそうな雰囲気がなくなれば、もっと違うだろうにな」
何気なく犬飼が発した言葉に、瀬戸がすっと顔色を変えた。
「俺があんたのことを好きだと知っていて、あんたはそれを言うのか」
「あ……っ」
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