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第6話「始動」

1、ご飯がおいしい、料理上手。 2、細かい表情の変化にも気が付いてくれる、気遣い上手。 3、大切にしてくれる。 4、 5、 「んーーー、、」 「セックスがうまい」 「あ"あ"?」 心理学の授業の宿題を忘れていた義人は、次の時間にまで迫っているそのレジュメの発表の為に学食に付くなりテーブルに齧り付いていた。 恋人・又は友達について書けというプリントに、女でも男でも通じるような事を書いていく。 間違っても、ゲイだと思われないように細心の注意を払っていた。 「え、だってそうじゃん」 「知るか!」 「照れんなよ」 「あああッ!お前ほんっとにうざい!!」 隣に座った藤崎はふざけながら義人の肩に手を回し、体重をかけながらニマニマとやらしく笑っている。 11号館A棟は今日もたくさんの生徒で賑わっていた。 「どうでもいいんだけど、ここ公共の場だからマジでセックスとか言うのやめろよな」 「あ、」 「ははは!」 藤崎との言い合いを、滝野が止めに入る。 これはこの1年間で身につけた義人、藤崎、滝野の3人でのコミュニケーション方法であった。 「イチャこらすんのは家に帰ってからにしろよなー!」 「見せてもらってるだけありがたいと思えよ、滝野」 「いちゃこらとかしてないから!!」 にやにやしているのは滝野も同じで、別段義人に味方しているわけではなく藤崎と一緒に義人をからかっても来るようになっていた。 再び春が訪れている静海美術大学の校舎は至る所で花が咲いており、例外なく11号館B棟の裏手にあるオアシスも普通はそこに咲く筈のない花々が色とりどりにひしめいて咲き誇っている。 正門付近にある桜は既に散り始め、近くの駐車場や新緑の芝の上に薄いピンク色の絨毯が敷かれていた。 ブーッ 「あれ?」 ブーッ ブーッ 「?」 「お前のだよ」 いつも通りにテーブルの上に画面を伏せて置かれていた藤崎の携帯電話が突如激しくバイブを響かせ始める。 義人が指差したそれを手に取った。 最近はもっぱらバイブも鳴らず着信の音もしない完全ミュート状態のその携帯が騒ぐのは珍しい事で、義人はキョトンとしながら藤崎の眉根にシワが寄るのを眺めていた。 「電話だ」 明らかに嫌そうな声。 流石にずっと鳴り響いている携帯電話を見ていれば、電話がかかって来ている事は義人も理解出来る。 (女の子からかな) 2人の目の前に座っている滝野は藤崎を見ながら首を傾げ、訝しげな顔をした。 「え、女の子?義人いるんだからやめろよ」 「いや、女の子ではない」 「どっちにしろ出ていいよ」 義人が呆れたようにそう言いながらテーブルに肘をついて再びレジュメを見下ろすと、滝野はわざとらしく「ひいいっ!?」と息を吸いながら変な音を出し、目を見開いて藤崎と義人を交互に見た。 「よ、義人、、優しすぎるッいい奴過ぎるッ出来た婿過ぎるッ!」 「俺は婿なの?」 「佐藤くんに話し掛けるな滝野」 「うるせえなーー、お前は早く電話して来いよ」 未だに鳴り響く携帯電話を、もう一度藤崎は睨んでから諦めたように「話してくる」と言って席を離れていく。 「んー」 義人はそれを見もせずに返事だけ返し、あと2つ埋まらない項目を睨んでいた。 書けないのではなく、あと何を書こうかを悩んでいる。 つまり、書き切れない程書く事があるのだ。 「義人ってさあ」 「んー?」 「何だかんだ久遠の事書くんだね、それ」 「えっ?」 まん丸な黒い目がパッと目の前にいる滝野を見つめる。 確かに配られているレジュメは、恋人、又は友達について書かなければいけないもので、わざわざ恋人を選ばなくてもいい。 「、、、本当だ」 キョトンとした義人はポカっと開いた口でそう言う。 滝野はそんな様子を見て吹き出して笑い、肩を震わせながら義人のレジュメを右手の人差し指でトントンと叩いた。 「義人らしくていいなあ、そう言う反応」 「、、、」 こう言うときの滝野洋平と言う男はやたらと大人びて見える。 普段はうるさく、わざとではないかと疑う程子供っぽく藤崎とふざけているが、ふとした時に年齢以上に大人っぽく渋く笑うときがあった。 「、、、なんかさ、」 「ん?」 カレーを口に運ぶ滝野を見ながらテーブルに肘をついたまま、義人は一瞬握っているシャーペンを見つめた。 授業で少し遅れてきた入山と遠藤、西野は、今券売機の列に並んだところで、当分帰って来ないだろう。 義人の分は来る前に寄った購買で買った調理パンが2つある。 「ごめん、な」 「へ?」 義人の言葉に、滝野がスプーンを動かす手を止めた。 発言の意図が分からず、ジッと義人を見つめて動かない。 「いや、その、、ゲイ、で、と言うか。藤崎を、巻き込んだと言うか、さ」 自分の口からこぼれ出る言葉を、義人自身がコントロールできないでいる。 「俺は、その、多分元々のアレ的に、男が好きなんだと思うから、その、、」 息が詰まりそうになっていた。 そのくせ、藤崎と付き合っている事をひた隠しにしているレジュメに書き込まれた文章に、義人は胸が苦しくなった。 藤崎を大切に思う周りの人達に、自分はどう写っているのだろうと。 「何言ってんだ?どっちかってと巻き込まれた方だろ」 逸らしていた視線をグンと上げ、滝野の目を見つめる。 何の気なしに出た発言のようで、やはりどこか大人っぽい滝野は薄く笑っていた。 「だって完全に義人は絆されたんじゃん、久遠に。その結果のお付き合いじゃん」 くっくっと楽しそうに言って、またひと口カレーを食べる。 飲み込んで水を飲むと、ふう、と息をついて義人にまた笑いかけた。 「恋愛なんて個人の自由だし、前から友達だったからって、俺が口出していい事でもない」 「、、、」 「だから俺に謝る必要ないよ」 「、、ん、ありがと」 時々こうして怖くなるときが義人にはあった。 「普通」だった藤崎を変え、1年も隣を独占している。周りの友達も、家族も、自分達に何も言わない。 言われたのは遠藤に「責任持てよ」と軽くひと言頂戴したくらいで、他の周りの人達からは「気持ち悪い」も「やめた方がいい」も言われた事がなかった。 それは少しだけ、義人の罪悪感を煽る。 誰も何も言えない程遠くに、藤崎を連れてきてしまったのではないかと。 「違うって。普段久遠とすぐ喧嘩して言い合いして殴ってるのに、義人はやっぱり久遠が好きなんだなあって俺は安心したの、それ見て」 トントンとまたレジュメが叩かれる。 「好き、だけど、何と言うか」 今のところ、親しい友人のトップも藤崎で、恋人も藤崎である義人には彼以外の選択肢がなかったとも言えた。 勿論、滝野、入山、遠藤、西野、峰岸、里香、それ以外の数人の人間達も含めて親しくはある。けれど誰より何より知っていて、自分を曝け出せ、向こうも全て見せてくれる確かな存在は藤崎だけなのだ。 「久遠の片想いでも強引に迫られたのでもなくて、義人が久遠を選んでくれて俺は嬉しいんだよ」 「男同士だけどね」 「それあんま関係ないと思うよ。まあ俺は女の子しか無理だけどさ。別にそれはそれ、これはこれ」 義人は一旦手を止め、レジュメを横にズラして避け、調理パンに巻き付いているサランラップを剥がし始める。 「だってさー、俺から見てもアイツ性格悪いもん」 クックックっと、何か思い出したような笑い声。 「同性にしてもわざわざアイツ選ぶ?って感じ。顔だけは良いけど。偏食だし拗ねると長いし変な事するし里音とタッグ組むと、まあー、タチが悪い。俺昔あれだよ、川に落とされたり落し穴にはめられたり身体中にセミの抜け殻付けられて泣いた事あるから」 「あっはっはっ!ヤバ!」 「義人だって色々されてきたろ?なのに久遠の事選んでくれたんだもんなあ〜、俺嬉しくてさあ。しかもアイツも幸せそうだし、良かったなあって、本当に思う」 「、、ありがとうな、ホント。俺たまに自信なくなるから」 嘘だ。 本当はしょっちゅう自信をなくしてはいる。 その度に浮き上がらせてくれるのが藤崎であり、立ち直りは早くなったなとは思っている。 けれどやはり、自分ばかりが藤崎に迷惑をかけ、ズブズブと沼に引き摺り込んで離さないように雁字搦めにしてはいないかと心配になる瞬間はあった。 そしてそれを周りが悟っていて、いつか何とかして藤崎をここから抜け出させなければと考えてはいないかと、勘繰ってしまったりもする。 そうやって疑う事もまた、周りの誰しもに申し訳なくて、自己嫌悪に陥るのだが。 「俺とアイツ、昔すっごい喧嘩した事あってさ」 「え?」 もぐ、と口に入れたパンを味わう。 マカロニグラタンがべちゃべちゃにコッペパンの間に詰められたものだ。 味は良い。 「まあ、ありがちなんだけど、俺の好きな子とアイツが付き合っちゃってね。そんで、色々あってその子の事をアイツがめっちゃ傷つけて、クッソキレて、アイツの事地面に飛ばして倒して、乗っかって殴りまくって、顔面ぼっこぼこにしたの」 「ええッ、、」 普段藤崎に殴られまくっている滝野からは想像できない喧嘩の内容に、義人は目をまん丸くする。 口の端にグラタンのホワイトソースがちょっとだけついている。 「それが俺と久遠の初めての喧嘩」 笑いながら「当時の写真」と言って滝野が見せてきた携帯の画面には、確かに原型が分からない程目や頬を腫らしてガーゼが付けられ、頭に包帯を巻いてこちらを見る藤崎が写っていた。 「里音が撮ったの」 「あいつ、その子に何したの?」 「え?あー、付き合ってたのに違う女とヤッた。普通に浮気」 「、、あれ?それ聞いた事ある。藤崎が初めて致したとき?」 「あ、そー!それ!」 今ではこんなにもにこやかにそれを語るけれど、滝野が作った藤崎の当時の顔はその怒りを物語る悲惨さがある。 携帯電話を仕舞うと滝野はまた水を飲み、緩く笑って義人を安心させる。 「前々からよく分からんところがある奴で扱いにくかったし、ちょっと嫌いになってた時期にそんな事があってさ。結局腐れ縁も有り、女絡み以外はまあまあ良い奴だし、光緒とか里音がいたから何とか4人で仲良くやって来れたところに、義人が現れた」 「、、、」 「それも受験のときにさ。何目指していいのか分からなくて結構落ちぶれてた久遠が、ここの試験受けたあと直ぐに立ち直ってダラダラ続けてた彼女とも相手傷つけずに円満に別れて、急に人間関係ちゃんとしだしたから何かと思ったよ」 初めて藤崎に告白された、あの日の教室を思い出す。 考えてみれば、あの教室で出会ったときからずっと藤崎は義人だけを見ていたのだ。 「そんで義人の事知って、安心した」 「、、、」 「もうあんなに、誰かが傷付く事、アイツはしないんだなーって」 滝野の脳裏には「彼女」が浮かんでいた。 彼の人生の中で誰よりも美しく笑い、よく自分の手を握って走り、近くの公園まで遊びに行く子だった。 「義人がアイツを変えてくれたんだよ」 「っ、、、」 ホッとした。 「ってかさっきから口にソースついてるぞ!ここ、ここ!」 「えっ!?あ、うん、え、どこ?」 少なくとも滝野の中で自分が前々から考えていたような存在としては認識されていない事が分かり、心底ホッとして胸を撫で下ろす。 確かに藤崎は性格が悪い。 しつこい女の子には容赦なく「ブス」と言い放つし、自信があるせいか嫌味ったらしく見える瞬間も、それにムカつくときもある。 義人が「こんな自分」を藤崎が選んでくれたと思うように、藤崎は周りから「あんな奴」を義人は選んでくれたと思われているのだ。 「そうやってたくさんアイツの良いところ書いてくれてありがとう、義人」 「はは、うん」 「いえ、ですから」 《ダメかな?》 「ダメです。すみませんが無理です」 電話の向こうで、憂鬱そうなため息が聞こえる。 《じゃあまた今度誘うよ》 引き際と言うものが分からないのか、藤崎の電話の相手は笑った声でそう言った。 「菅原さん」 《ん?》 「そういう意味なら、真面目に誘うのやめて下さい」 珍しくもないが、藤崎の声は苛立っている。 最近しつこく掛けて来る電話の相手に低く威圧を掛けるが、相手は先程からヘラヘラとそれをかわしていた。 《どういう意味なら良いの?》 「先輩と後輩。助手と生徒としてならいいです」 《そこから発展させると言う目的があっても?》 「ならもうかけて来ないでください。失礼します」 《あ、待っ 》 ブツッ 「、、、」 無理矢理電話を切ると、またすぐに着信が来る。それも立て続けに全て切ると、やっと携帯電話は黙って動かなくなった。 「、、はあ」 苛立ちが募り、重たいため息が漏れる。 携帯電話をぶん投げてしまいたかったが、義人の写真が治まったデータファイルがある。 この1年で初めの頃の何倍も増えた思い出の画像を消す訳にもいかず、投げるのはやめて電源を切り、尻ポケットに体温の移った機体を滑り込ませた。 「あー、マジでムカつく」 学食の裏手の入り口から外に出て電話をしていた。B棟の方にはオアシスが見える。周りには誰もいない。 空を見上げて首をゴリゴリと回し、また息をついてその場に座り込んだ。 コンクリートの上を黒い蟻が歩いている。 「佐藤くんが孕んだら、学生結婚して、周りの奴らに牽制出来るのに」 馬鹿な事を考えてみた。 けれどすぐに、妊娠しなくても出来るならすぐにでも結婚はするな、と思った。 義人に誰にも近づかせず、義人を不安にする自分に付き纏う人間達を遠ざからせる手っ取り早い方法だ。 「他の奴はいらねーんだって」 ボソ、と呟いた言葉は誰の耳にも届かずに風に流れて消える。 春の陽気は穏やかで、太陽の光りは優しくミルクティベージュの髪に反射していた。 「あー、ヤバい、ヤリたい」 誰かがこうして自分の思い通りにならず、義人からの信頼を揺らがせるような行為をするたびに藤崎はイラつく。 十分過ぎるくらいにセックスをしているのに、義人だけだから、と何の疑問も心配も義人がしていなくても、その身体に教え込んで自分以外の事を考える暇を潰したくなる。 「はあーー、、」 こんなこと、前はなかった。 いくら性欲が強くても、毎晩抱くなんて事も、毎日一緒にいるなんて事も、確実に飽きるし、疲れる筈だった。 それでも、藤崎は義人相手になるとコントロールが効かない。まったく自制が出来ない。 性欲はなくならなくて、承認欲求はやまなくて、欲しくてほしくてたまらなくなる。 他の人間がこんなに煩わしくなるなんて思いもしなかった。 「義人」 2人だけの世界にならないかな、なんて。 そんな馬鹿な事すら頭をよぎる忙しい毎日。

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