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2.栄沢理衛16才の場合

散々方策を探ったものの部屋を出ることもできず、翠龍と理衛は不貞腐れて今はベッドの上に転がっていた。 男二人が乗っても問題ないサイズなのが憎たらしい。白い天井を見ながら、二人は近況を語り合っていた。 高校生の理衛が話す内容は、過去の事とはいえ、生き生きとその当時の人物が喋るのだからそれはまたなんとも楽しいものだった。 兄者がこうだの、学校でアレクとどうだの、いやはや青春というのはこんなにも眩く尊いものだったかと翠龍はもはやセックスのことなど忘れ穏やかな気持ちになっていた。 高校生の理衛は子供だというのに話していて、話題が合わないだとか、噛み合わないだとか、そんなストレスは一切なく、話し出せば面白く、こちらが話せば絶妙なタイミングで相槌をうち、なるほどと思う愉快な切り返しで笑わせてくれた。 それは物分かりの良さと頭の良さによるんだろうと、今やおじさんになった翠龍には理解できた。 当時の自分といえば、どうして理衛ばかり大人たちに可愛がられるのかとか、内心で優秀さを妬んだりしたものだったが、いやいやこんな子供、そりゃあ可愛がられるわけだ。 ふふ、と笑って翠龍はキラキラとした目で試験中にどうやって教師を欺いてクラス全体でカンニングを成功させたのかについて話す理衛の横顔を見た。 その翠龍の慈しみを含んだ目線に気づいた理衛は、気恥ずかしそうにはにかんで笑って、そっと鼻を擦った。それさえ様になっていて、顔の良さまで持ち合わせる理衛に意地悪したくなった翠龍は理衛のその高い鼻を摘んで雑に捻った。 「いってえ」と笑う理衛が、ねえ兄者と囁く口元を翠龍は見つめながら「なんだ?」と笑む。 「未来の兄者は……今は組長をされているんですか?俺はどうです?お役に立てていますか?」 人好きのする笑顔を浮かべて尋ねる理衛に、途端、翠龍の心はしおしおと萎びていった。 この話をしながら、いつか聞かれてしまうだろうと予感はしていた。むしろ未来の人間と話せるなんて機会があったら、そんなの聞かずにはいられないだろう。 どうしようと翠龍は悩む。本当のことを伝えていいのか?それともこの理衛少年が未来に期待を持てるように、夢を、嘘で包んで話す方が彼のためだろうか。 嗚呼、これが本当に過去の理衛なら、今の理衛の記憶の中に俺が話した未来の内容が残っているのだろうか。 俺はなんと理衛に伝えたのだろう。 「……そうだな…」 唇が乾く。何度か唇を舌で湿らせて、口を開くがうまく二の句が紡げない。 「…ゆっくりで構いませんよ」と理衛は淡く笑む。言いづらいのだと分かっているが、逃す気はないらしい。 翠龍はふーっと息を吐いて、過去に理衛から受けた告白のことを思い出す。理衛の言うことが本当なら、多分大丈夫だろう。意を決して翠龍は天井を見つめたまま口を開いた。 「俺は組長にはなれなかった。組は応虎が継ぐ。俺は…俺は今は半隠居みたいなもんだな。若いのを教えている。それから離れに…お前と住んでいる」 言いながら緊張と罪悪感が込み上げる。隣から理衛の息を飲む声が聞こえる。 「お前はよくやってくれている。昔も今も。そしてこれからもそうだろう」 翠龍はそう言い終えて、隣の理衛を見た。顔を向けて真っ直ぐに見る。高校生の時点で理衛の身長は翠龍を追い越していたが、寝転がってしまえば目の高さは同じだった。 理衛も向き直って真っ直ぐに翠龍の目と向き合った。理衛の瞳が揺れている。 震える息を吐いて理衛は目を閉じたが、すぐに黒曜の瞳を覗かせて手を伸ばす。理衛の手がそっと翠龍の頬に触れる。 「それって、それってつまり…ずっと一緒にいるってことでしょうか……。俺、兄者と」 目の前の理衛少年の反応を見て、翠龍は理衛が言ったことは本当だったのかと思った。 「そうだ」静かに翠龍は答える。「お前の願いは叶った」 あの日、理衛を受け入れた日。子供の頃から兄者が好きでした、と打ち明けた理衛の言葉に偽りはなかった。 ■ 「ぐぬぬ」 先程のしっとりとした空気とは打って変わって、今、二人はベッドの上で腕を取り合い、互いを抑え込もうと力の限りを尽くしていた。 「いいじゃないですか…!兄者、外に出たいでしょ…!」 「無論だが…!」 「じゃ余計いいですよね…ッ、それに同意の上でしょう」 「それは…未来の話で」 「俺たち、どーせ死ぬほどヤってんでしょ!」 「ッああーーー!」 耐えきれず翠龍は万力込めて覆い被さろうとする理衛を投げ飛ばした。ボスンとマットレスを大きく振動させた理衛は仰向けになったまま、乱れた前髪の隙間からむくれた顔で愛しい思い人を睨め付けた。 「ひどい。どうしてそんなに拒むんですか未来の愛人でしょ、俺」 フーッと昔の海外映画のように口から吐いた息で、前髪を浮かしながら愛人などと茶化した理衛。こんな時でもキマッているのはムカつく。 「いやだからって……その、こんな中年の尻に十五、六の子どものちんぽハメさせるとか、申し訳ないというか…。せめてしゃぶるくらいで……って、いや待てその絵面も恐ろしいな。なんにせよまだ若いお前のトラウマにしかならんだろ……」 先の話をしてから、己を抱きたいと言って聞かない理衛と、それを拒む翠龍とで攻防が続いているのだ。 それに自分の姿形が凡そ一般的に情欲をそそるようなものではないことを翠龍はよくよく理解していた。 加えてこの年齢だ。昔の自分なら幾分マシかもしれなかったが、肌の張りは減ったし、肉付きだって変わったし、万が一、もしかしたら加齢臭がするなんて思われるかもしれない。 37歳の自分なんて、もう只々オジサンなのだ。16の若人には不釣り合いだ。自分にだって抵抗がある。 ーー抱くならまだしも、オジサンが子供に抱かれるのは余計に。 「……確かに、今の俺と兄者では親子ほどの年齢差がありますし、正直おっさんに興味なんかないですよ」 仰向けから身を起こして吐き捨てる理衛の言葉に、これが自明の事だろうと分かってはいるのに翠龍の内心はチクリと傷つく。理衛に否定されるのは慣れていないのだ。それが億尾にも出ないよう、鉄皮面を貫き、翠龍はそうだろうと頷いた。 だが、理衛はキッと眼力を強くし、翠龍を真っ直ぐ見つめて言葉を続ける。 「でも、そんなのどうだっていいんですよ!だって、相手は兄者、あんたですよ!?」 思わぬ理衛の反撃に、翠龍はぐぅと唸る。 「できたら兄者とヤりたい、でも潔癖な兄者は俺とエロい話すらしてくれないし、こんなんじゃ到底無理かと…半ば諦めてたのに!」 途端、理衛は苦しげに寄せた眉と細めていた目を見開き、オーバーに両手を広げて叫ぶ。 「兄者と俺が…同棲?!セックス?!してんのか?!まっじで!? ヤバくないか、それって概念的にはもう結婚してんじゃん!!」 「しかも十年! 十年も俺に抱かれ続けてんの?!はぁ?!そんなの絶対抱くでしょ、絶対抱くに決まってんだわ!!」 「てか、こちとら兄者が『ちんぽハメる』とか『しゃぶる』とか言ってた時からちょっと勃ってんですよ!抱かせないなんて言うなよ!!!!!」 怒涛の猛勢っぷりと、普段、理衛からは利かれたことのない若者言葉で畳み込まれて翠龍はたじろいだ。 「若いと勢いがあるな……」 「ではこの勢いのまま、ぜひ!」 鼻息荒く、血走った目で詰め寄られて翠龍はどうしたものかしらと唾を飲んだ。そのタイミングを見計らってか、部屋の天井の隅に備え付けられたスピーカーから『ここはセックスをしないと出られない部屋です』と先ほどの説明が再び流される。 二人して無言でスピーカーを見つめる中、じりじりと緊張が増していく。 「……兄者」 無機質な放送が終わり、理衛が再び視線を絡めてくる。熱を持った視線。熱を孕んだ声色。どちらともなく、手が触れる。 「…理衛」 翠龍の声色も、拒絶よりは熱の方が強い。それを察して理衛少年は堪らず触れ合った指を掴んで強引に握り込んだ。 兄の手は想像していたより硬く、節張っていた。

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